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第3話

 喫茶店を出て、近くの駐車場に停められた花戸の車に乗り込む。車内でも喫煙してるだろうに、車の中は消臭され換気もされてるようだった。  それから花戸に連れられ大学へと向かうが、結論だけを言えば収穫なしだ。兄は数カ月前から授業にも出ていなかったらしい。友人という友人すらいない。顔くらいしか分からない、その程度の知人しかいないのだ。  とぼとぼと車まで戻ってきた俺。運転席へと乗り込んだ花戸は「まあ、仕方ないさ」と優しく声を掛けてくれる。 「あいつはなかなか人に懐かない性格だったね」 「花戸さんは、本当に兄と仲良かったんですね。でも、花戸さんも知らない恋人って……」 「君に恋人のことを教えてくれたっていうそのバイト先の人も相手のことまでは知らなかったんだろう?」 「はい、聞いたんですけどそれ以上は……」 「じゃあ、バイト先の方行ってみようか。とはいえ、元になるだろうけど」  俺が知らない兄が働いていたというコンビニ。  そこへ花戸に送ってもらうことになる。  接客を嫌い、人前に立つことを苦手としていた兄が深夜とはいえ接客していたと知ったときは驚いた。  そのコンビニは兄の家の近くらしい。だから選んだのか分からないが、それでもやはり自分の知らない兄のことを知らされてるようで酷く落ち着かない。  目的地へはすぐに辿り着くことになる。 「ここだよ」と駐車場に停車した花戸の声に慌てて顔を上げる。ごみごみとしたビル街のど真ん中、上の店舗に潰されそうになっているそのテナントにコンビニは存在した。 「あの、俺行ってきます」 「一人で大丈夫?」 「はい、花戸さんにはずっと付き合ってもらったので」  大学の中でも車の中でもずっと煙草を吸わないでいた花戸のことが気になっていた。  そろそろ一息つきたいのではないかと伝えれば、花戸はふわりと微笑むのだ。「そう、ありがとう」と。男の俺でも思わず見惚れそうになるくらいだ、女子なら卒倒してるのかもしれない。  花戸に会釈し、俺はそのまま車を降りる。  コンビニの中には年配のスタッフが一人でレジに立っていた。兄のことを尋ねれば知らないという。夜勤なのだ、知らなくてもおかしくはない。また時間を改めようとしたとき、そのスタッフは他のスタッフにも聞いてくると奥へと引っ込んでいく。  仕事中になんだか大事にして申し訳ないなと思ったが、兄のことをなにか一つでも分かるのならという気持ちを前にはどうすることもできなかった。  それから暫くもしない内にそのスタッフは一人の若いスタッフを連れて戻ってきた。 「君が生天目君の弟さん? ……この度は御愁傷様です」 「……ご丁寧にありがとうございます」 「挨拶が遅れたね。僕は小林。元々夜勤で、そのときはよく生天目君と時間被ってたんだ」 「あの、俺は生天目間人です。……兄がお世話になりました」 「そんなに堅苦しくしなくてもいいよ、僕もただのバイトだしね」  小林と名乗る男は兄や花戸と同じぐらいだろうか、大人しそうな眼鏡の大学生風の男だった。 「そうだ。ここじゃなんだし、休憩室で話そうか。どうせ店長たちはいないし気にしなくてもいいよ」 「……じゃあ、お邪魔します」  小林は丁度休憩時間だったらしい。俺は年配のスタッフに頭を下げ、そのまま小林の言葉に甘えてカウンター奥のスタッフルームへとついていく。 「それで、清水さんから生天目君……あ、君も生天目君なのか……お兄さんのことで何か聞きたいことがあるって聞いたんだけど」 「あの、兄は最近までここで働いてたんですか?」 「いや、先月辞めたよ。……っていってもトんだらしいけど」 「トんだ?」 「ああ、バックレ……えーと、出勤時間になっても店に来なくなってそのまま音信不通って感じかな。まあ、珍しくはないからそんなに驚かなかったけど。……生天目君は勤務態度真面目だったからその話を聞いたとき意外だなって思ったんだよ」  兄が真面目に働いていたということを聞けただけでも弟としてはなんだか嬉しくなったが、それ以上に引っかかる言葉があった。 「急に来なくなったって……」 「一応僕からも連絡入れたんだけど電話にも出なければメッセージにも既読すら付かなくてね、普段即レスだったから驚いてさ」 「ほ、他に……その、店に来なくなる前になにか変な様子とかなかったですか? 悩んでるとか……その……」 「うーん……そうだな……」  なんでもいい、なんでもいいから思い出してくれ。藁にも縋る気持ちで小林に尋ねれば、「ああ、そういえば」と小林は何かを思い出したように手を叩いた。 「こんなこと、弟君に話していいのか分からないんだけど……生天目君、お客さんからよく色々絡まれることが多くてね。ほら、やっぱり目立つっていうか……モテるんだよね、よくレジ前で連絡先聞かれてはすごい冷たくしてたけど」 「……っ」 「まあそれくらいは可愛いもの……まあマシだったんだけど、冬くらいかな。生天目君のシフトが終わるまで店の駐車場で出待ちするやつがいてさ、それも男だよ? ……本当あのときは気味悪すぎて朝になって人通りが多くなるのを店で待ってたこともあったな」  聞けば聞くほど頭に来るのが分かった。小林に対してではない、兄に心労を掛ける連中にだ。  昔からだ、兄が絡まれやすいことは知ってた。異性からも、同性からも。その度に俺は早く大きくなって兄を守れるようになりたいと幼いながらに思ったことがあった。けれど、結果がこれだ。過去の話だとしても冷静でいられなくなりそうになる。 「……おっと、ごめんね。お兄さん、亡くなったばかりの君に話すようなことじゃ……」 「いえ、大丈夫です。……それより、その男の顔とか……」 「ああ……その、顔はよくは見てないんだよね。情けない話、そのとき僕もびびっちゃってさ。声を掛けることもできなくてただ店の中からちらって背中を見てたぐらいで……それに、辺りは暗かったから」  ごめんね、と小林はうなだれる。  寧ろここまで聞けただけでも大きい。他になにかないかと聞き出そうとしたが、めぼしい情報はそれくらいだった。 「あの……休憩中なのにありがとうございました」 「いや、いいよ。寧ろこれくらいしか力になれなくて申し訳ないね。そうだ、また何かあったらきてくれてもいいから」 「はい、ありがとうございます」  小林に見送られながらも店から出たとき、丁度店前では花戸が煙草を吸っていた。俺が出てくるのを見るなり、咥えていた煙草を灰皿スタンドに捨てる。 「終わった? ……その顔は何かいい情報でもあったのかな?」 「はい。……あの、お待たせしました」 「全然待ってないよ、大丈夫。それじゃ、詳しい話は車の中で聞こうかな」  はい、と花戸に促されながらも俺は車の助手席に乗り込んだ。隣に花戸が乗り込む。シートベルトを締めながらふと顔を上げたとき、カウンターでこちらを見ていた小林と目があった。真っ青な顔をした小林が視界に入った。  なにかあったのか。気になったが、それよりも先に花戸が車を出発させた。  ……ああ、連絡先聞いておけばよかったかな。  けれどここなら実家からもなんとか自転車で来れる距離だ。今度また話を聞きに来よう。そんなことを思いながら、今度は兄の暮らしていたというマンションへと向かうことになった。

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