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リードを引っ張られるがまま俺は館の一階にある部屋へと連れてこられた。
管理人室、というのだろうか。
他の洋室とは違いその部屋だけは畳が敷かれており、その壁にはたくさんの鍵がプレートつきでぶら下がっている。
どうやらこの洋館全ての部屋の鍵が揃っているようだ。所々抜け落ちたあとのある古い鍵を一瞥した俺は部屋を見渡し、そして前に立つ花鶏に目を向ける。
目が合えば花鶏は微笑み、卓袱台のそばに座布団をそっと置いた。
「どうぞ、ごゆるりと」
その言葉に小さく頷き、俺は用意された座布団に腰を下ろした。
畳の上に直接正座する花鶏。
応接室の古びた、それでもなかなかアンティークなソファーに座っているよりずっと似合っている。
「……なんか、花鶏さんっぽいですね」
「そりゃあまあ私の部屋ですからね」
「全部花鶏さんの私物なんですか?」
「変なこと聞きますね。そうですよ、私の私物です」
「じゃあこれ生きてたときから使っていたということですか」
気になって次から次へと尋ねれば困ったような顔をした花鶏は「貴方は教えてちゃんですか」と目を丸くさせる。
教えてちゃんってなんだ。
「人に聞くなら先に自分のことを話すのが礼儀ですよ、準一さん」
「……自分のことですか」
オウムのように繰り返せば、花鶏は「ええ」と小さく頷く。
どうやら一方的に質問責めされるのが嫌いなようだ。いや、ただの話題逸らしか。どちらにせよ花鶏はただで答えるつもりもないらしい。
じっと花鶏の目を見つめ返したとき、不意に花鶏の華奢な指先が目先に伸びる。
「……そうですね、例えば貴方がそんな顔をする理由などどうでしょうか」
頬を撫でてくるその白い指は輪郭をなぞるように肌を滑る。強張ってますね、と花鶏の唇が小さく動いた。
足を崩し、ごく自然な動作で接近してきた花鶏に俺はぎょっと目を丸くする。
狼狽え、思わず引け腰になる俺に気付いたのか花鶏はくすりと小さく笑んだ。
「そんなんじゃ子供が裸足で逃げ出しますよ」
「……子供なんかいないじゃないですか、ここには」
「さあ、どうでしょうか」
皮肉に皮肉で返せば、花鶏は意味深な笑みを浮かべる。それも一時。細めた目を開き、こちらを真っ直ぐと見据えてきた。
「なにか迷っているのではないのですか」
甘く、それでもしゃんと芯が通った静かな声。
口許に薄い笑みを浮かべる花鶏は「私でよければ相談に乗りますよ」と続けた。
……本当、この人は勘が鋭い。
胡散臭いやつとは思っていたが、だからこそ、向けられた目に全てを見透かされているような錯覚に陥りそうになる。
まあ、別にわざわざ隠す必要はないな。
そう開き直る俺は「藤也が」と口を開いた。
「やはり藤也ですか」
「……やはりってなんですか」
「いえ、貴方が落ち込むときは大抵仲吉さんか藤也が絡んでますからね。因みに怒ってるときは百パーセント幸喜が絡んでます」
「……」
あながち間違ってないだけにちょっと悔しい。
開口早々出鼻を挫かれなにも言えなくなる俺に気付いたようだ。
「これはこれは失礼」そう花鶏はわざとらしく咳払いをし、こちらを見た。
「それで、どうしたんですか?」
俺は花鶏に先程の藤也とのやり取り、そして奈都との約束(最初A君とぼかしたのになぜかバレてた)を大まかに説明する。
藤也のことを思い出す度ついムキになってしまい、ちょっと愚痴臭くなった。
だけどそれでも花鶏は黙って、というかまあ所々要らぬ茶々を入れてきたりもしたが比較的大人しく話を聞いてくれる。
そして全てを話し終えたとき、なぜか朗らかな笑みを浮かべた花鶏は「ふふふ」と笑い声を漏らした。
「……笑わないで下さいよ」
「いえ、藤也もなかなか素直じゃない方だと思いましてね」
「嫌味なくらい素直だと思いますよ」
「そうでしょうか。あれは肝心なことだけは言わないですからね、準一さんがお気を悪くするのも無理はありません」
「藤也は貴方のことを心配してるんですよ」と、花鶏は続けた。その花鶏の言葉に僅かに胸がざわつく。
顔を上げれば、花鶏と目が合ってやつは優しげな笑みを浮かべた。
「もちろん、奈都のこともでしょうが……ですから、そんなしょげた顔しないで下さい」
言いながらこちらへと手を伸ばした花鶏はよしよしと人の頭を撫でる。
そして「正直不気味です」と笑いながら頭をぽんぽんと軽く叩き、手を退けた。
相変わらず失礼なやつだ。
顔を上げ、乱された髪を撫で付けながら花鶏を睨めば花鶏は一笑し、ふと真面目な顔をする。
「でも、藤也の言うことも間違っていないと思いますよ」
「花鶏さんまで言うんですか」
