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03

 屋敷の外はやはりまだ暗い。  雨は確かに上がっているようだが、地面はまだ泥濘んでいる。足跡も……残っている。死んでいるのにこうして実体を残している。それも生前のように。  ……どうなってるんだ、この体は。 「……っくそ……わけわかんねえ……」  とにかく、一度俺は自分が死んだあの崖の下へと向かうことにした。仲吉のことも気になったが、死体の無事を確認したかった。……というよりも、まだ俺は自分が本当に死んでいるのかどうかを認められなかったのかもしれない。  庭先を抜ければ辺りには樹海が広がる。数歩歩けば真っ暗で、そんな中、俺は花鶏に連れてこられたときのことを思い出しながらおおよその方角へ歩いていた。  屋敷の周辺はよく草木の手入れがされているようだが、樹海はほとんど触っていないようだ。伸び放題の雑草に、夜空を覆うように高く生えた木の天井。  転ばないようにしないとな。  時折近くの木を手すり代わりにしながらも歩くこと暫く……俺は見事道に迷っていた。  どこを歩いても似たような道ばかり、本当に自分がまっすぐ歩けているかどうかもわからない。  こんなんじゃ、屋敷に戻ることもできないぞ。そう、舌打ちをしたとき。 「だから言っただろ、最初から俺を頼ってくれればいいのに……って」 「ッ!!」  いきなり背後から肩を掴まれ、口から心臓が飛び出そうになったとき。振り返ればそこには猫のように目を細めて笑う幸喜が立っていた。 「っ、ぷ、……く、ははっ! やっぱり準一、お前いい反応するなー」 「っ、幸喜、お前……どうして……」 「ずっと後ろからついてきてたんだよ。どうせ、おっちょこちょいな準一のことだし迷子になるだろうなーって思って」 「……っ」 「外の空気が吸いたいなんて嘘だろ、本当は自分の体の無事を確認したかった。そうだろ?」 「……お前……っ」  わかってたのか。頭が悪そうに見えて、俺の行動まで見透かされていたことにカッと顔が熱くなる。  言い淀む俺に、幸喜は「当たりだ」と嬉しそうに笑った。  そして、俺の横を通り抜け、前へと立つ。 「連れて行ってやるよ、準一が見事に頭から突っ込んでいたあそこ」 「気になってたんだろ?」と得意げに笑う幸喜。  ……こいつに妙な真似されていないか確認するために向かうのに、なんでこいつと一緒に行かなきゃいけないんだ。  思ったが、俺一人では恐らく一生あそこにたどり着くことはできないだろう。  それがわかっただけに、悔しかったが俺は幸喜の好意に甘えることにした。  幸喜についていくこと数分。  こいつ、めちゃくちゃ喋る。俺が黙ってても一人で上機嫌に話してるし、本当に静かになることがなかった。とはいえ話すことはといえば他の住人たちのことか、主に藤也の反抗期事情について長々話していたが、不意に「おい、準一」と幸喜は俺を見た。 「……なんだよ、どうした?」  いきなり者が見込み、近くの木陰に隠れる幸喜はこちらを手招いてくる。なんで隠れる必要があるのかわからなかったが、つい流れで幸喜の隣に屈んだとき、その視線の先にあるものに気付いた。  その先には、どこか見覚えのある景色が広がっていた。  かなりの高さがある絶壁、その側には俺だったものが転がっている。雨で流されたのか、あまり血は目立たなかったがそれは直視できるような状況ではない。  昨夜見たときと印象が違うように感じたのは、月が出ているからだ。月明かりに照らされた自分の死体の傍に、もう一つ影があることに気付いた。 「っ、……なか、よし」  俺の死体の側でうずくまる友人の姿に、俺は無意識に名前を口にしていた。 「なんだ、まだあいついたのか。よくここまで来れたな」  そう、立ち上がった幸喜は仲吉の元へと歩み寄る。  幸喜が草むらの上を通るたびにガサガサと派手な音がし、「なにやってんだ」と俺は慌てて止めるが……仲吉は動かない。 「ほら、こいつまったく俺に気付いてないっしょ。こういうやつって脅かし甲斐がないからつまんねーんだよなー」  確かに、幸喜のいうことは本当のようだ。あんなに幸喜が近くにいるというのに、仲吉は特に反応もしない。  ただなにも言わずに、じっと地面を見つめているだけだ。  泣いているのだろうか。