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場所は変わって応接室前。
藤也と別れ(というか一方的に消えたのだが)、俺は花鶏に会いに来たわけだがやはり気が乗らない。先程の藤也とのやり取りを思い出すだけでやり場のない焦燥感にも似た苛つきが込み上げ、それを押さえ込むように小さく息を吐き、肩の力を抜いた俺はそのままドアノブを掴む。
小さな音を立てながら開く扉。
そしてその奥に広がる応接室。その中央に置かれた大人数用の古いソファー。
そこには見覚えのある和装の男が一人座っていた。――花鶏だ。
「おや表情が暗いですね、また痴話喧嘩ですか」
目が合えば、花鶏はそう控えめに笑う。
痴話喧嘩の相手が誰だとか口にしなかったが恐らく花鶏には大方想像付いているのだろう。
見透かしたような胡散臭いその笑顔を一瞥した俺は花鶏のからかいを無視し、向かい側のソファーに座る。
「……それで、話ってなんですか?」
「無視ですか……いえ構いませんよ、別に。寂しくありませんし」
拗ねる花鶏。面倒臭いなと思いながらとにかくあまり長居したくなかった俺は「それで、話は」と促す。
俺の様子からなにか察したのだろう。拗ねたようにぷうぷうと頬を膨らませていた花鶏はふと顔を引き締め、そして「ああ、そうでしたね」と柔和な笑みを浮かべた。
長い睫毛がかかった細めた眼の奥、花鶏の目がこちらを向く。
「と言っても大体察しついてるでしょう」
「……南波さんですか」
「はい」
「一応先程無事捕獲させていただきました」言いながら腰を上げる花鶏はソファーの影を覗き込み、「南波」と声を掛ける。
まさかそんなところにいるのかと内心驚く俺。しかし、返事はない。
「南波」
ソファーを降りた花鶏は再び名前を呼ぶ。
そのとき、僅かにソファーの背凭れの影が蠢いた。
そして、
「……俺は、もう、準一さんにあわせる顔がありません」
涙混じりの掠れた南波の声。そしてぐすぐすと鼻を啜る音が聞こえてくる。
どうやら花鶏に精神攻撃を受けたようだ。いつものきゃんきゃん吠えるあの南波の元気はない。
「そんなことわかってますのでさっさと来なさい」
そして相変わらず遠慮がない花鶏は中々出ない南波に焦れたようだ。
言いながらソファーの影に手を突っ込んだ花鶏はそのまま南波を引きずり出す。
シャツを引っ張られ、慌てて襟を掴む南波は「っおい、触んなカマ!」と声を荒げた。
大きく開いた赤いワイシャツのその首元。そこには首輪はなく、締め付けられたような赤い痕だけが残っていた。
「首輪……」
「ええ、もういらないと思いましたのでこちらで回収させていただきました」
「これを」そして、どこからか取り出した革製の黒い首輪を手渡してくる花鶏。
その首輪にはリードが繋がっており、もしかしなくても南波が着けていたものなのだろう。それを差し出してくる花鶏に悪寒が止まらない。
「……あの」
「約束ですからね」
冷や汗が滲む。
まあもしかしたら最悪こうなるだろうとは思っていたがやはり「はいわかりました」と喜んで自ら首輪を嵌めるような性癖は持ち合わせていない。
首輪を受けとるのを躊躇う俺に花鶏は「ああ、ちゃんと準一さんに合うよう調節させていただきましたのですぐにつけられると思います」と余計なフォローをしてくれる。そんな心配していない。
「てめぇカマ!準一さんになんてもの渡してんだよ!!」
「おや、では代わりに貴方が着けますか、南波」
顔をしかめ花鶏に吠える南波だったがその静かな声に一瞬でしゅんと大人しくなった。
早い。早すぎる。せめてもう少し粘ってくれ。
「貴方は私が誰にでも首輪を着けたがる性癖かなにかと勘違いしてるようですが誤解ですよ。私は予め準一さんに忠告していました。南波、貴方の首輪が外れることがあれば準一さんに着けてもらうと」
「それで誰かさんが外したんですからこの流れは当たり前です」隙があれば責める責める。
じとりと流し目で南波を見据える花鶏は着物の袖で口許を押さえ、軽蔑したような視線を送る。
反論出来ないかと歯を噛み締めていた南波。なにかに気付いたのか、はっとした南波は花鶏を睨み返した。
「は……外したって、リードだけだろ外れたのは」
「言い訳は聞きません」
「あ゙ぁ?!」
「ですから言ってるでしょう。これを貴方に着けても構わないと」
「それに、これは身勝手で短絡的な能無しの貴方への苛めでもあるんですよ」宥めるような柔らかい口調とは裏腹に中々慇懃無礼を口にする花鶏。
今にも噛み付きそうな南波に喋る隙を与えないかのように花鶏は続ける。
「貴方の面倒を快く引き受けてくれた準一さんが貴方の一時期の血迷いでこんな扱いを受けている。そう、貴方のせいで」
