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ep.3 It becomes it if it does.

 死んでから変わったこと。  それは、眠気や空腹といった生前感じていた欲求が感じなくなったことだろうか。  考え事しているうちにいつの間にかに朝になっていた。  窓の外、射し込む明かりにゆっくり目を開いたとき。 「……おはようございます」 「おわっ! ……ッて、な、奈都……?!」 「す、すみません……なにやら考え事されてるようでしたので……気付くまで待ってようかと……」 「いや、それはいいんだけど……」  というか、声をかけてくれ。そういうときは。  部屋の片隅でじっと佇まれていると逆に心臓に悪い。 「……どうした、俺になんか用あったんじゃないのか?」 「いえ、そこ……なにかあるというわけじゃないんですけど、準一さんと話したいことがあって」 「俺と?」 「携帯って、準一さん持ってますか?」  まさかそんなことを聞かれると思わなくて、咄嗟にズボンのポケットに手を突っ込むが何も入っていない。  そして思い出した、確かあの転落のせいで画面が割れていかれてしまったことを。 「……悪い、落ちたときに壊れたんだった」 「持ってたりは……」 「……多分、幸喜が持ってると思うんだけど……悪い、そこまでは……」 「そう、ですか……すみません、こちらこそいきなり変なこと聞いてしまって」 「……もしかして、話ってそのことか?」 「……あ、はい。ちょっと、調べたいことがあって……」 「調べたいこと?」 「本当に大したことじゃないんです。……気にしないでください」  相変わらず腰が低いというか、ボソボソとした喋りだ。けれど、この間の幸喜とのやり取りのこともあってか、いつ奈都の地雷を踏まないかヒヤヒヤしてしまう。  ……ここは、あまり深入りしない方がよさそうだな。 「あ、そうだ……あの、花鶏さんに準一さんを連れてこいって言われちゃって……応接室まで一緒に来てくれますか?」 「花鶏さんが?」 「はい。……多分、いつものことだと思いますけど……」 「いつものことっていうのは……」 「……話し相手、花鶏さんは人と話すことが好きなようなので。それに、準一さんが来てからはずっと貴方のことを気にしてるみたいですよ」 「…………そうなのか」  喜べばいいのだろうか。  嫌われるよりかはマシだと思うが、まあ……花鶏には助けられてるしこのまま無視するのもおかしい。  というわけで、俺は奈都とともに応接間へと向かうことになる。  廊下に出て、自室の扉を閉めようとしたとき。  扉を見て顔が引きつった。 「……なんだこれ」  自室の扉には、色褪せた大きな紙が貼られていた。  その用紙には墨のようなもので『準一の部屋』と書かれている。雑な殴り書きの文字に、俺は咄嗟にあの双子の兄を思い浮かべた。  ……なんで奈都が俺の部屋の場所を知っているのか気になったが、なるほど。こいつのせいか。  というかいつの間にこんなものを貼り付けたんだ。  俺はガムテープで固定されたその名札を扉から剥がし、そのまま部屋の中に放り捨てた。 「……僕が来たときには貼ってありましたよ」 「……幸喜の仕業だな」 「大変ですね、準一さんも」  おまけに奈都にまで同情されてしまった。俺は苦笑することしかできなかった。  そしてやってきた応接室前。  扉を開けば、そこには向かい合うようにソファーに腰を下ろしていた花鶏と藤也がいた。  花鶏は入ってきた俺たちを見ると、にっこりと微笑んだ。 「ああ、準一さん。おはようございます」 「……おはようございます」 「奈都君も。立ったままではなんです、二人ともこちらに座ったらどうですか?」  いつもに増してにこやかな花鶏に促され、俺と奈都はそれぞれソファーに座った。 「あの、用ってのは……」 「用ですか? ……用ってほどのことではないですが、ただ準一さんがどうしてるか気になっただけですよ」 「……へ?」 「でも奈都君、わざわざ私のために準一さんを連れてきて来てくれたんですね。……いきなり居なくなるからどうしたのかと肝を冷やしました」  それが用なのか、と驚くのも束の間。さらりととんでもないことを口走る花鶏に俺は「ん?」と顔を上げる。  花鶏の言い方からすると、奈都が勝手に俺を連れてきたと言っているように聞き取れる。  俺は無言で向かい側のソファーに腰を下ろす奈都に目を向けた。マフラーに口許を埋めたまま俯く奈都は、まったくこっちを見ようとしない。  ……どういうことだ?  何故こんなしょうもない嘘を吐くのかわからなかったが、別に怒るようなことでもない。 