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「よかったですねぇ、準一さん。飼い犬がちゃんと飼い主の元へ帰ってきましたよ」 「誰が犬だコラ!」  くすくすと笑う花鶏に吼える南波。  今にも噛み付いてきそうな勢いの南波を見据え、薄く微笑む花鶏は「犬じゃないですか、それも薄汚れた野良犬」と底意地の悪い台詞を口にした。 「あともう一歩遅かったらもっと楽しめたのでしょうが……いえ、準一さんからしてみればもう遅いのでしょうか」  着物の袖を口に当て、わざとらしく肩を竦める花鶏。 「花鶏さん」とやつを横目で睨めば、花鶏は笑いながら手を振った。 「怒らないで下さい。私は決してあなたに危害を加える気はないんですから」  嘘つけ。  そう言い返したいところだったが、相手にする気にもなれなかった。  行為後独特のどっとやってくる疲労感がヘドロのように全身に絡み付き、気力を奪う。  涼しい顔した花鶏はそんな様子露ほど見せないが。それがまたムカつく。 「しかしまあ、わざわざ自らの追い掛けて私の部屋へ乗り込んできただけ進歩でしょうね。成長しましたね、南波」 「うるせぇ!勝手に縛って沁々してんじゃねえよ!御託は良いからさっさと準一さんの首輪を外しやがれっ!」 「きゃんきゃんきゃんきゃん喧しい方ですね、騒々しい」  花鶏に掴みかかる南波。  今度はそれを避けず受け止めた花鶏は髪に隠れた耳を塞ぎ、小さく息を吐いた。そして、俺を一瞥する。 「準一さんの首輪でしたね。残念ながらそれは出来ません」 「んだと?」 「約束は約束ですからね、はいはい聞いていたら不平等でしょう」 「既に俺の扱いが不平等なんだよっ!」  ごもっとも。 「おや、自覚あったのですか」と意外そうにする花鶏にぐっと歯軋りする南波は「てめえ……っ」と唸る。頑張れ南波さん。 「しかしまあ、仕方ありませんね。せっかくあの逃げ腰の南波が頑張ってここまで来たのですから褒美が必要でしょうし」  今にも殴りかかってきそうな南波に怖じ気付いた、というわけではないのだろう。  気が変わったのか、俺の首輪に繋がるリードを握り直した花鶏は「南波」とそれを手渡した。  花鶏の行動に目を丸くする俺。  対する南波は無理矢理花鶏の手からかっさらい、俺に駆け寄ってくる。 「待っててください、準一さんっ。すぐにくっ、首輪を……ッ」  そう、瀕死寸前の人間を助けるかのように今にも死にそうな顔をして南波がこちらに手を伸ばしたときだった。 「誰が外していいと許可しましたか」  響く、静かな声。  俺の首へ伸ばされた南波の手首を取った花鶏はにこりと微笑む。 「私はあなたにリードを預けましたが外していいとは一言も口にしていません」 「なにを屁理屈言って……っ」 「外したければ外して構いませんよ。しかし、そうですね……もし朝日が昇る前にその首輪を外したら、そのときは先程の続きをしていただきましょうか。準一さん」  狼狽える南波に構わずそう静かに続ける花鶏は言いながら俺を見据える。  まともに目が合い、『先程』のことを思い出した俺は全身がギクリと緊張するのがわかった。  くそ、なにが俺のためだ。全部自分のためじゃねえか、色情霊が。  歯を食いしばり、腸が煮え繰りそうになるのを必死に抑え込む。  そんな俺とは対照的に全く話についていけていない南波は「先程?」と訝しげに眉を寄せ、花鶏を睨んだ。 「おい、なに意味わかんねえこと言って……」  そしてそう案の定突っ込んでこようとする南波に俺は「南波さん」と慌てて相手を呼ぶ。  ビクッと震え、何事かと硬直した南波は青い顔をしてこちらをみた。 「俺の首輪のことは気にしなくていいんで、リードのことお願いしてもいいですか」 「じゅっ準一さん、正気ですか……ッ!」 「そんなに私と営むのは嫌ですか?傷付きますねぇ」  驚いたように目を見開く南波と、それとは対照的にくすくすと笑う花鶏。  品のないその言葉に不快感を覚えた俺は眉をひそめ、花鶏を睨んだ。  目が合って、花鶏は笑いながら目を伏せる。 「おや、冗談ですよ。そんなに私のことを意識しないで下さい。どきどきするじゃありませんか」 「準一さんに気持ち悪いこと言ってんじゃねーよアホ!ばーか!」  愉快そうに笑う花鶏に吠え散らかす南波。  あまりにも低レベルな罵倒にあきれた顔をした花鶏「あなたは何歳児ですか」と突っ込む。  そんな花鶏に構わず、しっかりとリードを握り直した南波はちらりとこちらを見、「準一さん」とリードを軽く引っ張った。  顔を上げれば、ガチガチに緊張した南波と目があう。  慌てて南波は目を逸らした。 「あの、では、行かせてもらいますね。苦しかったらお気軽に好きなだけ俺に言ってくれていいんで!」  これは、本当に南波に任せてて大丈夫なのだろうか。  花鶏よりかはかなり頼もしいが、不安要素の方が大きいのも確かだ。  しかし、この人に頼るしかない。  答えるように「お願いします」と呟けば、やり取りを眺めていた花鶏が「どちらが飼い主かわかりませんね」と笑った。  初めから俺たちはどちらが犬やら飼い主やら決めていないのだからわからなくて当たり前だろう。  言い返したかったが、口を利くのもムカついたので敢えて聞こえないフリをする。

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