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「いいよ」
それが奈都からの相談を受けた仲吉の第一声だった。
当たり前のようにいつもと変わらない調子のその声音にうっかり聞き逃してしまったようだ。
「え?」と聞き返す奈都はきょとんと目を丸くし、そして恐縮する。
「あの、無理強いしてるわけじゃないので無理でしたら……」
「別に無理じゃねえって。そういうことなら全然協力すっから」
あまりにも堂々とした仲吉に逆に不安になってきたのか眉を下げる奈都に仲吉ははにかむ。
正直、仲吉がこういうのは予め想像していた。していたが、やはり、本人がこうも快諾してくれるというのは心強い。
それと同時に、もしかして気付かない内に仲吉に強要しているのかもしれないという不安が込み上げてくる。
だから、俺は仲吉の腕をくいっと引っ張り耳に顔を近付け「いいのか?」と小声で確認した。
囁かれ、驚いたのか目を丸くしこちらを振り返る仲吉は顔を引きつらせ、じとりとこちらを見る。
「お前もしつこいよな、準一」
呆れたような仲吉。顔が赤い。
然り気無く俺を引き離す仲吉は「当たり前だろ、こんな面白そうなこと無視するわけないじゃん」と小声で続ける。
その不躾な仲吉の言葉が奈都の耳に入らないよう慌てて口許を押さえた俺は「げほっげほっ」と咳き込んだ。
どうやら奈都に聞こえなかったらしい。戸惑っていた奈都の表情には喜びの色が浮かび、その目は嬉しそうに笑む。
「あ、ありがとうございます……!」
「いいっていいって、奈都が成仏するためならなんでも手伝うし」
そう無邪気に笑う仲吉。
なんかいい空気だな。なんて思いながら久し振りの和やかな雰囲気に内心ほっとし、ふと奈都に目を向けたとき、一瞬奈都の横顔が曇る。
『成仏』
その単語に反応したように見えた。
そう言えば、奈都は前にも成仏のことで気になることを言っていたな。なにか知っているのだろうか。
なんて気になりつつ、せっかくいい雰囲気のところに水を差す気にもなれず俺は敢えて見なかったことにする。
そして、奈都は仲吉に自分の恋人について説明を始めた。
志垣真綾――それが奈都の恋人の名前らしい。
恋人の特徴や出身地、年齢などを口にする奈都の言葉はどこかたどたどしく、まるで必死に彼女について思い出しながら説明しているようなその姿に無意識に胸が痛んだ。
それに気付いているのか気付いていないのか、うんうんと言いながら情報をメモしていく仲吉。
やがてそれが済んだとき、仲吉は恐らく県外であろう携帯電話を服に戻し、俺たちに向き直る。
「じゃあ善は急げってやつだな。俺、そろそろ旅館に帰るよ」
「もうか?」
「どうせもう暗くなってるしな。あそこならネット繋がるし早速調べてみるよ」
「仲吉、ありがとう」
「おいおい、お礼言うの早いって。そういうのは解決してから言うもんだろ?」
茶化してくる仲吉は猫のように目を細めて笑い、そしてこちらをじっと見据えた。
「なにか解ったらすぐに来るから、そのときはうんと感謝してくれよ」
珍しく真面目な顔、かと思いきや言い終わるとすぐに破顔する仲吉に苦笑しつつ俺は「ああ、待ってる」とだけ呟いた。
そして、旅館へ帰るという仲吉を見送るために洋館を後にした俺たちは車が停めてあるあの崖の上へと向かう。
真っ赤な夕日に照らされた木々。その根本に出来た大きく深い陰に立つ俺は走り去る仲吉の車を眺めた。
ただ奈都の恋人の状態を確かめるだけだから危険なことはないだろうと思うが、なんとなく心配だった。
恐らく仲吉が危なっかしい性格をしているのもあるだろう。
それ以上に心配だったのは、仲吉の精神状態だ。
本人はそんな素振りを見せていなかったが、心なしか顔色が悪いのだ。なんとなく痩せたような気もする。
昨日今日荷物を持ってこいだとか我が儘言ってコキ使ったせいで仲吉も運転で疲れているのかもしれない。
無理矢理にでも一日ゆっくりさせるべきだっただろうか。
そう後悔の念に苛まれていたとき、隣に立っていた奈都は口を開く。
