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居ても立ってもいられなくなり、戻ってきた屋敷ロビー。
落ちて砕けたシャンデリアは跡形もなくなっていて、天井にはいつも通りあのシャンデリアが吊るされている。
誰が片付けたのか、ということよりも俺の頭の中は先程の藤也たちとの会話がぐるぐる回っていた。
「…………」
仲吉は、大丈夫だろうか。
他の連中連れてここまでやってくるのだから元気には違いないとわかっていたが、それでも、やはり気掛かりだった。
やっぱり、連れてくるべきではなかったんだ。
けれど、他人から生気を奪わなければ消えるという藤也たちのことを考えると一概に奴らを否定することも出来なくて。
俺では、駄目なのか。
俺なら、さっき藤也に食われたし、少しぐらいは腹の足しにはなるのではないだろうか。
そう考えかけて、藤也相手に必死に考えてる自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。
「……ッああ、もう……」
どうして俺がこんなにムキになるんだ。放っとけばいいだろう。そう必死に自分に言い聞かせる。
とにかく今は、藤也のことを考えたくなかった。でなければ、頭がパンクしてどうにかなりそうだ。
そう言ったものの、やはり、無視することは出来なかった。
義人が幸喜と藤也の主だとしたら、やはり、二人の特異体質にも関係があるわけだ。
どうにかして誰も傷付けずに藤也たちが動けるようになる方法はないのだろうか。
そう考えた俺はもう一度義人の部屋へと訪れることにした。
先ほど来た時と変わらない、無骨な子供部屋。
なのに、何でだろうか。
以前来た時に比べ、部屋の濃度が濃くなっているような気がする。夏の深夜とは無縁の、ひやりとした外気が身体に絡み付いてくる。
あまりの息苦しさに咄嗟に幸喜の姿を探してしまったが、見当たらない。
それよりも、
「……」
部屋の片隅、置かれたベッドに目を向ける。
そこに置かれた布団には以前になかったはずの不自然な膨らみが存在していた。
……やっぱり、これ、だよな。この変な感じ。
以前の俺ならあまりの気味悪さに即体質していたが、ここの部屋の主が誰か知っている今、必然的にこの膨らみがなんなのかもわかってしまう。
ベッドに歩み寄り、そのまま布団を引き剥がす。
瞬間、ベッドの中、現れたそれに思わず俺は目を見開いた。
「っ、う」
もしかしたら義人が戻っているのかもしれない。
そう思っていただけに、俺はそこに横たわるそれに息を詰まらせる。
「……っ、これ……は」
そこには、幸喜が燃やしたはずのあの人形と、もう一体、寄り添うように横たわる小さな黒い物体があった。
頭部に存在する尖った耳からして、猫だろうか。
なぜだろうか。その黒い猫を見た瞬間、藤也の姿が脳裏に浮かび上がる。
「……」
これも、義人が作ったのか。自分を、守るために。
俺には、想像つかなかった。そこまで追い詰められたこともないし、ハンドメイドなんて無縁の生活を送ってきたから余計。
だけど。
手を伸ばし、猫のぬいぐるみに触れようとした瞬間だった。
瞬きをしたその瞬間、猫のぬいぐるみは一瞬にして切り刻まれる。
「な……ッ」
幻覚か、それとも何かの仕掛けか。わからなかった。けれど、隣の人形に目を向ければ同様そこには人形の姿はなくなっていて、その代わりに燃えカスが落ちていて。
俺の、せいなのか。
そう思ったが、そもそも既に燃えカスになっていたあの人形が元の形で現れたこと自体がおかしい。
つまり、この部屋自体が。
「準一」
その時だった。聞き慣れない柔らかい声が聞こえてきたその瞬間、背筋にずしりと嫌な重荷が伸し掛かる。
この感覚には、覚えがあった。
「っ、義人……か……?」
答えは返ってこない。けれど、それが答えなのだろう。
器官が圧迫される中、俺は義人らしき存在を確かに感じた。
なぜ自分でも声の持ち主が義人だと思ったのかわからなかった。
声そのものは恐らく、幸喜や藤也と同じだろう。
それでも、その細い声量や篭った話し方は、幸喜や藤也のものとは違う。
そして、どうやらその俺の考えは当たっていたようだ。
「ごめん、なさい……ありがとう、ぬいぐるみ、嬉しかった……」
すぐ頭上から聞こえてくる、弱々しい少年の声。