「束縛癖のない準一さんはさぞかし迷惑でしょうね。その準一さんの怒りや鬱憤は南波、貴方にすべて向けられるんですよ」南波の耳元に唇を寄せ、そう囁く花鶏。
離れている俺のところまでハッキリと聞こえるその甘い声はねっとりと鼓膜に染み込み、こちらまでなんか変な気分になってきた。
そして、わざわざ相手の罪悪感をチクチク刺激するような言葉を並べる花鶏はみるみる内に変色する南波の横顔を見据える。
しかしその目は心なしか楽しそうだ。
本当悪趣味。
「そしてそれを受け入れるのが貴方の罰です」
顔面蒼白になり、ガチガチに緊張した南波の肩をぽんと叩いた花鶏はそう無邪気な笑みを浮かべ、南波から離れる。
死神に鎌を掛けられたような顔をした南波に同情せずにはいられないがその代わりに花鶏の矛先がこちらに向けられるのは勘弁していただきたい。
まあ報復を恐れていようがなんだろうが南波が俺を庇ってくれるのも嬉しかった。
しかし、こうなったら仕方がない。このまま目の前で南波が虐められるのも見るに耐えない。
俺も腹を括るか。そう、諦めて南波の代わりに首輪を着ける覚悟を決めたときだった。
「わ……わかった、俺が着ければいいんだろ?」
先程まで魂が抜けたみたいに硬直していた南波がそう声を上げた。
そして、その南波の口から出た予想外の言葉に俺と花鶏は目を丸くさせる。
「正気ですか?」
「お前から吹っ掛けてきたんだろうが!」
呆然とする花鶏に開き直った南波は顔をしかめ「ほら、さっさと寄越せよ」と花鶏に手を差し出した。
しかし、花鶏は呆然としたまま動かない。
「……」
「おい」
「つまらないですねえ」
そして、そう一言。
反省し、俺を助けようとしてくれる南波に笑みを消した花鶏は首輪の代わりに着物から太い縄を取り出した。
いや、というかなんでそんなもの持ち歩いているんだ。
いきなり現れたその長さのある縄に南波も驚いたようだ。
それを手に歩み寄ってくる花鶏に南波はぎょっと目を丸くし、蒼白する。
「ちょっ、おい!首輪じゃねえのかよ!」
「そのつもりでしたが貴方があまりにもこう素直なので止めます」
「その代わり、一晩貴方はこのまま過ごしなさい」そして、逃げ出そうとする南波の襟を掴みそのまま柱に放り投げた花鶏は縄を使って器用に南波を柱に縛り付ける。
凄まじい手際のよさだった。
なにがなんだか解らず、「はぁっ?!」と声を荒げる南波は縄から抜け出そうとし、自分の胴体に深くめり込み柱に絡み付いては離れないそれに今にも死にそうな顔をして花鶏を睨む。
「おいッ、解けって言ってんだろ!ほどきやがれ!」
「おや、なにやら羽虫が騒いでますね」
そしてこの扱い。
柱に縛り付けられ、足をじたばたさせながらぎゃんぎゃんと吠える南波を軽くあしらう花鶏はこちらを振り返り、そしてゆったりとした足取りで歩み寄ってくる。思わず後ずさった。
「では準一さん、お待たせしました」
「……花鶏さん、あの、南波さんは」
「ふふふ、まあいいじゃないですか。子守りばかりでは疲れるでしょう。たまには息抜きも大切ですよ」
言いながら、背後に立つ花鶏は俺の首に触れ、首輪を当てる。
咄嗟に首に絡み付くその革の帯を剥がそうとするがそれよりも早くバックルを締められた。
喉仏が締め付けられ、小さく呻いた俺は首輪を引っ掻く。が、ぴったりと皮膚に密着したそれはビクともしない。
「……それで、首輪ですか」
「ええ、よくお似合いです」
背後の花鶏を睨めば、目があって花鶏は花のように微笑んだ。
花鶏の華奢な指先が離れる。
「花鶏てめえ準一さんから離れろ!つーかほどけ!」
「お断りします」
まだ諦めていないのか吠える南波を軽く交わした花鶏はリードに指を絡め、そしてそのままグイッと引っ張ってくる。
それほど強く引っ張られていないはずなのに、器官が強く締め付けられ息苦しい。
「では準一さん、散歩の時間ですよ」
「っあ、ちょ……」
「苦しいでしょう。少々絞まるよう調節したんです」
リードが伸びて首が絞まらないよう慌ててソファーから立ち上がる俺はリードを掴み、余裕を持たせながら「俺、一日中これ着けなきゃいけないんですか」と尋ねる。
純粋な質問だった。いつ仲吉が来るかもわからない今、こんな悪趣味な格好していられない。そんな俺の焦りを悟ったのだろう。
花鶏は「朝日が昇る頃には外しますよ」とただ微笑んだ。
「家畜の気持ちを知るのも飼い主の大切な役目ですからね、是非楽しんで下さい」
楽しめるか。
言いながら応接室の扉を目指して歩き出す花鶏。
その後ろ姿を睨み付けていると、ふと思い出したように花鶏はこちらを振り返る。
「ああ、ご安心下さい。私は愛犬家ですので」
なにをどうご安心しろと。
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