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 別にあいつを助けるつもりではない。  出来ることなら会いたくもない。けれど、ほっとけないのだ。  しなかったことでの後悔はしたくなかったから。 「幸喜!出てこいよ!いるんだろ!」  幸喜たちの部屋の中。  薄暗く、様々な花瓶にいけられた草花で埋め尽くされたその部屋は軽く植物園状態だった。  飛んでくる気色の悪い色をした虫を振り払い、俺はもう一度声を上げた。 「幸喜っ!」  静まり返った部屋に自分の声だけが反響する。  ……いないのだろうか。  他のところにもいなかったのでもしかしたらと心当たりを当たってみたのだが仕方ない。  次を探すか、と振り返った矢先だ。ガタリと背後で小さな音がする。  咄嗟に振り返った瞬間、背後、佇んでいたボロ棚が大きく傾く。それを回避すれば、その棚は床に叩きつけられ大きな音を立て割れる。  自分よりもかなりの背丈のあるそれにもし自分が避けるのに遅れたらと思えば背筋が凍るようだった。 「あちゃー惜しかったな」  先程まで棚があった場所。浮かび上がる幸喜に俺は身構える。 「……幸喜……てめえ」 「んだよ、今更仕返しに来てくれたのか?残念、ちょい遅かったな」  遅かった。妙な言い方をする幸喜をどういう意味だと睨み付ける。  すると、その額に汗が滲んでいることに気付いた。 「……幸、喜……?」 「もうちょい早かったら、楽しめたんだけどなぁ……」  何かが、おかしい。  浮かべた笑みがじわじわと引き攣る。  そして、次の瞬間だった。ごぽりと、薄く笑みを浮かべていたその口から血の塊のようなものが吐き出されるのを見て、俺の中の違和感は確かなものとなった。 「な……ぁ……っ?!」  目を疑った。  幸喜の腹部、着ていた服が盛り上がったかと思えば幸喜のうめき声とともに真っ赤に染まり出す。  目を見開き、頭をもたげる幸喜の背後、佇む影に気付いた瞬間血の気が引いた。  赤黒い学ラン姿の少年、義人は俺の姿を見つけるなり目を細める。 「ああ……準一も来てたんだ……嬉しいな、ぼくを追い掛けてきてくれたんだよね」 「でも、ごめん……今はちょっと、見られたくないかな」そう、弱気な表情を浮かべたまま義人は腕を動かす。 「っ、ァ、ぐッ、ああッ!」 「幸喜っ」  瞬間、びくりと痙攣する幸喜の身体。  おびただしい出血にハッとし、咄嗟に俺は幸喜の身体を掴んでいた。  自分だって、腹を突き破られた。関わるな、逃げろ。脳内に響く声を無視し、痙攣が収まらない幸喜の身体を抱き締め、落ち着かせる。  けれど、それとは裏腹に俺の心臓はバクバクと加速するばかりで。 「何を、してんだよ、お前は……ッ」  幸喜の息が浅い。死人だとわかっていても、不安で堪らなくなる。  幸喜を奪われても特に取り乱すこともなく、じっとこちらを見下ろしてくる義人を睨む。  するとやつは不思議そうに首を傾げた。 「何を……?ぼくは、その……ただぼくは自分のものを返してもらおうと思っただけだよ」 「返してもらうって……」 「思い出せないんだ、ぼく、どうしてここにいるのか、わからないんだ」 「だけど、優しいお兄さんが教えてくれたんだ。……幸喜が、知ってるって。全部、ぼくが思い出せないことを」優しいお兄さん、やつの言うが誰なのかわからない。けれど、何故だろうか、薄ら笑いを浮かべたあの和装の男がすぐに脳裏を過る。 「聞きたいなら、直接口で聞けばいいだろ、そんなの」 「駄目だよ……そんなの……だってそいつ教えてくれないんだ、何も。ずっと笑ってて」 「ムカつくんだよなぁ……ぼくだから、仕方ないのかな……そうだよね皆イライラするって言ってたしなぁ、ぼくのこと……」ぶつぶつとうわ言のように呟く義人の目に俺は映っていない。  危ないやつだと思った。幸喜も俺にとって不気味には変わりないが、それでも、会話してる気がしないのだ。肝心の何かが、噛み合っていない。  そんな中、腕の中抱き締めていた幸喜が小さく呻く。 「っ、準一、あのさ、それまじで苦しいんだけど……」  聞こえてきた声に慌てて視線を下げれば、先程の出血は嘘のように綺麗になった幸喜がいた。 「幸喜、お前、大丈夫なのか……」 「ナニソレ、俺のこと心配してんの?モテる男って辛いな~……」  茶化してくる幸喜だが、その顔色は俺が見て分かるくらい青褪めていて。 「幸喜」と咎めるように声を上げれば、幸喜は笑う。 「悪いけど、俺、準一に心配されるほどヤワじゃねーんだわ。残念だけどね」  そう幸喜が目を細めた瞬間、先程まで腕の中にいたはずの幸喜の感触は消え失せる。  その代わり、俺の前、義人との間に立ち塞がるように立つ幸喜は倒れた棚の側、落ちていたそれを拾い上げた。 「全く、あの人もやってくれるよなぁ……まあ、そろそろこの生活にも飽きてきたからいいんだけど……」  薄暗い部屋の中、幸喜の手の中で鈍く光る銀色に俺は目を見張った。  ところどころ錆びたサバイバルナイフのその尖った先端を義人に突き付ける。 「幸喜、お前っ」 「準一、お前、知ってんだろ。俺達のこと」 「……っ」  慌てて止めようとしたその時、目だけを動かし俺を見た幸喜はやっぱり軽薄な笑みを浮かべていて。 「なら、なんで俺が産まれてきたのか知ってるよな」  主人格を外部からの精神的攻撃から守るため、分裂して産まれたと藤也からは聞いた。  押し黙る俺に、幸喜は静かに続ける。 「俺の知ってる義人はもう死んだ。そこにいるのは義人の精神を食った悪霊だよ」  他人ごとのように淡々と続ける幸喜。  笑っているのに、何故だろうか、一瞬やつの笑顔が悲しそうなものに見えた。それも、一瞬だ。 「なら、それを消すのが俺の役目だろ」  幸喜の目の色が変わる。  先程よりも濃くなる殺気に反応するかのように輝き始めるその目に、やつが攻撃的本能を司ったものだという事を改めて突き付けられたような気がして、動けなかった。

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