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03
藤也について帰ること暫く。
日が暮れる前に屋敷へと戻ることができた。
相変わらず薄暗いロビーの中。
屋敷を出る前、床の上に散乱していたシャンデリアも幸喜の血肉も跡形もなく片付けられていた。……心なしか、出ていく前より綺麗になっているような気がする。
シャンデリアがなくなり、やけに寂しくなった天井を見上げていると、藤也はさっさと階段を上がっていった。慌てて俺もその後を追いかけた。
藤也が向かった先は応接室だった。
「おかえりなさい。お使い、ご苦労様です」
一番初めに俺たちを出迎えたのは、ソファーに腰を下ろした花鶏の笑顔だった。
その向かい側のソファーに仰向けに寝転がっていた幸喜は、むくりと上半身を起き上がらせる。
「あー、サボりだー。いけないんだー、二人だけ遊びに行くなんて。俺だって準一と遊びたかったのにー」
背凭れに肘をかけ、応接室に入ってくる俺たちに目を向ける幸喜は文句を垂れた。
先程までの血で濡れた不気味な幸喜の姿はそこにはなく、いつもと変わらない幸喜に内心ほっとする。
「まったく。幸喜、二人はサボりじゃないですよ。……二人とも、疲れたでしょう。ゆっくりしてください」
そんな花鶏を一瞥した藤也は、なにも言わずに幸喜の座るソファーへと座る。俺はというと、つられて藤也の隣に腰をかけた。
……確かに、お使いだけでドッと疲れた。
先程の右腕のことがあったせいで、全身の疲労感が半端なかった。肉体が疲れることはないが、精神の疲労は存在するようだ。
やっぱり、さっきの幸喜も俺と同じ状態だったっていうことだろうか。ふと、俺は先程シャンデリアに潰されていた幸喜の様子を思い出す。
自分の血で汚れた幸喜の姿を浮かべながら、俺は藤也の隣に座る幸喜に目を向けた。
「なになに準一、そんなに俺ガン見しちゃって。そんなに見詰められると照れちゃいそー」
「……そういや、奈都たちは?」
「あ、無視するなよ準一!」
「別に無視してねえよ」
面倒になっただけだ。……というのは言わないでおく。
「奈都君たちならそれぞれの自室にいるんじゃないんでしょうか」
「あー、あいつら引きこもりだからなー。いっつも部屋に閉じ籠ってんだよね。今度、部屋から引き摺り出してやるかな」
「……ほっといてやれよ」
「やだなー準一、冗談に決まってんじゃん!俺、すっごい優しいからさーそんな人が嫌がるようなことしないし。準一ったら心配性なんだから」
底意地悪そうに笑う幸喜に、どこがだ、と内心突っ込む。恐らくあの二人が部屋を出たがらない理由の大半はこいつが原因なのだろう。それだけはよくわかった。
「……じゃあ俺、そろそろ戻ります」
「ええ、もう?」
「もともと、花鶏さんに伝えるつもりだけだったし……それに、俺も少し休みます」
「ええ、わかりました。お暇なときいつでも私の元を訪ねてきてくれても構いませんからね」
「うわ出た!花鶏さんの口説き落とし!」
「……幸喜、人聞きが悪いでしょう」
「準一気をつけなよ、この人タラシだから……あうっ!」
そして花鶏にぺちんと頭を叩かれてる幸喜。……仲がいいのだろう、一瞬ドキッとしてしまった。確かに花鶏は中性的だからその手の誘いを受ければ断れる人間は少ないだろうが……やめよう、あまり想像したくない。
それじゃあ失礼します、とソファーから立ち上がったとき。
「……俺も帰る」
終始黙っていた藤也も立ち上がる。
弟の行動に、幸喜は豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くさせる。
「ええっ、なんで。なんだよー、藤也まで帰るとかつまんないじゃん」
