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 それからチェックインした俺達はクソ重たい荷物を部屋に運ぶことになる。旅館のスタッフが運ぶのを手伝ってくれようとしたが流石にこの色んなものを詰め込んだ荷物を持たせるのは申し訳ないと断ったのだ。  それから泊まる予定の部屋に案内してもらい、そして二人きりになった途端、仲吉は仲吉は部屋の奥、一番大きな窓を開く。 「すげえ広い! しかも景色最高だぞ準一!」 「おい……っ、声でけーよ! ……どれどれ」  気になって、つられて部屋にあがれば大きな窓の外、丁度屋敷の向こうは崖になっているようだ。今まで登ってきた山道が、擦れ違った木々が、小さく見えるほどの絶景がそこには広がっていた。  雨のお陰か、青葉はより青々と茂っていて、小雨も既に止んでいるようだった。日の光を反射して、うっすらと虹が空に浮かんでいた。 「……これは、すごいな」 「な? すげーだろ? ここ、景色とか眺めとかがいいって有名で、その手の写真家とか画家もよく来るんだってさ!」 「……そうなのか」  空気も、悪くない。  山奥には泉もあるのだろう。それが太陽の光に反応してキラキラと光る様はなんというか、俺でも幻想的だと思うほどだった。 「夕方になれば日が落ちるところがめっちゃ綺麗らしいし、夜になれば星がよく見える。……だから、一年を通してカップルの客が多いんだってよ」  確かに、わかる気がする。  悲しいことに、今こうして景色を共有しているのは結婚を約束した彼女でもないのだが。 「……お前が選ぶ旅館っつーからまた変なババア出てきたりすげー壁に御札ベタベタ貼られたところ選ぶのかと思ったんだけど、普通にいいところだな」 「なんだよそれ、俺の選ぶところいつもいいだろ?」 「ある意味な……けど、まともに寝れないところは勘弁してくれ」 「はは、大丈夫。ここは埋め立てられた客室以外に曰くはないから」 「そ、そうか……」  何が大丈夫なのか何一つ理解できないのだが、まあいいや。  たっぷり絶景を楽しんだ俺は、居間と寝室、それから取り付けられた設備を確認する。……よし、どこにも御札もなければ『ニゲロ』という書き込みは見当たらない。  一通り荷物を片付け、俺と仲吉は一旦腰を落とした。  ここへ来る途中寄ったコンビニで買っていたジュースと弁当、それと、ここに来るまでに何度も見せられた仲吉が毎月購入している胡散臭いオカルト雑誌を机の上に広げる。件の洋館の写真と、仲吉が独自でネットで調べたマップを印刷した紙。  そう、今から始めるのは今夜の肝試しの作戦会議だった。 「それで、どうする?」 「どうするって、何が」 「今夜、ここに行くのかって話。雨は大分落ち着いたけど、多分、つーか間違いなく足場泥濘んでると思うぞ」 「だーかーら、大丈夫だって。俺縄持ってきてるから、もし落ちそうになったらこれをお互いの身体と近くの木に引っ掛ければ問題ないって」  俺達は何しにいくんだ、山登りか、アスレチックか。思わず突っ込みそうになったが、どうやら仲吉は諦めるつもりはないらしい。 「俺が心配なのは夜、暗い中で足を取られた場合だよ。それを避けるためなら、明日の昼間……いや、一晩もあればきっと足場も固まってると思うんだけど」 「嫌だ、昼間に行く肝試しなんて全然怖くねーもん。……じゃなくて! 幽霊は昼間は行動しないんだって。この本に書いてあったし」 「なら、明日の夜……は、帰るのがきつくなるしなぁ……明後日は俺も仕事あるしお前も学校あるだろ?」 「だから、今夜行けばいいだろ。大丈夫だって、死にやしねーからさ」 「お前なぁ……」  だけど、こいつが言うと説得力があるのも事実だ。  何も考えずに道端のキノコ焼いて食った時も毒キノコだったにも関わらずなんか生きてるし、海で遭難し掛けても普通に泳いで帰ってきてるし、……なんというか、悪運が強いのだ。  そんなやつだからこそ、一人にさせることができないのかもしれない。  俺が辞めたほうがいいといってもこいつはいうことを聞かないだろう。  