「仲吉さんっていい方ですね」
「……生粋のお人好しだからな」
そう他愛ない言葉を交わせば、奈都はその場を後にした。
ここでぼけーっとしてても仕方ない。そう、洋館へ帰ろうとしたときだった。
「人のこと言えるの?」
不意に、すぐ側から聞き慣れた冷たい声が聞こえてくる。
吐き捨てるようなその声のする方を見れば、そこには樹の幹にもたれかかる藤也が佇んでいた。
声同様温度のない冷たい目。睨むようにこちらを見据える藤也と目があい、藤也は「お人好し」と呟いた。
「藤也、お前いつから」
現れた藤也に安堵するのも束の間。なんとなく奴の様子が可笑しいのを感じた俺はそう驚いたように藤也を見る。
が、藤也は質問に答えない。
それどころか、
「奈都の彼女の状態を知ってどうするの」
「どうって……そりゃ、それで奈都が元気になるなら俺は」
「本気で元気になると思ってるの?」
「……どういう意味だよ」
「奈都が不安になるような状況にいる彼女が奈都が安心出来るような生活を送ってると思うの?」
やはり、奈都が仲吉に事情を説明していた辺りから盗み聞きしていたようだ。
なんとなく刺々しいその物言いに相手が怒っていることに気が付いた。
が、藤也に怒られる覚えはない。
「お前、なんか知ってるのか」
藤也の言葉にむっとなるのを顔に出さないよう気を付けながら尋ねる。
しかし、聞いているのか聞いていないのかこちらを見詰めてくる藤也は全く俺の言葉に返事をしない。
その代わりに、藤也は「俺なら放っておく」と淡々とした声音で続けた。
「今さら蒸し返して相手に期待させるなんて真似出来ない」
「関係ないだろ、お前には」
「関係ないから言ってる」
ようやく返事が返ってきたと思ったらこれだ。
真っ正面から睨み返され、顔の筋肉が強張るのがわかった。
そんな俺の表情の変化に気付いたのか気付いていないのか藤也は構わず続ける。
「準一さん、あんたは出張り過ぎだ。首を突っ込んだら痛い目を見る、そんなことも解らないのか」
挑発するような冷めた声。
確かに余計なお世話だと自覚していた。それでも奈都が安心出来るならとない頭捻って俺なりに考えた。
それなのに、なんでそこまで言われなきゃいけないんだ。
藤也の言い分にも一理あったが、それは奈都を見捨てろということだ。
そんなことを言う藤也にもショックを受けたが、なにより人を愚か者と言うような藤也の言葉が頭に来る。
それと同時に、その言葉に自分の中の糸がぷつりと切れるのがわかった。
「……なんだと?」
自分でも驚くほど低い声が出る。考えるよりも先に手が動き、藤也の胸ぐらを掴んでいた。
藤也は眉一つ動かさない。お互いの顔が近付き、藤也の着ていた薄いシャツが伸びる。
「おまけに単細胞」
そう呟く藤也は言いながら掴みかかる俺の手を取り、そのまま引き離した。
相手の力の強さにも驚いたが、なにより自分のとった行動に驚く。
俺は藤也を殴ろうと思って掴みかかったのだろうか。俺も大概だな。
行き場をなくした自分の手を一瞥した俺は頭に昇った血を抑えようと一息吐き、そして藤也から目を逸らす。
「そんなことが言いたくてわざわざ出てきたのか」
怒るというのはここまで疲れるものだったのだろうか。
思いながら、なんとなく相手の顔を見るのが気まずくて藤也の首元を眺めながら尋ねる。
太い筋が浮かんだ首はもしかしたら俺より細いかもしれない。
「花鶏さんが呼んでる」
「南波さんのことで話があるって」そんな俺の視線に気付いたのか、それでもなにか言うわけでもなくそう問い掛けに対し静かに答えた藤也は用件だけを告げればそのままその場から消え失せた。
「……」
このタイミングで今度は南波のことか。なんとなく気分が悪い。
藤也の言葉がぐるぐると頭の中で回るのを感じながら深い溜め息を吐いた俺は重い足を無理矢理動かし、花鶏がいるであろう屋敷の方へと戻ることにした。
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