6 / 107

04

 ようやく屋敷に辿り着いた時には既に日が登っていた。蝉の声が響き渡る樹海の中、夜に比べて大分視界が利くようになった空の下。 「ただいまーっと」なんて、言いながら雑に扉を開ける幸喜に続いて俺は屋敷に足を踏み入れた。  窓から朝日が射し込む屋敷内。けれどやはり陰鬱とした空気は変わらない。 「あれ、皆部屋にいんのかな」 「……みたいだな」 「じゃーどうする? どこで遊ぶ? そうだ、俺の部屋来る? 俺の自慢のトカゲコレクション見たい?」 「……み、見たくねえよ……。それよりも、帰ってきたんだから一回花鶏さんたちに挨拶した方がいいんじゃないか」 「えー? 別にんなの気にしなくてもいいのに。準一ってばまじで真面目だなー」  お前と二人きりになりたくないだけだ、とは口が裂けても言えないな。  階段を上がり、二階にある客室までやってきた俺たち。  扉を開けば、そこには先客がいた。  奈都と藤也はなにやら話していたようだ、入ってきた俺たちを見るなり、奈都の方は主に幸喜の顔を見て露骨に嫌悪感を顕にする。 「……おかえり」 「おー! ……つか、あれれ? 花鶏さんたちいねーの? 二人だけ?」 「花鶏さんなら南波さんと一緒にさっき食堂に行った」 「ふーん。じゃあなんで藤也ここにいんの?」 「南波さんについて来るなって言われたから」  やはり、こうして見れば見るほど二人は似ている。  双子なのだから当たり前なのかもしれないが、似ているのは顔だけだ。話し方や表情からして対照的なせいもあるだろうが、ここまで印象が変わるものかと感心すら覚える。 「なにそれ、すっげー楽しそうじゃん。そーだ、準一、俺たちも行こうぜ」 「は?……いや、でも……」  あの南波とか言うチンピラ、どう見ても俺のこと嫌いだろ。それなのにわざわざ会いに行くなんて、余計怒らせやしないだろうか。  躊躇う俺に、幸喜は有無も言わせず俺の腕を掴む。 「ほら、行くぞ。ついでに屋敷の中も案内してやるからさ!」 「っ、お、おい……! 引っ張るなって!」  本当にこいつは勝手なことばかり……!  振り払いたかったが、こいつ、見かけによらず力が強い。体を引っ張られればなす術がない、せめて転ばないようにバランスを取るのが精一杯だった。  あっちこっちと思い付きで連れ回される。  二人きりになるよりましだと思いたいが……。  どうやら幸喜のいう食堂とやらは一階にあるようだ。  階段を降り、ロビーを抜け、通路の奥へと進む。  しかし、本当に広い屋敷だな……。軋む床板。埃っぽさは否めないが、それでもここまで形が残ってるのはやはり花鶏が手入れしてるからか。  そんなこと考えながら廊下を歩いていると、どこからかバカでかい声が聞こえてきた。 『どうして男ばっか増やすんだよ。いっつも女連れてこいって言ってんだろうが!』  乱暴な声に荒い口調。確か、これはあの南波とかいうチンピラの声だろう。  一際目立つ重厚な扉の前、幸喜は足を止めた。 「また南波さんが駄々捏ねてる」 「またって……」 「あの人、女に目がないんだよ。この間なんてババア来たとき口説こうとして振られてたからな!」 「そ、それは……すごいな」  確かに女遊びが派手そうな男だが……そうなると、益々申し訳ないな。  扉をそっと押し開き、僅かな隙間から中の様子を覗く幸喜。勝手に見ちゃいけないんじゃないのか、こういうのは。  思ったが、幸喜に手招きをされ、つい俺も幸喜の真似をして中を覗いた。  広い室内に、長いテーブルが一つ。その側にはざっと十脚以上の椅子が並べられていて、テーブルの上には蝋燭立てが間隔をあけて置かれていた。  ぼんやりと蝋燭に照らされたテーブルの近く、二人の姿を見つける。どうやら、ここが食堂のようだ。 「……いけませんねえ、また欲求不満ですか。そこら辺のタヌキでも引っ張ってきましょうか。運が良ければ化けてくれるかもしれませんよ」 「人聞き悪いこと言うんじゃねえ! 俺はなぁ、なんで男ばっか住ませるんだって言ってるんだよ! ……しかもあんな……俺に対する嫌がらせか?!」 「それについては幸喜たちに言ってください。毎回新入りを引っ張ってくるのはあの子たちなんですから。……それに、華ならここにあるじゃないですから。ほら目の前に」 「ふざけんな、こっちは真剣に話してんだよッ!」 「……連れてこい連れてこいと言ってますが、ここ数年はここのあたりは封鎖されてるようですからね。……そんなに女遊びをしたいのなら大人しく成仏した方がいいと思いますが」 「できるならしてんだよ、クソッ! 誰が好き好んでこんなむさ苦しい場所に……ッ!」 「……全く、右も左もわからなかった貴方に手を差し出したのは余計なことでしたか。これは傷付きますね」 「……っ、チッ……いつの話を掘り返してんだよ……!」 