それどころか、単身で突っ込むはずだ。  それでなんか事故に巻き込まれるくらいなら……ええい、度は道連れというやつだ。 「っ……分かった、わかったよ。なら、今夜決行でいいんだな?」 「だーかーら、最初からそういってんだろ? 風呂上がって二十一時頃出よーぜ。フロントには二十四時頃戻るっつってさ」 「風呂入るのかよ。湯冷めしねーか?」 「肝試しに行くんだぞ? 身体清めないとダメだろ!」 「初めて聞いたんだけど……」  途中脱線しながらも、なんとか話は纏まった。  どうやら目的の洋館までは車で途中まで行けるという。が、途中で車が通れなくなるからそこで降りて、徒歩になるかもしれないらしい。  何もなければいいんだが。そんなことを思いながら、俺はおにぎりを齧った。空腹にはやけに上手く感じた。 「幽霊の目撃証言、あんま大したのねーな」  俺は、仲吉が愛用している地域別心霊サイトの情報交換サイトを眺めていた。  他にも、仲吉のオカルト仲間から聞き出したその洋館にまつわる噂などをまとめた仲吉お手製のオカルトノートを読んだのだが、子供の泣き声が聞こえるとか、虫が降ってくるとか、いつの間にかに飲み物がなくなっているとか、そんなしょうもないものばっかだ。  普段の仲吉なら「下級霊の仕業だなー」とか適当抜かして流しそうなものなのに、何故こんな場所に目を付けたのかが正直不思議なところだ。 「お前って、こういうとこよりも殺人があった場所とか……なんつーか、不謹慎だけど、明らかにヤバイ、出そうってところばっか選んでるイメージあったんだけど……今回はなんか平和そうだよな」 「……まあな、俺も、最初は気にも止めてなかったんだけど……取り敢えず、行けそうな心霊スポットは一通り調べるんだよ、俺。場所とか、噂とか。……それで、調べてる内にちょっと気になるもの見つけてな」  そう言って、仲吉は数枚の写真が載っている紙を俺の目の前に出した。 「……これは?」  色んな廃墟の写真が載った写真だ。  一枚は雑誌に掲載されているものと同じ洋館が映っていたが、他のものは画質はあまりよくなかったが、違う廃墟のように見える。 「これ、全部今からいく洋館を撮った写真らしいんだよ」 「……なんだよそれ、あれじゃないのか。嘘とか、捏造とか」 「ネットで拾ったものだからそうかもしれねーけど、ここ、この二枚の写真なんだけど……分かるか?」  夜に撮ってて、しかもボケてるその画像はとてもじゃないが鮮明とは思えない。  それでも、仲吉が指差した二枚の画像からは何やら花壇……だろうか。不自然に積み立てられた煉瓦のようなものが見えた。  しかし、どちらの画像も背景で佇むのは別の建物だ。雑誌の半壊した洋館と、もう一つの画像は骨格しか残っていない、コンクリートの建物。 「なんか特徴的な積み方だし、もしかしたらそれぞれ同じ建物を別の場所から撮ったものという可能性もあるけど……それでも、俺には同じ場所のように思えるんだ」 「……作為的なものじゃなくて?」 「それを確かめにも行くんだよ。だって、こんなの見つけちゃったら自分の目で確かめて見たくなるだろ?」 「……まあ、たしかにな」  現時点で俺も、中々胸の奥がもやもやして気持ち悪い。  俄信じれる話ではないが、少しだけ、興味が出てきたのも事実だ。……俺も、大概仲吉に毒されてきているのかもしれない。 「ま、そういうことだよ。それに、この辺りでは事故が結構多いんだ。この屋敷が関係してるのかわかんねーけど、『確実に何か轢いたと思って慌ててブレーキを掛けたらそこには何もなかった』とか、『後部座席に何かが映っていた』とか」 「お、おい……車系の話はやめろよ。今夜乗るんだぞ」 「大丈夫、俺は安全運転心掛けているから轢かねーよ」  そこじゃねーよ。  ……けどまあ、有りがちな話だが、関係がないかと言われればなんとも言えない。  けれど、もしそれが本当だとしたら……勿体無いな。こんなに良い旅館なのに近くにそんな物騒な噂立ってんなら。  他人事ではあるが、同情せざるを得ない。 「それじゃ、俺は今夜に向けてちょっと体力つけときますかねー」  仲吉はその場に座布団を枕にしながら寝転がる。  