「……そう」
「そうってなんだよ。……あっこら待て藤也!逃げんな!」
引き留めようとする幸喜を無視して俺よりも先にさっさと応接室から出ていく藤也。
「まあまあまあ、落ち着いてください。ほら、私のあやとり貸してあげますから」
「いらないです」
「そうですか……楽しいですのに……」
幸喜を宥めようとどこからか輪の形をした赤い毛糸を取り出す花鶏は幸喜に断られるとは思っていなかったようだ。心なしかしょんぼりとする花鶏をフォローしようか迷ったが、かける言葉も見つからなかったので敢えて俺はそのまま応接室を後にした。
――応接室前、廊下。
応接室の扉のすぐ隣、壁に凭れるように立っていた藤也を見つけ、ぎょっとする。
「なんだ、待っててくれたのか?」
「……別に、考え事してただけ」
「……あ、そうか……」
なんだ、違うのか……。
少しは打ち解けれたのだろうかと思っただけに、相変わらずの態度に少しだけ落ち込みそうになる。そしてそんな俺を一瞥し、藤也はそのまま廊下の奥へと歩き出した。
昼間と比べて随分藤也の態度が素っ気なく感じたが、無視されるよりかは幾分ましなような気がする。
思いながら先を歩いていく藤也の後ろ姿を見ていると、ふと足を止めた藤也は俺の方を振り返った。
「……戻らないの?」
「え?」
「……部屋、戻るんでしょ」
どうやら後をついてこない俺が気になったようだ。
もしかして俺が道を迷わないように案内してくれるのだろうか。
多くを口にしない藤也にそんな前向きな思考を働かせてはみるが、藤也がどういうつもりかはわからない。
けれど、部屋に戻るまでが不安だったので藤也が一緒にいてくれるのはありがたかった。
二階、自室のある通路へと歩いている途中。
立ち並ぶ複数の扉の中、明らかに異質な扉を見つける。
……やっぱり、気になるな。あの扉。
最初ここに来たときから気になっていた斧が突き刺さった扉の前、つい立ち止まったとき。
「なに?」と、藤也がこちらを振り返る。
「なあ、なんかあの扉だけすごいことになってるけど、誰かの部屋なのか?」
「……知らない」
「藤也も知らないのか?」
「俺がここに来たときからこんなだったから……別に気にしたこともなかった」
「あっ……おい、近づいて大丈夫なのか?」
「……わかんない」
「準一さんもこれ、気になるんじゃないの?」
扉の前、そこに深く突き刺さった斧の柄を掴んだ藤也は、徐にそれを引き抜こうとする。
バキリと音を立て、大きな亀裂の入った扉の破片が落ちた。
確かに、気になるのはものすごく気になるのだが……。
「花鶏さんに怒られないか?」
「……寧ろ、このままにしておいた方がおかしいでしょ」
「……まあ、確かに……?」
何か意味があるんじゃないかと思ったが、藤也はそれよりも先にあっさりと斧を扉から引き抜いた。
バキバキと板が割れるような音ともに、勢いよく外れた藤也はその斧をじっと見る。
「……ただの斧」
「なんか……古そうだな。錆びてるし……」
「……ん」
持っていた斧を扉の横の壁に立て掛けた藤也は、そのまま扉の取手に手をかける。
正直、歪んだ扉のノブがちゃんと機能するかどうかすら怪しい。そのまま扉を開こうとノブを掴む藤也だが、ガチャガチャと金具が擦れるような金属音がするばかりで一向に扉が開く様子はない。
なかなか開こうとしない扉に苛ついたのか、ドアノブを捻る藤也の手付きも荒くなる。
「おい、もしかしてそれ壊れてんじゃ……」
そう俺は藤也に声をかけようとするが、藤也はこちらを見ようともせずに先ほど壁に立て掛けた斧に手を伸ばした。
ま、まさか。こいつ。そのまま斧を手にした藤也は、片手でそれを持ち上げ扉に向かって思いっきり振り下ろす。
瞬間、耳を塞ぎたくなるような破壊音が廊下に響いた。