「出ていきたいのなら引き留めませんよ。……しかし、出ていったところでどうにもならないのは貴方も私も同じです。……目処が付くまでは大人しくしておいた方がいいと思いますがね」  なんの話をしてるのだろうか。  諭すような花鶏の言葉に、南波は苛ついたように舌打ちをした。 「……それと、南波。お二方が見ています。あまり恥を晒さない方がいいんじゃないでしょうか」  そして、花鶏がゆっくりとした動作でこちらを振り返る。確かにその目がこちらを向いたとき、ぎくりと体が緊張した。 「まったく……盗み聞きとは感心しませんね。こちらへ来なさい、幸喜、準一さん」 「い……ッ」 「なーんだ、やっぱ気付いてたのか。花鶏さんにな敵わないなぁ」  バレてる。  そして当たり前のように食堂へと入っていく幸喜にもぎょっとする。それは、南波も同じだった。  恐る恐る花鶏たちの元へ向かえば、南波は露骨に青ざめた。 「花鶏、お前気付いて……」 「ええ、もちろん。てっきり南波も気付いてると思ってたんですが……」 「……クソが……ッ!!」  苛ついたように花鶏の傍の椅子を蹴り倒し、やつは俺たちが入ってきた扉とは別の扉から食堂を出ていく。  ……やっぱり、すげー嫌われてる。 「まったく、南波の人見知りも相変わらずですね。……どうか気を悪くしないでください」  人見知り……というレベルではない気がするが。  蹴り倒された椅子をそっと戻しながら、俺は南波が出ていった扉を見た。……なんか悪いことしたな。 「それで、どうでしたか? 息抜きは。なにかありましたか?」 「息抜きは……まあ……」 「息抜きどころか準一のやつ、途中で迷子になってたからな!」 「……っ、悪かったな」 「ふふ……なるほど、通りで二人で一緒にいるわけですね。まあ、仲良くすることはいいことですね」  ……仲良くしてるように見えるのか、これが。  反論したかったが、幸喜にまたうざ絡みされては溜まったものではない。俺はぐっと堪えた。けど。 「だろ? 俺って人から好かれやすい性格してるからさあ、どんな人とも打ち解けれるっていうか。まあ俺の性格がいいんでしょうね!」 「そうですか。幸喜はいい子ですからね、準一さんもさぞかし嬉しいでしょうね。あなたのような方と仲良くなれて」 「んだよ準一、そんなに嬉しかったかのかあ。水くさいなー」  絶対今の花鶏さんの皮肉だぞ。  思ったが敢えて黙っておくことにした。確かにまあ、こうして普通にしてるとまだ子供らしくて可愛いところもあると思うが……いやだめだ、こいつは可愛い顔してても殺人犯だぞ。 「……あ、そうでした。準一が出掛けている間、貴方の部屋を用意してたんですよ」 「部屋?」 「ええ、これからここで暮らすとなれば自室は必要でしょう。丁度空いていた部屋があったのでそこを少し片付けたんです。よろしけばこれからご案内したいのですが……」 「ええ、俺は大丈夫です」  内心ドキドキしながら頷く俺に、花鶏は「それは丁度よかった」と笑った。  俺の部屋。まさかわざわざ用意してもらえるなんて思いもしなかっただけに、死んで初めて少しだけ嬉しくなってしまった。……いやだめだ、信用するな。そう言い聞かせるが、プライベート空間があるだけ助かる。  ……そもそも幽霊相手にどこまでプライベートが許されるかも甚だ謎だが、一先ずこれは喜ぶことにしておこう。 「やー準一の部屋かー、もちろん俺の隣っすよね!」 「さあ、どうでしょうね」  先頭を歩く花鶏に続くように食堂を後にした俺たちは、二階に向かう。  客室の前を通りがかったとき、丁度客室の扉が開いた。 「……どこに行くの?」  現れたのは藤也だった。  睨むような視線といい、無愛想さといい、まだなかなかどう接したらいいのかわからないやつだが花鶏も幸喜も藤也のこの感じにも慣れてるようだ。 「これから、準一さんを部屋までつれていくところです。藤也もどうですか?」 「……幸喜も?」 「そーそー! 準一の部屋に遊び行こうと思ってさ!」 「……じゃあ、俺はいい。……ここで待ってる」  藤也はそれだけを口にすれば、そのまま客室へと引っ込む。幸喜とは仲が悪いようには思えないが……いまいちわからない。 「じゃあ、私たちも先へ行きましょうか」という花鶏の言葉により、俺達は再び歩き出した。  花鶏の向かった先には長い通路が続いていた。  明かりはというと窓の外から射し込む微かな日光くらいか。一人で歩いていたらきっと心細さに怖くなるだろう、それほど静かな場所だった。  立て付けが悪いのか半開きになった扉もあれば、綺麗に斧が突き刺さった扉もあった。そしていくつかの扉の前を抜けたとき、ようやく花鶏は足を停めた。 「さあ、つきましたよ。……こちらが、準一さんの部屋になります」  とある扉の前までやってきた花鶏は、そう扉を開いた。  