それとも、生で見た死体にショックを受けて動けないのか。  俺にはわからなかった。けれど、これは俺が知ってはいけないものだと、そんな風に思えた。 「準一もこっちこいよ」 「……帰るぞ」 「えーなんでだよ。せっかくお友だちに会えたんだろ?つめてーなあ準一は」  つまらなさそうな声をあげながらも、幸喜は渋々立ち上がる。  じゃあどうすればいいんだ。俺に、近付いて慰めろとでも言うのか。  仲吉だって、俺のことが見えない。声も届かないし、どうしようもない。なにもできないのをわかってて、途方に暮れてる友人をただ見てろというのか。 「……勝手に言えよ。俺は、死体が見るのが目的だったんだ」  それだけ言って、俺はその場を離れた。ブーブー文句を言っていた幸喜だったが、やつも興味を失ったらしい。すぐに俺の後ろからついてくる。  仲吉の姿を見て、改めて自分が死人であることを痛感させられた。仲吉の中でもう俺は死んでいるのだ。  いくら仲吉が馬鹿だからとはいえ、流石に気付いているだろう。あれが俺だってことを。  仲吉はどんな気持ちで俺の死体を見ていたのだろうか。  この場に幸喜がいなければ俺はどうしていたのだろうか。  もし仲吉に俺の声が届いたとすれば、俺は仲吉になにを言うのだろうか。 「準一、準一ってば、待てって!」  ふと、後ろからついてくる幸喜が大きな声で俺を呼ぶ。  林の中。呼び止められ、俺は足を止めた。 「……なんだよ」 「そっから先、行き止まり」  幸喜は、そう言って俺の背後を指差した。俺は幸喜の指す方へ振り返る。  そこには先ほどと変わりない風景が続いていた。見渡す限りの緑、緑、緑。  行き止まりって、道がないとかって意味じゃないのか。  確かに樹が多いだけに歩きにくそうだが、崖や川など道を塞ぐものは見当たらない。 「……なんかあるのか?」 「まああるっちゃあるよ。気になるなら自分で確かめてみれば? 実際、その方が早いかも」  挑発するような含んだもの言いをする幸喜に引っかかったが、まさか結界とか言い出すわけじゃないだろうな。どちらにせよ、俺がからかわれているのには違いない。 「わかった。どこに行けばいいんだ?」 「そのまままっすぐ。……ああ、そうそう。もうちょい先。あと五歩くらいかな」  五歩か、五歩目になにか起きるとでもいうのか。  ありがたいような、迷惑のような忠告をしてくる幸喜に、俺は前を向き一歩踏み込んだ。  瞬間、 「……は?」  前に出した右足に酷い激痛が走る。  予期せぬ衝撃に俺は思わず間抜けな声を漏らす。  まるでノコギリかなにかの刃をふくらはぎに叩き込まれたような激しい痛みに、俺は飛び退いた。  咄嗟に右足に目を向けるが、ちゃんと足はついている。  そして、先ほどの一瞬の痛みは既になかった。 「どう? よくわかっただろ? そこ、なんかあるんだよ。花鶏さんが言ってたんだけど、この辺で死人でまくったときに坊さんがなんかやったらしい」 「んで、外へ出ようとしたら拒まれるんだって。すっげー痛いだろ。俺もそこに最初引っかかったとき、死んでんのにまじ死ぬかも! って焦ったし」幸喜は、そう他人事のように笑った。  まだなにが起こったのか理解できていなかった俺は、虫の息のまま目の前にある大木を見上げた。  お札のようなものは見当たらなかったが、表面になにか文字のようなものが彫り込まれていた。薄汚れてわからなかったが、注連縄のようなものも巻き付いている。恐らくこれが痛みの原因なのだろう。  彫ってからかなり経っているようで、表面に苔が生えてなにが彫られているのかはわからなかった。  よく見ると、その隣の樹木にも似たような木彫りが施されていた。  まるでこの林一帯を囲うように樹に彫られたそれは、俺たち幽霊をこの山から出さないように閉じ込めているのだろう。  幽霊になれば移動範囲が広がるんじゃないかと思っていたが、まさかこんな目に遭うとは思わなかった。  なんで花鶏がそんなことを知っているのかも気になったか、それよりも俺にはもっと気になることがあった。  いや寧ろ、言わなければ気が済まないことだ。 「……お前、五歩とか嘘つくんじゃねえよ」  ようやく平常心を取り戻した俺は、怒鳴り付けたいのを必死に抑え込みながら幸喜を睨んだ。  俺の言葉に少し驚いたような幸喜だったが、次の瞬間ゲラゲラと笑い出す。 