「どうかされましたか? ……随分と面白い顔をしてますよ」 「……いや、なんでもないです」  引っかかったが、まあ、深く気にしなくてもよさそうだな。そう結論づけた俺は話題を変えることにした。 「そういや、あとの二人はどこに行ってるんですか?」  賑やかな二人がいないことに気づく。通りでこの部屋の中も静かなわけだ。 「……幸喜なら、屋敷の中にいる」 「中って……」 「今日は日差しが強い。……そういう日はあいつはあまり外に出たがらないから」  ……なるほど、そんなことを聞くと幽霊よりも吸血鬼みたいだな、なんて思ってしまう。もしかしてそれも関係あるのだろうか。けれどやっぱ、双子の弟である藤也が言うのだから妙な説得力があるな。 「南波の方は、部屋にでもいるんじゃないんですかね。案内しましょうか?」 「いや、それは流石に……」 「おや、南波ならきっと泣いて喜んでくれますよ」  ……花鶏は南波に対してサディストのようだ。完全に面白がられてる南波には同情せざる得ない。俺は南波の安寧のため、丁重にお断りすることにした。 「……二人がどうしました?」 「いや、どうってわけじゃないんですけど……ちょっと気になったんで」 「そうですか。てっきり、幸喜がいないので寂しがっているのかと」 「……」 「冗談ですよ。あまりにも準一さんが幸喜と仲がよろしいみたいなので、ちょっと意地悪してみたくなったんです」 「別に、仲良くなんか……」 「そうなんですか? ……ああ、可哀想に。幸喜が聞いたら泣きますよ」  言葉とは裏腹に楽しげに笑う花鶏。……この人もなかなか狡猾というか、あまり敵に回したくないなと本能から思う。  そんなときだ。先程まで笑っていた花鶏は急に扉の方を向いた。そして、 「おや、誰か来たようですね」 「え?……誰かって……」 「……まあ、たまにあることです。……それに、準一さんの件もあります」 「今日は賑やかになりそうですね」花鶏の言葉に、昨夜のやり取りを思い出した。  俺の死体を見つけた仲吉が通報した場合、警察が来るだろうということ。それと同時に俺は生前仲吉に見せられた雑誌の記事のことを思い出す。ここが有名な心霊スポットであることを。 「しかし、幸喜たちがふざけすぎなければいいのですが……」  たち、という言葉に引っかかって隣にいたはずの藤也に目を向ければ、そこにはもう既に藤也の姿はなかった。いつの間にいなくなったのだろうか。  そんなときだ、一階のロビーの方から派手な物音が聞こえた。硝子が割れるような耳を劈くような音に、びくりと体が跳ねる。恐る恐る花鶏に目を向ければ、笑みを消した花鶏は小さく溜息を吐いた。 「……奈都君、準一さん。箒とちりとりの用意をお願いします」  花鶏に言われ、物置から箒とちりとりを持ち出した俺と奈都ロビーへと向かった。  そこには、凄惨な光景が広がっていた。  まず目に入ったのは、床の上でひしゃげたシャンデリアだ。恐らく、先ほどの何かが割れるような音はこれが落ちた音だったのだろう。  それだけでもひどい有様そのシャンデリアの下、赤い絨毯にはどす黒い染みが広がっていた。  そして、俺は見てしまった。シャンデリアの下から伸びる人の腕を。 「……っんだよ、これ……ッ」  込み上げる吐き気を抑え、恐る恐る階段を降りていく。  よく見えないが、シャンデリアの下敷きになったらしいその人物の背中には金属片や硝子が突き刺さっていて、恐らくそれが出血の原因になっているのだろう。あまりにも痛々しい姿に直視することはできなかった。  そして、扉の側には人影がもう一つ。気絶しているのか、尻もちをついたまま動かなくなる捜査官らしき制服姿の男がいた。 「……本当、毎回毎回よくやってくれますね」  どうやら花鶏も様子見にきたようだ。そう溜息混じりシャンデリアに近付いた花鶏は、「起きなさい」と下敷きになったその死体に声をかける。  え?と思ったとき。 「この方ならもう気を失っていますよ。……幸喜」  溜め息混じりにそう呟く花鶏に、シャンデリアの下敷きになった死体――もとい幸喜の指がピクリと動く。そして次の瞬間、血まみれの幸喜は勢いよく起き上がる。  シャンデリアの破片諸々突き刺さったまま口から大量の血を溢れさせた幸喜に、俺は持っていた箒を思わず落とした。 「な、え……ッ」 「あーあ、こっからがいいところだったのになー。ったく、ケーサツのくせにビビりすぎだろ」 「こ、幸喜、お前……っ」 「あれ、どーしたの準一、そんな顔して。もしかしてービビっちゃった?それともまじで死んでるって思った?驚いちゃった?どっきり大成功?」 「っ、そ、そのままこっちくんな!やめろ……っ!」  全身から出血させながら歩み寄ってくる幸喜に、俺はちりとりでガードしながら慌てて後ずさった。  ……つまり、どういうことだ?こいつは、訪問者を驚かせるためにわざわざこんな脅かすような真似をしたってことか?……悪趣味すぎんだろ。 「……幸喜、準一さんと遊ぶより先にやることがあるんじゃないんですか?」  そう、静かに問いかける花鶏にピタリと幸喜は動きを止めた。俺にもわかるくらい花鶏は怒ってる。  そりゃそうだ、自分の屋敷……それも目玉であろうこんな豪奢なシャンデリアを悪趣味なドッキリのために使われたのだ。 「えー、なんだろ。……あ、わかった!昆虫採しゅ……」 「はい、そうです。後片付けです」  俺が床の上に落とした箒を拾い上げた花鶏は半ば強制的に幸喜の手にそれを握らせた。  そして始まる駄々を捏ねる幸喜となんとしてでも片付けさせたい花鶏の攻防戦。その隣で、奈都は黙々とガラス片を箒で集めていた。  ……それにしても、本当に人だ。  俺は気絶した男に恐る恐る近付いた。  花鶏はああ言っていたが、本当に気絶しているのだろうか。もしかしたら、そう思って俺は恐る恐るそっと男の手首に手を伸ばす。脈は……確かにある。  男が生きていることに安心すると同時に、俺は無意識に取った自分の行動に驚き、慌てて手を離した。  触ることができた。俺は、この男に触ることができた。自分の手のひらを見詰める。確かに、感触があった。  汗ばじんだ肌に、薄い皮膚、体温に脈。生きているときこそは当たり前だったその感触が酷く懐かしくて、俺は再び目の前の気絶した男に目を向けた。  ……もしかしたら、俺は仲吉に触れることができるんじゃないだろうか。  そんな考えが脳裏に浮かび、慌てて思考を振り払う。  なにを考えているんだ、俺は。触れることができたとしても、どうにもならないだろう。  それに、あいつはもう帰っているはずだ。いないとわかってて仲吉のことばかり考えてしまう自分に、俺はなんともいえない気分になる。 「準一さん」  気絶した男の前で思案に更けていると、不意に花鶏に呼ばれる。  先ほどまで幸喜と攻防戦をしていた花鶏だったが、どうやら無事勝利を勝ち取ったようだ。涼しい顔をして俺の背後に立った花鶏は、目が合うと微笑んでみせる。 「……えと、どうしたんですか」 「少しお使いをお願いしようと思いまして」 「なんすか、その……お使いって」 「そう身構えないでください。貴方にお願いしたいのは、その方を外へ返してほしいだけです。……お願いできますか?」 『その方』というのは、俺の足元で気絶してるこの男のことだろう。てっきり始末しろと言われたらどうしようかと思ったが、花鶏は殺すつもりはないらしい。  それなら、断る理由もない。 「……俺でいいなら」 「ありがとうございます、貴方ならきっとそういって下さると思っていました」 「……あの、連れていくって、どこでもいいんですよね」 「そうですね。……藤也」  なにもないロビーの片隅に目を向けた花鶏は、そうここにはいない人物の名前を呼ぶ。いきなり壁に向かって声をかける花鶏に戸惑ったが、それも一瞬のことだった。  なにもなかったそこに、ぼんやりと一人の青年の姿が浮かびあがった。 「……なに?」  いきなり現れた藤也に、俺は心底驚いた。  いつからいたのか、というか、花鶏もいつから気付いていたのか。俺が生きていたら心臓が停まっていたに違いない。 「藤也、話は聞いていたでしょう。準一さんについていってくれませんか?」 「俺が……?」 「ええ。準一さん一人じゃ流石になにかあったときが心配ですからね」 「……別に構わないけど、俺でいいなら」  目を伏せた藤也は、そう小さな声で呟く。  正直、驚いた。てっきり断られると思っていたからだ。 「ではお願いしますね」とにっこりと微笑む花鶏に、藤也は相変わらずの無表情のままこくりとだけ頷いた。  藤也と二人きりか……。  まともに話したことない上に、相手が相手だ。  どうしたらいいのかと戸惑っていると、藤也は俺の方へと近づいてきた。そして。 「俺がやるから……手、離して」 「え? ……ああ、わかった」  言われるがまま男から手を離せば、藤也はそのまま男の首根っこを掴み、引き摺り出す。 「お……おいっ! あんま乱暴にすんなって……!」  割れたシャンデリアの破片の上を平気な顔をして引き摺っていく藤也に血の気が引いた。そしてそんな俺の静止も聞かず、さっさと歩いていく藤也の後を追いかける。  こんな調子じゃ、一人で行った方が早いかもしれない。  声をかけても俺を待とうともしない藤也に、俺は早速幸先が不安になってきた。

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