「お、おい藤也っ、いいのかよ、それ勝手に壊して……」
黙々と扉を叩き割る藤也に慌てた俺は、凄まじい音から耳を塞ぎながらそう藤也に尋ねる。しかし、藤也から返事はない。
藤也が斧を振り下ろす度に、辺りに破壊音と木屑が飛び散った。……せめてもうちょっと優しくできないのか。
思いながら、耳を塞いで藤也の破壊作業を見守っていると……不意にその隣の扉が開いた。
そして、
「さっきからうっせーんだよ!! いい加減にしろ!!」
金髪のチンピラ、もとい南波は怒鳴り散らかしながら飛び出してきた。
つか、隣の部屋よりによって南波の部屋だったのか。
突然の怒号にびっくりして固まる俺の横、ちらりと南波の方を向いた藤也はすぐに扉を壊す作業に戻る。
「おい、無視すんじゃねえ! 今すぐやめろっつってんだろ! 聞いてんのか!」
「……おい、藤也。南波さん、怒ってるぞ」
「別にいつものこと。だから放っておいていい」
「いいわけねーだろッ!!」
これは南波のド正論だった。
とうとう無視されることに痺れを切らしたようだ、
大股でやってきた南波は藤也の腕を掴み、無理矢理斧を止めさせた。
やばい、このままじゃまた喧嘩になるんじゃないかと焦った俺だが、触りたくないものに触ろうとしているような苦しそうな南波の顔を見てあっとなる。
そうだ、南波さんな確か男嫌いで……。
瞬間、藤也の手にしていた両刃斧が南波に向けられた。おい、嘘だろ。と止める暇もなかった。
「う゛」
高く振り上げられた斧は、そのまま南波の頭部に振り落とされた。殺人現場を目の当たりにした衝撃に、そのまま地面に落ちる南波を無視して再び血濡れた斧で扉を壊し始める藤也に、なんだかもう俺は悪い夢でも見てるような気分だった。
「な、南波さん……っ! 大丈夫ですか!」
いくら死人とはいえど、脳天かち割られて無事なやつの方が少ない。
うつ伏せに倒れる南波を抱き起こせば、どくどくと大量の血が南波の頭から流れ出した。
あのときと同じだ。俺の骨が折れたときと同じ現象が南波の身に起きている。
……もしかしたら南波はこの体質を悪用している幸喜とは違い、俺と同じ概念を捨てきれていないタイプなのか。
そう思うも束の間、顔を赤く濡らす血は割られた頭部の傷口へと吸い込まれるように戻っていく。
「……っ、あ゛ー……」
そしてまたたく間に跡形もなく血液が南波の体内へと戻り、盛り上がったような額の抉れた傷口も塞がったときだった。気絶していたらしい南波の瞼がピクリと動いた。
……よかった、流石に俺とは違い元に戻り方もわかってるらしい。そう安堵した瞬間だった。パチリと音を立て、南波の目が開く。
瞬間、
「ヒィッ!!」
あ、と思ったときにはもう遅かった。
抱き抱えるような体制で覗き込んでいた俺に、目を見開いた南波はその厳しい顔付きからは想像つかないような情けない悲鳴を上げた。
「あ、す、すみませ……」
「は、は……離れろッ!早く離れてくれ!」
なんだ、何事だ。
慌てて離れようとするよりも先に、俺を突き飛ばすように床を張って逃げていく南波に俺はもうどうしたらいいのかわからず唖然としていた。
話には聞いていたが、まさか目があっただけでここまで拒絶されるとは思ってなかった。
あまりの取り乱しようにこちらまで狼狽えそうになったとき、自分の着ていた服がべったりと赤い血で汚れていることに気付いた。
俺は怪我していない。南波も傷が戻ったはずだが……。そう、廊下の奥で踞る南波に目を向けた。
その南波の足元には赤い水溜まりが出来ており、丸まった南波の背中はビクビクと震えている。……どうやら、この血は南波のもののようだ。
まさか、俺の顔を見たせいで精神的ダメージを負った。だからそれがこうして出血という形で現れてるというのか。