もう寝るのか、と思ったがここまでずっと長時間ハンドルを握ってきたんだ。  一緒に旅館を回りたかったが、運転疲れのところを邪魔するわけにはいかない。 「つか、寝室で眠ればいいだろ」 「布団ねーからいいんだって。どこでも。んじゃ、おやすみ。二時間くらい寝るわ」 「……おやすみ」  少しも経たない内に仲吉の規則正しい寝息が聞こえてきた。相変わらずどこでも眠れる男だ……。  枕が変わると中々寝付けない俺からてみれば羨ましいことだった。  それから仲吉が目を覚ますまで俺は二時間旅館のロビーに設置されていたマッサージチェアで過ごしていた。  気付いたら眠っていたようで、飛び起きたときには辺りはすっかり暗くなっていて、俺は慌てて部屋へと戻る。  それから仲吉を起こし、晩飯の時間になれば部屋へと運ばれてくる豪華な和食をたらふく食い、そして腹いっぱいになったところで風呂に入ることにした。  露天風呂に泡風呂、砂風呂、おまけにサウナと俺が大好きなもの網羅した風呂にテンションあがったが、これから外に出ることを考えれば長居することもできない。  露天風呂ですっかりぬくもり、残りは帰ってきてから楽しもうということで俺達は風呂を出た。  そして、約束の二十一時。旅館のフロントに鍵を預け、俺達は最低限の荷物を持って駐車場へときていた。 「つかお前、その格好で行くのか? 上は」 「えー? 暑いじゃん」 「いくらなんでも軽装すぎるぞ、そこらへんの墓場に行くのと訳違うんだからな。ほら、これ雨も凌ぐからちゃんと着てろ」  てろてろのTシャツ一枚で車に乗り込む仲吉に、俺は念の為持ってきてた上着を渡す。どうせこの調子じゃ虫が出る可能性も考えてないはずだ、本当に俺がいなかったらどうするつもりだ。  渋々着替えた仲吉は、気を取り直してエンジンをかける。 「あー、テンション上がってきた!」 「だろうな。……つか、これからいく廃墟って、途中そんな険しいところ通るわけ?」 「うーん、一応ちゃんといけるようになってるはず……らしいんだけど、わかりにくくなってるらしいんだよな」 「随分とあやふやだな」 「結構崖とか多いらしくてさ。下手に一回落ちたらそっから先は樹海になってて、それで転落死……なんてこともザラにあるだとか。ある場所がある場所だから、取り壊すにも取り壊せないらしいな」 「っ、待てよ……樹海だって?」  それを聞いて、ゾッと背筋が凍る。 「大丈夫大丈夫、ちゃんと御札持ってきたから」 「馬鹿、そっちじゃねえよ。……普通に危ない場所じゃねえか」 「大丈夫だって! 全員が全員事故ってるわけじゃねーんだ、こうしてちゃんと写真残ってるわけだし崖に気をつければいいんだよ」  全くフォローになっていない仲吉の慰めに、俺はもう今すぐこの車から飛び出したかった。 「……帰りたい」 「もう廃墟に向かう道入っちゃったからそれ無理だな」  通りで、先程までぽつぽつとあった電灯がなくなったわけだ。俺はもうなんだか生きてる心地がしなかった。 「……俺が運転代わる」 「おいおい、大丈夫だって言ってんだろ。どんだけ怖がりなんだよ……おわ!」  いきなり声をあげた仲吉は、慌てて車にブレーキをかけた。揺れる車体に驚いて、「どうした」と運転席の仲吉に目を向ける。 「や……行き止まりになってるなーって思って」 「……は? 行き止まり?」  そう、仲吉の視線の先。  ヘッドライトで照らされたそこには砂利道があって、その先は道を塞ぐように立て札が立っていた。そこには『立入禁止』の文字。 「じゃあどうすんだよ、ここから」 「どうもこうも、車降りるしかないだろ」 『帰る』という仲吉の言葉を期待していた俺は、予想してなかった仲吉の行動に頭が痛くなった。 「……いやいやいや、危ねえって絶対。おい、戻れって! こら!」  車の外へ降りる仲吉を慌てて呼び止めるが、仲吉は笑いながらこちらに向かって手を振り替えしてくるだけだ。  ヘッドライトの明かりが微かに仲吉の顔を照らす。  馬鹿だ、絶対あいつ馬鹿だ。  ここは山奥だ。そこらへんの平地ではない。