扉を開けば、そこには薄暗い室内が広がっていた。  ……なにもない、窓が一つ、部屋の奥にあるくらいか。  花鶏が掃除してくれたのだろうか、床も埃一つない。空気の入れ替えのためか開かれた窓からは生ぬるい風が吹き込んだ。……正直、文句はなかった。寧ろ、牢屋みたいな部屋を与えられるのではないかと思っていた俺からしてみればものはないがましな部屋だと思う。 「うっわ、なんもないじゃん」 「私もベッドぐらい置いていた方がいいと思ったのですが、長い間放っていたお陰でここにあった家具の状況が酷くて……多少汚れが気に入らないというなら戻しますが」 「いや、大丈夫です。……寧ろ、想像よりも全然いいってか……」 「おや、どんな想像してたんですか?」 「……はは、それは……まあ」  笑って誤魔化しながら、改めて部屋の中に入った。  殺風景ではあるが、衣食住という概念のなくなった俺からして見れば家具の有無は些細な問題だ。 「やはり、一人になる時間というのは誰にでも必要ですからね。この部屋は、準一さんの好きなようにして構いません。この屋敷の中にあるものでしたら好きに使っていいので、持ち込みたい家具などあれば言ってくださいね。手伝えることなら手伝いますよ」 「え、いいんですか?」 「ええ、もちろん。貴方は大切な客人なので。……いえ、これからは隣人になるのでしたね」  ずっと胡散臭いと思っていた花鶏が、初めていい人に見えた瞬間だった。  正直な話、疑っていた。無理矢理殺されて、一緒に暮らすしかないと言われ、得体の知れないやつらと一つ屋根の下で暮らす羽目になった今、まともな生活は送れないと思っていただけに酷く安心する。 「ああ、それと」  そんな思考を働かせていると、部屋の外へ出ようとしていた花鶏は思い出したようにこちらを振り返った。 「……部屋でなにをしようが構いませんが、私たちには鍵や壁などの障害物が無意味だということをお忘れなく」  ……前言撤回。心休まる時間はあまり期待できなさそうだ。 「まあ、そういうことですから、幸喜。私たちは食堂へ戻りましょう」 「えー、つまんねー」 「……なんですか、つまらないとは。私がつまらないとでも言うつもりですか?」 「だって俺準一と一緒に遊ぶって約束したもん!」 「準一さんは死んだばかりですよ、二十四時間あなたみたいな騒がしい方と居たら早々に気が滅入るでしょう」 「ほら、行きますよ」と半ば無理矢理幸喜を連れ出してくれる花鶏。一人になりたいという俺を察してくれたのだろうか。 「では、私たちはこれで失礼させていただきます。ゆっくり過ごしてくださいね」 「あの、ありがとうございます……色々」 「なに、水臭いですよ。なにかあれば私に言ってくださいね」 「……は、はい……」 「準一ー、また後で遊び行くからなー!」  それでは、と立ち去る花鶏にズルズルと引き摺られながらも手を振ってくる幸喜。  ……頼むから来ないでくれ。思いながら俺は二人を見送った。  花鶏たちと別れた俺はそのまま自室へと戻った。  今日からここが、俺の部屋になるのか。  新しい部屋に新しい環境、新しい同居人に今までとは違う自分。聞こえだけはいいが、実際は不安でしかなかった。  この部屋って、俺が来る前に誰かが住んでたんだよな。思いながら、俺は部屋を見渡す。  そう考えると、なんだか不思議な気持ちだった。  俺の他にも、俺と同じようにここへ来たやつがいるという。そいつらはどうだったのだろうか。やっぱり、俺みたいに戸惑ったのだろうか。考えても答えが返ってくるはずないとわかっていても考えてしまう。  花鶏たちは、いつから死人に部屋を貸しているのだろうか。……あの五人にはまだまだ聞きたいことがたくさんあった。  ……そう言えば、俺の部屋ってことは他の奴らの部屋とあるのだろうか。幸喜はあるっていってたし……。  俺はここへ案内される途中に見た複数の扉を思い出す。他の部屋がどんな状態になっているのか気になったが、わざわざ見に行く気にもならなかった。  特に、あの斧が突き刺さった扉。場所が場所だからか、嫌な予感がまるでしない。 「……」  俺は、ただ成仏することだけを考えればいい。  わかっていたが、未練か……。  そこまで考えて、不意に脳裏に仲吉の顔が浮かんだ。いま、あいつはなにをしているのだろうか。ちゃんと家に帰れたのかが気になって仕方がなかった。  俺が気にしたところでなにがどうなるわけがないとわかっていたが、死んだからもう関係ないと割り切ることはできない。会いたくなったり、会いたくなかったり、自分がどうしたいのかさえわからなくなってくる。  ……考えても仕方がない。  そう自分に言い聞かせながら、俺は壁に取り付けられた窓枠に目を向ける。  晴れているはずの空が、やけに淀んで見えた。

ともだちにシェアしよう!