だとしたら、男嫌いというレベルじゃないような気がしてならない。
「と、藤也……南波さんが……」
「……ああいう人だから。放っとけばいつも通りに戻る」
「それに、あんたが何しても逆効果だろうし」元はといえば殴ったのは藤也なのだが、確かに俺が干渉しないことが一番南波のために思えて仕方ない。
「それと、終わった」
「って……お前、全部壊したのか?!」
「……どうせ壊れてたし、問題ない」
扉ごとなくなったその部屋の奥、俺と藤也は覗き込む。
そこは、なんもへんてつのない部屋だった。
薄汚れたベットに、本棚。机に、椅子。まるで誰かが住んでいたかのような長い間使われていなかったようだ。その部屋は酷く埃っぽい。
「……ここも、誰か住んでんのか?」
「……かもね」
ここにいる幽霊全員に部屋を貸し与えていると言っていた花鶏の言葉を思い出す。
しかし住人らしき人物の姿は見当たらない。机の側へと歩み寄った藤也は、机の中の引き出しを開けている。
「藤也、何かあったか?」
「……」
「……藤也?」
元々静かなやつだとは思っていたが、こんな状況で黙り込まれると段々不安になってきた。
どうしたんだ、と俺も藤也の元へと寄ろうとしたとき。
「おや、おいたがすぎるのではありませんか。……勝手に扉を壊すとは」
すぐ耳元で聞き覚えのある声がし、全身に冷水ひっかけられたような寒気が走る。
柔和でありながらも、蛇のようにやけに絡みつくその声には聞き覚えがあった。
「あ、花鶏……さん……」
「……物は大切にしなさいとあれほど言ったでしょう、藤也」
俺の真後ろから表れた花鶏は、まるで悪戯をいた子供を相手にしているかのような優しい口調で藤也を叱りつける。
が、藤也はなにも言わない。
「藤也」
「……」
「藤也さん」
「……」
拗ねた子供のように黙り込む藤也に、流石の花鶏も折れたようだ。
「……準一さんも、好奇心旺盛なのは構いませんが物には愛情を持って接していただきたいですね」
「は、はい……すんません……」
藤也が知らんぷりをするおかげで、花鶏の怒りの矛先が俺に向けられる。俺が……悪いのかこれは……。
花鶏にどこからともなく取り出した箒とちりとりを渡してきた。
「準一さんはいい子ですね。藤也、貴方も少しは準一さんを見習ったらどうですか……って藤也?」
緩めた頬を再びキリッと引き締めた花鶏は、正面にいたはずの藤也に目を向け絶句する。
そこには藤也の姿はなく、ただ薄暗い空間が広がっているだけだった。
……あいつ、逃げやがった。
「全く……都合が悪くなったら姿を消す癖はそろそろ直していただきたいものですね」
「は、はは……」
是非俺にもその方法をご教授願いたいくらいだ。
怒った花鶏はそのままその空き部屋を出ていく。そして暫くもしないうちに廊下から花鶏の声が聞こえてきた。
「南波、ちょっと来てください。は ?気持ちが悪い? ちょっとどういう意味ですか、それは私が気持ち悪いということですか」
「だから、触んな! つうかなんで俺があいつの尻拭いしなきゃいけねーんだよっ」
「藤也が出てこないんだから仕方ないでしょう。私もやるんですからあなたも手伝ってくれたっていいじゃないですか」
「んなの理由になるわけねーだろ!」
どうやら南波まで後片付けに駆り出されたようだ。
廊下から聞こえてくる怒号は段々部屋へと近付いてき、やがて花鶏が戻ってくる。その手には全力で抵抗する南波を引き擦って。
「さあ、一緒にお掃除しましょうか」
ここにも、藤也によるとばっちりの被害者が。
死刑執行前の死刑囚な顔をしてる南波に、俺は心の中で同情する。
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