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「準一さん、そんなに照れないでいいじゃないですか」 「……別に照れてません」  そして案の定からかってくる花鶏に唸るように返せば、背後で着物が擦れる音が聞こえ、花鶏が移動したことに気付いたときだった。  不意に、耳朶になにかが触れる。 「耳が赤いですよ」  鼓膜を直接溶かすような甘く艶かしい声に背筋がぞくりと震えた。  寒気、いや、悪寒と言うべきか。  目を見開き、耳を押さえながら背後を振り返れば指を伸ばした花鶏がそこにいた。目があって、花鶏は薄く微笑む。 「全く、困りましたね。そのような可愛らしい反応されては私まで恥ずかしくなってくるじゃないですか」  可愛らしいってなんだ。いまいち花鶏のツボがわからない、理解したいとも思わないが。  背後に佇む相手にただならぬ嫌な予感を感じた俺はリードが伸びるギリギリの範囲花鶏から逃げ、そして相手に目を向ける。 「首輪、外して下さいよ」 「何故」 「外の空気吸ってきます」 「駄目です」  即答だった。 「約束は約束ですからね、貴方には明日の朝までこれを着けてもらいます」  どうしても離れたい俺に構わず、リードを引っ張る花鶏。  首が締まり、息苦しさと咄嗟の防衛反応っバランスを崩した俺はそのまま花鶏に引き寄せられた。  間一髪、花鶏の上半身に倒れ込みそうになったところで床に手をつき、踏ん張る。そして振り出しに戻る。 「花鶏さん」 「なんでしょうか」 「あっち行ってください」 「何故ですか?目の前に構ってほしそうな方がいたら構う。それが人間関係の基本だと聞きましたが」  また小難しいことを言い出す花鶏は更にリードを引っ張る手に力を入れる。  絞まる首輪に喉が軋み、強引に花鶏の方へと引っ張られた。  もがき、力ずくで花鶏の膝へ載せられるような体勢にさせられればようやくそこで首輪が緩んだ。  背後には花鶏の胸元。抱きすくめるように腰に回された花鶏の手を振り払い、俺は「俺には必要ありません」と再び立ち上がろうとした。  しかし、すぐに制される。 「いいえ、誰にでも触れ合いというものは必要不可欠です」  肩を掴まれ、そのまま右腕を撫でられる。  体温のない花鶏の指先に触れられた箇所はじんと痺れ、腕から力が抜け落ちた。 「目で姿を認識し、耳で言葉を聞き取り、口で話し掛け、指先で触れその実体を確かめる。それをされることでようやく自分という存在は確立します」  なにかを読み上げるかのような感情のない花鶏の声が耳の鼓膜から直接脳へと入り込み、まるで暗示にかかったかのように全身が緊張した。  体が動かない。機能していないはずなのに、体内では煩い程の鼓動が響いた。  呼吸が乱れ、まるで生きていた頃のように全身が熱を帯び始めるのを感じた。  ただ皮膚を滑る花鶏の指先は容易く俺の両手首を背後で束ね、そして、こちらが無抵抗になったのを確認すればそのまま花鶏は腰を抱いていた手を上へと移動させ、そのまま胸元で手を止める。 「ほら、こうやって触れてみたらよく聞こえます。貴方の心臓の音が。貴方は確かに生きています。生きて、私の手に確かに触れることが出来る」  服越しに、右胸の辺りに置かれた花鶏の手の感触に眉を潜める。 「っ、……花鶏さん」  Tシャツの上から胸をまさぐるような花鶏に全身の筋肉が反応する。  声が掠れてしまう。緊張からか、口の中が渇いていた。 「自己完結させるのは簡単です。しかし、それによって喪失する自己というものはそれこそ死に等しい。たまにはこうやって肌を重ねて存在を確かめ合うのも大切ですよ」 「ただでさえ精神体というものは脆いですからね、こうやって労るのも悪くないでしょう」背後の花鶏が喋る度に首筋に息が掛かり、こそばゆい。 「それとこれとは別じゃないですか……っ」それが嫌でなんとか逃げようとすれば胸を鷲掴むように抱き締められ、そのまま首筋に唇を落とされる。  