「だってほら、あれじゃん? 変に構えてっからさあ、俺は準一がリラックスできるようにと思って言ったんだよ。そんなプリプリすんなって」  一頻り笑った幸喜は、頬を緩めたままそう続ける。  なにがリラックスだ。リラックスしている途中に殺人鬼がやってきたようなものだぞ、これ。  言い返してやりたかったが、いまの痛みで無駄に体力が削られた俺にそんな気力が残ってない。 「お前な……」  あまりにも呆れた俺の口からは、それ以上なにも言葉はでない。どうせ、言ったところで幸喜は笑うだけだ。  幸喜を相手に真剣に説教する気にもなれなくて、俺は二度目のため息をつく。 「いやーでも可笑しかったなあ。ビクッてなってたもん、準一。可愛かったよ」 「……っ、クソ……」  こいつ、完全に馬鹿にしている。  ……と、そこまで考えて、俺はとある事実に気が付いた。  痛みだ。死んだ今、確かに俺は痛みを感じた。  感じないわけではない、ならば幽霊になったことのメリットは死なないということだけか?  そう考えると、この体が不便に思えて仕方なかった。  生きている相手には気付いてもらえないし、声も聞こえない。死にはしないが、痛みは感じる。  しかも俺に至っては行動範囲が制限されるという余計なおまけ付きだ。……最悪だ。 「なんだよ、準一も反抗期? 藤也といい奈都といい、準一ときた。俺の周りは反抗期ばっかだなあ、もっと大人になろーぜ」 「……」 「んじゃ、次行くか。どこ行く? あっ、このまま帰るってのはなしな。なんなら、俺たちが移動できる範囲を案内してやろうか」  ここから出ることは難しいとわかった今、確かにこの辺りの土地鑑はつけていた方がいい。わかってはいるが、仲吉がまだこの森にいる。  ……正直、仲吉に会いたくなかった。  また仲吉の顔を見て、俺はいつものようにいられる自信がない。  幸喜は俺が冷たいと言った。だけど、それは違う。俺はただ、保守的なだけだ。  痛々しい仲吉を見たくないのは、そんな仲吉の姿を見て自分が傷つきたくないからだ。 「……今日はもうこれでお開きにしようぜ」 「えーなに? 準一もう疲れちゃったわけ? 大丈夫、大丈夫! まだいけるって! ほら、早くいこーぜ」  まったく人の話を聞いていない幸喜は、言いながらぐいぐいと俺の腕を引っ張る。本当にこいつは強引というか……子供が図体だけでかくなったみたいな自由なやつだった。けれど、今回はまた話が違う。 「明日でいいだろ、明日。今日はだめだ」 「どうして今日はだめなんだよ」 「……どうしてもだよ」  正直に答える必要もないと感じた俺はそうはぐらかすことにした。すると、幸喜はいまの俺の態度でなにか思い付いたのだろう。「あ、わかった!」と閃いたように手を叩く。そして口元には不敵な笑みを 「あいつだろ? さっきの、準一のお友だち。あいつがいるから準一、外出たくねーんだろ?」 「……っ」 「なんだよ、どーせ図星なんだろ? 俺頭いいからさ、わかっちゃうんだよねー。そういうの」 「だから、違うって……」 「あいつのせいで準一が出たくないってんなら、俺が追い出してやるよ」 「仲吉は関係ないって言ってんだろッ!」  こいつが何しでかすかわからない現状、なるべく仲吉に近付けたくなくて、咄嗟に俺は幸喜の腕を掴んだ。  大きな瞳がこちらを見る。何を考えてるのかわからない、真っ直ぐな目。 「……っ、わかったよ、お前に付き合ってやるから……だから、あいつのことは放っておいてくれ」 「ははーん、なるほど。準一お前、そこまでして俺と遊びしたいってわけか」  癪ではあるが、こうすることしかできない。「ああ」と渋々頷けば、幸喜はにいっと広角を持ち上げて歪に笑う。 「……なあ、屋敷まで送ってくれよ。いいだろ」 「んー? 準一はお部屋遊びのが好みなのか? しっかたねーなあ、そこまでいうなら俺が案内してやらないこともないけど? この、先輩の、俺が?」 「ああ、よろしくな。先輩」  こいつの機嫌取りのためとはいえ、癪だがこうするしかない。けれど、ここまでくればこっちのもんだ。  それから、俺ははしゃぐ幸喜に引き摺られるようにして屋敷まで戻ってくことになった。

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