「まさか。これ以上火に爆薬投げ込むような真似はしたくないですからね」
「私は貴方のやり方も嫌いじゃありませんよ。奈都君の願いが叶って準一さんも喜ぶのならそれが一番です」軽薄で、真意が読めない花鶏だがその言葉は茶々でも冗談でもないとわかった。
その一言に、全身の緊張が僅かに解れる。
それと同時に自分が力んでいたことに気付いた。
花鶏は構わず続ける。
「藤也の場合、あれは後ろ向きですからね。無事その恋人の行方がわかればきっと藤也も喜んでくれますよ」
「そう、ですかね」
「ええ、そうですよ。貴方が弱気になってどうするんですか」
もしかしたら、自分は褒められたかったのかもしれない。もしくは、認められたかったのか、向けられた花鶏の笑みが酷く胸に染みるのを感じた。
準一さんは間違っていない、よくやった。
そう藤也が言ってくれるのを期待していたのだろうか、俺は。花鶏に認められたのが嬉しく感じる反面、単純な自分が少し恥ずかしくなる。
それでも、その一言を聞くことが出来たことによって大分気が落ち着くのがわかった。
「……花鶏さんって、たまに優しいですよね」
「たまにどころかしょっちゅう優しいですよ、私は」
誉めた矢先また茶化してくる花鶏に苦笑を洩らした俺は「ありがとうございました」と小さく会釈した。
「どういたしまして」
そう、つられるように笑みを浮かべる花鶏を一瞥しそのまま座布団から立ち上がろうとしたときだった。
「準一さん」座敷に座ったままの花鶏が声を掛けてくる。
その瞬間、首を締め付けていた首輪がぎゅっと喉仏にのめり込んだ。
「っ」
器官が押し潰され、一瞬息が出来なくなる。
いや、それだけならまだいい。しかし、どうやら咄嗟に花鶏はリードを引いたようだ。
強い力で背後へ引っ張られた俺は見事頭から転倒する。
――暗転。
やってくる衝撃に備えつい反射で目をぎゅっと瞑るが、それはいつまで立ってもやってこない。
それどころか、体に違和感を感じ慌てて目を開けばこちらを覗き込んでくる花鶏と目があった。
どうやら間一髪で花鶏に抱き止められたようだ。
正座した花鶏の上半身にもたれ掛かるように倒れた俺は目を丸くしたまま花鶏を見上げる。
「まじでなんなんですか、いきなり」
「いえ、繋がったままでは首が締められてしまうと思い慌てて引き留めたのですが……」
「花鶏さんが首絞めたら一緒じゃないですか」
「申し訳ございません。この歳になると手元が疎かになってしまって」
二十歳の青年の姿をした花鶏に言われると妙な違和感を感じるが相手は死人だ。見た目年齢なんて意味ない。
「今度から口でお願いします」そう小さく息をつきながら起き上がろうとする俺にそれを背後から支えてくる花鶏は「ええ、わかりました」と頷く。
後頭部に息がかかりやけに近いななんて思いながら体勢を立て直す俺はなんとなく背後を振り返ってみれば、ふいに至近距離で目が合う。
「……」
「……」
そして沈黙。
なぜか見詰め合ったまま黙り込んでしまいなんだこの空気はと内心戸惑いながら花鶏から離れようとしたときだった。
不意に伸びてきた手に顎を掴み上げられ、何事かと思ったときには唇にひんやりとした柔らかい感触が触れる。
見開いた視界には長い睫毛に覆われた花鶏の目元が入り込み、一瞬思考回路が停止した。
いや、ちょっと待て。なんでここでキスなんだ。
いや段階を踏めばいいというわけではないが、なんだこれは。
停止した思考回路。
自分が花鶏にキスされていることに気付くのに数秒かかり、そしてすぐに何故キスをされたのかという疑問が沸いてくる。答えは謎だ。
全身から血の気が引き、咄嗟に花鶏から離れた俺は唇を手で押さえ、花鶏を睨む。
「ほんと、なにしてるんですか……っ」
「すみません、つい条件反射で」
「目の前に寂しそうな方がいると構わずにはいられない性分なんです」慌てて離れる俺を引き留めるわけでもなく全く悪びれた様子のない花鶏のわけのわからない軟派な言い訳に俺は「そういうのは違う人にして下さい」と眉を寄せ、花鶏から距離を置く。
数秒間重ねられた唇の感触が離れず、なんだかテンパってしまう自分が恥ずかしくなって俺は花鶏に背中を向けて座る。
「もう大丈夫なんですか?」
相変わらず涼しい声で背後から声を掛けてくる花鶏に「お陰さまで」と答える。
思ったより語気が刺々しくなってしまい、そのことに気付いた花鶏は「それはよかったです」と笑った。
たかがキスくらいで気にしてんのかと笑われているみたいで顔が熱くなる。
平静を取り繕うとすればするほど平静というものを忘れ、掻き乱される。
そんな自分が恥ずかしくて堪らない。
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