ちゅ、と小さな音がして項に柔らかいその感触が触れた。  些細な感触にも関わらずビクリと跳ね上がる俺に、花鶏は笑う。 「いいえ、同じですね。どちらも人間には欠かせないことです」 「……花鶏さんの言い訳に人間を引き合いに出さないでください」  これは暗示だ。都合のいいように相手を誘導するための暗示だ。  そう自分に言い聞かせるように脳内で繰り返す。  俺の反論が意外だったのか僅かに目を開く花鶏だったが、すぐにその口には笑みが浮かんだ。 「おや、言われてしまいましたね」  相変わらず余裕たっぷりの落ち着いた花鶏の声。  くすくすと笑う花鶏は手に絡めていたリードをくいっと引っ張り、そのまま俺の手首に絡める。 「ッぅ、く……」  器用に手首を拘束するリードは限界まで伸び、背後へと引っ張られる首輪に自然と胸が仰け反るような形になる。  気管を締め付けられるその息苦しさに喘ぎ声が漏れた。  おまけに、リードでぐるぐる巻きに固定された両腕によって上半身は動かない。  身動ぎすればするほど首輪が締まり、ただでさえキツく設定されたそれによって窒息しそうになってしまう。  あらゆる自由を封じ込められ、顔を歪める俺を見詰める花鶏はにこりと微笑んだ。 「ではこう言えばいいのでしょうか。貴方があまりにもいじらしい態度を取るせいでむらっとしてしまい気が気ではありません。是非責任を取って頂きたいわけですが」 「……っ冗談は止めてください」  また無茶苦茶なことを言い出す花鶏に声を絞り出せば、花鶏は「冗談?それこそご冗談を」と一笑する。 「生憎私は貴方ほど硬派で我慢強い性格をしていません。逃げたいのなら逃げればいい。私は追い掛けません」 「なら、これ離してくださいよ」 「なにを勘違いをなさっているのですか?逃げるのは自由だとは言いましたが逃がしてやるとは言ってません」  きっぱりと切り捨て、開き直る花鶏になんだかもう空いた口が塞がらない。  食えない相手とは思っていたが、ここまでとは。  まだ物理的概念で凝り固まった頭の俺が拘束されたまま脱け出すことが出来ないことをわかっていてこのようなことを言うわけなのだから。 「申し訳ございません準一さん、私としてもあなたのような男性の方に欲情するような性癖は持ち合わせていないと思っていたのですがどうやら私は思ったよりも許容範囲が広いようです」 「困ったものですね、ここ数十年女っ気がないとこの有り様なんですから」まるで他人ごとのように笑う花鶏。  背後から伸びるもう片方の手が頬に触れ、すっと唇をなぞれば愛しそうに花鶏は目を細めた。 「でもご安心下さい。私は幸喜のように粗暴はしないので」  花鶏の指はそのまま固く閉じた唇を抉じ開け、咥内に入り込んでくる。  それから逃げるように後ずさるが花鶏に抱きすくめられている今指先から逃れられることができず、顔を逸らした俺は尚も侵入しようとしてくる花鶏の指先に歯を立てた。  まるでガリッと骨を噛むような感触と共に花鶏の指の動きが止まる。  痛みに怯んだわけではないのだろうがその隙は俺にとって好機で、そのまま花鶏の指に吸い付いた俺は唾を吐くように無理矢理吐き出した。 「……俺からしたら花鶏さんも幸喜も同じです」  唇を舐めとり、背後の花鶏を尻目に吐き捨てれば花鶏は「おお、手厳しいですね」とやはり他人事のように笑った。  そして、唾液で濡れた指を自分の口許に寄せ、何気ない仕草で赤い舌を覗かせた花鶏はそのまま先程まで他人の口の中に突っ込んでいた指にその舌を絡ませる。  ぴちゃりと一舐め。ごく普通に行われたその花鶏の行動に血の気が引き、鳥肌が立った。 「貴方のその生意気な物言い、嫌いじゃないですよ」  そんな俺に気付いたのかこちらに目を向けた花鶏は楽しそうに嬉しそうに、それでもやっぱり上品に微笑んだ。 「花鶏さん、落ち着いて下さいって、まじで。可笑しいですよ今日の花鶏さんは、一段と」 「失礼な方ですね。