おまけに、雨上がりで泥が泥濘んでる。暗がりでまともに視野もきかないというのに。命知らずにも程がある。 「おい仲吉!」  仲吉の後を追うように車を降りれば「聞こえてるっつーの」と懐中電灯をこちらに向ける。 「……やっぱり、今日は帰ろう。明日また明るいときにきたらいいだろ」 「なんでだよ、夜じゃねえと雰囲気でねーだろ」 「なんでもクソもねえよ、ここ、まじで危ねーって」 「だから肝試しなんだろ? 怖えなら車の中で待ってたらいいだろ」 「はぁ?」 「しっかし、残念だな。お前がここまで怖がりだなんて。やっぱりビビってんじゃん」  こいつ、人の気も知らないで。  頭にきた、そりゃそうだ。人が本気で心配してんのにこいつは……。  そう思うと付き合ってられなかった。 「っ、ああ、そうかよ、じゃあ勝手にしろ!」  やってしまったと思ったときには遅かった。  気は長い方ではない。それに、俺も仲吉もお互いに譲らない性格だし、喧嘩だってしょっちゅうしてた。けどその度に途中でバカバカしくなって、何事もなかったようにいつも通りに戻る。  ……けれど、今回は違った。  俺は仲吉を残して、車へと引き返したのだ。  人が本気で心配してるのを茶化すやつがいるか?  能天気馬鹿だと思っていたがここまでとは思わなかった。  助手席に乗り込んだはいいが、仲吉がいなけりゃ意味がないことに気づく。  あいつだって、すぐに帰ってきたらいいんだ。やっぱ何もなかったわ、お前の言ったとおりだったなって。そうしたら、許してやらねえこともなかった。また帰ってサウナでも入るかって笑えたのに、それなのにあいつは十分経っても戻ってこなかった。  おかしい、というのはすぐに気付いた。けれど、余計な意地が邪魔して様子を見に行くことを憚れた。  二十分経とうとして、流石に音沙汰ないのをおかしいと思った俺は車を降りた。湿気を孕んだ熱気が全身に纏わり付いてくる。静まり返った夜の空気の中、「仲吉」とあいつの名前を口にするが、返事が返ってくることはなかった。  なんだよ、あいつ、どこまで行ったんだ?  行き止まりの立て札を見て、息を飲んだ。そこには確かに足跡が残っていた。  これから先は今までの舗装された道路とは違う、草木が生えた樹海が広がっている。  ちくしょう、仲吉のやつどこまで行ってるんだ。  舌打ちをし、通路を塞ぐチェーンを跨ぐようにその樹海へと足を踏み入れた。  ……馬鹿なことをしたと思う。  けど、恐らく俺は冷静ではなかった。  懐中電灯代わりの携帯端末を手に、あたりを探る。  どこを見ても同じような風景が広がっていた。車のヘッドライト点けっぱなしのお陰で帰り道には迷わないはずだが……それでも時間の問題だ。  さっさとあいつを見つけて帰ろう。  そう思ったとき、不意に木々の奥で音がした。草を踏むような、枝が折れるようなか細い音だ。 「仲吉っ?」  俺は咄嗟にその音がした方へと向かった。  濡れた草が足元に絡まる感覚が気持ち悪かった。どんどん樹海の奥に来てるような錯覚に陥るのだ。  出た先は暗闇だった。  何もない、何も見えない。手元から携帯が滑り落ちる。あ、と思ったときには何もかもが遅かった。明かりは落ちる。端末が落ちた先は崖になっていたらしい、転がっていく端末に「うそだろ」と思わず呟いていた。最悪どころの問題ではない。拾いに行くか迷ったが、これ以上下手に動いて落ちては危ない。  別の道を探すか。そう、立ち上がろうとしたときだった。  体のバランスが崩れた。  違う。なにか強い力で背中を押されたんだ。そう気づいた俺は、咄嗟に後ろを振り返る。ひたすら広がる暗い闇の中に、ぼんやりと人の顔が見えたような気がした。それは、死神の顔のようにも見えた。  ……おい、仲吉。死にやしないんじゃなかったのか。  そんなことを思いながら、俺はきつく目を瞑った。来るであろう衝撃に備えて。  そして、それはやってきた。  何かが潰れるような音とともに、俺の意識は途切れた。

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