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第4話

 花戸に連れて来られたのは兄の住んでいたというマンションだ。  閑静な住宅街、決して大きくはないマンションがそこにはあった。  俺は予め親から預かっていた鍵を使って玄関のオートロックを解除する。それから、マンションのロビーへと足を踏み入れた。  それからエレベーターへと乗り込む。 「緊張してる?」  静まり返ったエレベーター機内。花戸に問い掛けられ、首を横に振った。 「いえ。まだ実感はないです」 「じゃあお兄さんに会いに行く感覚かな」 「……そうですね」  葬式も、火葬も全部嘘で、この先、兄が部屋にいて俺を待っててくれてるんじゃないか。そんな風にまだ考えてしまうのだ。  花戸は「俺もだよ」と小さく微笑み、目を伏せる。  暫くしてエレベーターは停止した。  五階。兄の部屋がある階だ。  俺はポケットから取り出した鍵を手に取った。鍵には昔流行った子供向けアニメのキャラクターのキーホルダーが一つぶら下がっている。まだ俺が幼い頃、初めてもらった小遣いで兄へプレゼントしたものだ。……俺の好きなキャラで、兄は全然興味なかっただろうにまだ持っててくれたのだ。  ぐ、と胸が詰まりそうになるのを堪え、俺はエレベーターを降りた。  兄の部屋の前、既に清掃を終えたのだろう。立入禁止のテープもなにもない。俺は鍵を使って扉を開く。そしてドアノブを掴んだ。  茹だるような暑さの中、首筋に冷たいものを感じた。  大丈夫だと、実感などないと花戸に応えたばかりなのにも関わらず。熱を含み、ぬるくなったドアノブを握り締めたまま手が止まってしまう。  あれほど煩かった蝉の声が遠く聞こえた。 「俺が先に行こうか?」 「…………、いえ、大丈夫です」 「本当に?」 「………………」  声にはならなかった。頷き返せば、花戸は無言で一歩引くのだ。  ……俺は感傷に浸りに来たわけではない。兄のために来たのだ、こんな調子でどうする。そう自分を叱咤する。肺に溜まった空気を吐き出し、数回呼吸を繰り返した。  ……覚悟なんて、あるわけない。できるはずがない。  今だってまだ兄の死を受け止めきれないのだ。  ドアノブを捻り、そして扉を開いた。瞬間、部屋の中に溜まった熱気がぶわりと溢れ出す。  俺は込み上げてくるものを必死に抑え込み、玄関へと踏み込んだ。広い玄関ではない、俺が靴を脱ぎ上がるのを確認して、花戸も続いて足を踏み込んだ。  部屋の中は片付けられていた。  捜査のためか分からない、けど、兄は元々綺麗好きだった。どこか神経質なところすらあったくらいだ。部屋の装飾品すら一つもなにもない。殺風景な玄関を抜ければ、通路の先には狭い部屋があった。  広いいえではない、この先が兄の自殺した部屋になるのだろう。胸の奥がざわつく。手汗が滲むのを拭い、扉を開いた。  そこには玄関同様、殺風景な空間が広がっていた。  冷蔵庫とベッドと机、そして備え付けのクローゼットだけが置かれた部屋の中。俺は違和感を覚える。 「…………」 「……相変わらず殺風景だね」 「……ここが、兄の部屋……?」 「うん、そうだよ。……君のお兄さんが生活してた部屋だね」  兄はよくパソコンを弄っていた。けれど、この部屋にはそれすら見当たらない。  それに、微かだが兄の匂い以外のものが混じってる気がした。 「花戸さんが前に遊びに来たときも『こう』だったんですか?」 「ああ、そうだね。あいつは無駄なものを嫌ってたから」 「……兄は、生活に困窮してたんですか?」  パソコンを買うお金もない、とは思えない。そもそも一番最初に買い揃えてもおかしくないと思っていたからこそ、違和感が強かった。それに部屋を見た限り家具にも金を掛けてるようには見えなかった。クローゼットの中には昔見たことがある服がハンガーにかかってるくらいで、ブランド志向にも見えない。冷蔵庫の中も冷凍食品があるくらいだ。 「困窮って、どうだろうね。あいつは贅沢するようなタイプには見えなかったし、貯金でもしてたのかな?」 「……そう、ですか……」  違和感は強くなる。デスク周りには兄の読みかけらしい小難しい本が並んでる。 「……それにしても暑いな、冷房のリモコンはどこだろ」  言いながら冷房の方まで歩いていく花戸。俺は目の前の本を適当に手に取った。分厚い本は相変わらず専門用語が並んでいて、俺には理解できそうにない。  ……これは、確かに兄の好きそうな本だけど。何故だろうか。  兄の部屋なはずなのに、兄の部屋に思えなかった。  そのとき、部屋の冷房が動き始める。 「涼しくなるまで時間掛かりそうだね」 「……そうですね」 「俺、涼しくなるまで少し外に出てるね」  煙草休憩なのだろう、そのまま外へ出る花戸に「わかりました」とだけ答えた。  そして俺は再び部屋の中を探索し始めた。  兄の所持品の中に携帯がなかった。  そんはずがないのだ。小林も兄と連絡取る仲だったと言っていたし、まだどこかにあるはずだ。  この時点で俺は嫌な予感を感じていた。それはあくまでも予想に過ぎない。  兄の自殺はただの自殺ではないのではないか。  携帯は誰かに隠されたのではないか。  小林からストーカーの話を聞いたからだろう、そんな思考がずっと俺の頭に過ぎってはぐるぐると回っていた。  クローゼットの中、かかっていた上着のポケットから何まで全て確認する。机の引き出し、キッチンの棚、何もかも調べた。けど、見当たらない。  兄も持っていない、兄の部屋にもないとなればどこだ。  風呂場、トイレへと向かい、トイレの貯水タンクの蓋を開けたとき。息を飲んだ。 「……っ、……」  蓋の裏側、そこには明らかに隠すようにガムテープで固定されていた携帯が貼り付いていた。  何故、こんなところに。意図がわからず狼狽えたが、兄のもののはずだ。俺は爪でガムテープを引き剥がした。そして、蓋から携帯端末だけを引き剥がす。既に充電は切れているようだ。けど、充電さえすれば普通に使えるはずだ。画面は傷ついていたし背面はガムテープがくっついたままではあったが、見つかっただけでもまだましだ。けれど同時にただ事ではないことだけは頭で理解できていた。  そのとき、玄関の方で扉が開く音がした。どうやら花戸が戻ってきたようだ。  そうだ、花戸にも伝えなければならない。 「間人君、トイレにいるの?」 「はい。花戸さん、見つけました!」 「見つけたって?」 「所持品にもなかった兄の携帯が――……」  ここにあったんです、とトイレから出ようとしたとき。  目の前、通路に立ち塞がるように立っていた花戸がトイレの中へと入ってくる。あまりにもいきなりで、思わずぶつかってしまった。 「すみません」と、咄嗟に一歩引いたときだ。携帯端末を掴んでいた手、その手首を掴まれる。 「……っ花戸さん……?」 「流石、侑の弟だ。……俺が何度探しても見つけられなかったのに、こんなに早く見つけてくれるんだもん」 「そんなこと……」  ないです、と言い掛けたときだ。俺の手から携帯端末を取り上げた花戸はそれを開きっぱなしの貯水タンクへと放り投げた。  ちゃぷんと音を立て、そのまま底へと沈んでいくそれに全身から血の気が引く。

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