私はいつもと変わりませんよ」 「尚更駄目ですよ、それ」  嫌な予感がして逃げようとするにも両手を拘束された今背後の花鶏の腕から逃れるのは困難で。  身動ぎをし花鶏から離れようとすれば胸を這う手に抱き寄せられ、身動きが取れなくなる。 「ひ、ぃっ」  背中にぴったりとくっついてくる花鶏。いや、この場合は俺がくっついていることになるのだろうか。  服越しに筋肉の筋をなぞるよう撫でられれば、触れてくるその指先の感触に全身が粟立つ。  指から逃げるため思わず背中を丸めるが逆に自分の首を絞めてしまう。 「あまり暴れないで下さい。乱暴事は得意ではないんです」 「っ、……そのわりにはやけに手慣れてないですか」 「拘束術、寝技は自己防衛の基本ですよ、準一さん」  そんな下心しか見えない基本初めて聞いたぞ。  耳元で笑う花鶏は言いながらTシャツの裾を持ち上げ、そのまま布の下へとその白い手を忍び込ませてくる。  腹部を撫でるように容易く侵入してくるそれに緊張した全身の筋肉はびくりと跳ね上がった。 「っ、ちょ、タンマタンマタンマ」 「さては準一さんはあれですね、恥ずかしくなると口数が多くなる方ですか。愛らしい」 「口を塞いで黙らせたくなりますね」徐々に胸部へと指先を滑らせる花鶏は怪しく笑う。  耳にふっと息を吹き掛けられ、ぞくりと背筋を震わせた俺は花鶏を横目で睨んだ。 「ふざけ……っんんッ」  その矢先のことだった。  顎を掴まれ顔面を固定されたと思ったら次の瞬間目先に整った花鶏の顔が迫り、それにやばいと思ったときには時既に遅く、唇を塞がれていた。 「ふ、ぐぅ……ッんん、ぅ……っ!」  唇が触れ、咄嗟に固く唇を閉じるがそれを抉じ開けるようにぬるりとした薄い舌で唇を舐められればぞくりと悪寒で全身が震え、唇をなぞる濡れた肉の感触に耐えきれず俺はつい唇を開いてしまう。  その瞬間、唇全体を吸い上げるように貪られ、全身が硬直した。 「ふ、ぅ……っ」  逃げようとすればするほど拘束された腕と首が絞まり、それをただなすがまま受け入れるしかできなくてただ歯痒い。  顔をしかめ、くぐもった呻き声が咥内に響く。  抵抗を諦め、こちらがひたすら行為が終わるのを待つ体制に入ったのに気付いたのだろう。  そっと唇を離した花鶏はぐったりする俺の顔を覗き込み、薄く微笑んだ。 「……なんなんですか、本当、花鶏さん」 「なに、言ってるじゃないですか。私はただ貴方に元気になってもらいたいだけですよ」  そう涼しい顔して微笑む花鶏を睨んだ俺は「余計凹みますから」と声を荒げる。  その思考からどういう理屈でこのような行動になるんだ。  今さら恥ずかしくなってそれを上回るほどの不快感になんだかもう泣きそうになったときだった。 「そうでしょうか、私にはそうは見えませんが」  花鶏の膝は股座に潜り込み、そのまま俺の足ごと無理矢理開脚させた。  咄嗟の花鶏の行動に反応に遅れてしまった俺は大きく開かれる足に目を見開き、青ざめる。  嫌な予感に全身から血の気が引き、慌てて足を閉じようとするが絡め取られた足は簡単に閉じれず。  それどころかなんとか逃げようと暴れる俺をからかうように笑う花鶏はそのまま強制的に開脚された股に指を這わせ、そっと撫で上げる。  服越しなだけに指の感触は感じない筈なのに、視覚的なものもあってか触られているというその事実に過剰反応を起こす全身は小さく跳ねた。 「やっ、ちょ、花鶏さ……ッどこ触って……っ」 「私に言わせるつもりですか?いやらしい方ですね、ああ、破廉恥です。いやらしい」  茶化すようなしっとりとした軽薄な花鶏の声が耳元で響く。  ――完全に遊ばれている。  自分よりも明らかにひ弱そうな相手に手も足も出ず言葉通り手のひらで転がされるというその事実は俺からしてみれば酷く屈辱的で。  なんとかしようと身動ぎをさせるが首輪が絞まるばかりだった。

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