その今にも掻き消されそうなそれとは裏腹に、全身に絡み付いてくる不快感は強まるばかりで。
なんだ、なんなのか、これは。
憑かれる。さっきはそう、藤也が言っていた。
けれど、今度は違う。
「お前、そこに……居るのか……っ?」
押し出すように尋ねれば、少し間を置いて義人は「うん」と答えた。
その時だ。今度は確かに肩に、何かが触れた。
それは義人の手だろう。
視界の隅、自分の肩口にのめり込む白い指先が見えた瞬間、首根っこを掴まれる。
「っぅ、ぐ……!」
そのまま頭部ごとベッドに押し付けられそうになり、咄嗟にベッドの縁を掴んで体勢を持ち直そうとするが、余計伸し掛かってくる重圧が加わるばかりで。
まるで、この部屋全体に圧し潰されるような、そんな息苦しさに全身の穴と言う穴から嫌な汗が噴き出す。
「後……少しなんだ、あと少しで、取り戻せそうなんだ……あいつに奪われた分」
「あ、いつ……?」
「お願い、準一、少しだけ……ぼくにちょうだい」
何を言ってるんだ、こいつは。
まるで言葉が理解できなくて、理解する暇すら与えられぬまま身体の負担は一気に膨らむ。
潰れる、というよりも、押し出される。
そう言った方が適切なのかもしれない。
必死になってしがみつけばしがみつくほど、押し寄せてくる息苦しさに自分を見失ってしまいそうになってしまう。
「っ、ぁ、く……ッ」
そんな中、ベッドの縁を掴んでいた手に、ひんやりとした何かが重ねられる。
それが義人の手だと分かったが、振り払うことも出来ないまま痩せた指先は俺の指先に絡み付いてきた。
少し力入れただけで折れてしまいそうな義人の指先は鎖か何かのように重く、振り払うことが出来ない。
「ああ……ごめん、ごめんなさい、ごめん、準一、君の心はすごく暖かいね、すごい……心地がいい」
「やめ、ろ……ッ!」
このままでは本当に、呑まれてしまう。
小さな隙間を抉じ開けるようにどんどん何かが流れ込んでくる。
隙を見せるから、と藤也は言っていた。義人は可哀想な子供だと、思っていた、まだ思っている俺が隙というのか。
それならば、と俺は奥歯を噛み締めた。
「やめろって、言ってんだろッ!」
自分の甘さが浮き彫りになっていくようで、ただただ深いなこの体質にもそろそろ嫌気が差してきた。
圧し潰される肺の奥、搾り出すように拒絶の言葉を口にした瞬間、鎖のように絡み付いてきていた義人の手が緩む。
その隙を狙い、やつを振り払った俺はベッドから離れた。
「っ、ぁ……」
「いきなりどういうつもりだ……っ」
「あは……ごめん、やっぱり……怒るよね……でもいいんだ、もう十分だよ。これで……ようやくぼくは……」
薄暗い子供部屋の中。
藤也たちとよく似た、それでいて少し幼いその顔立ちの学ラン姿の少年は笑う。
それは、いつの日か俺が見たあの無邪気な笑顔とは違う、背筋が凍るような笑みで。
青褪めた嘉村義人は、それだけを言い残し部屋を出ていく。
瞬間、先ほどまでの異様な瘴気は嘘のように消え失せ、ただ身体の中にこびり付いた不安感だけが嫌に生々しかった。
「何なんだよ……っ」
義人がいなくなった後、暫くその場を動けなかった。
それでも、何故だろうか。放っておくことが出来なくて、気付いたときは俺は義人の後を追い掛けてた。
「待てよっ!おい!」
義人の後ろ姿はすぐに見つかった。
廊下を駆け、先を行く義人を目掛けてひたすら駆けるが追い付けない。
そんな中、前方、義人の向かい側に見知った影を見付ける。奈都だ。
「あれ、藤也君?」
学ラン姿の義人に、驚いたように声を掛ける奈都だが勿論義人が反応するわけがなくて。
「奈都ッ!そいつを止めろっ!」
「えっ?あっ!」
奈都が俺の声に気付いた時にはもう遅かった。
奈都を突き飛ばすように走り去っていく義人。
目の前でバランスを崩す奈都を無視することが出来なくて、足を止めた俺は慌てて抱き留める。
「大丈夫かっ?」
「僕は大丈夫です、けど……今のは」
「……藤也の親だってよ」
他に言葉が見付からなくて、そう告げれば奈都は「えっ?!」と凍り付く。無理もない。だけど間違ってはいないはずだ。
「取り敢えず、あいつを捕まえたいんだっ!」
「わ……分かりました!僕、先回りするので挟み撃ちにしましょう!」
こういうとき、物分りのいい奈都の性格は有難い。
そう気張る奈都に「おう!」と頷き返す。瞬間、奈都の姿が目の前から消え失せた。
少なくとも、長い期間力を失っていたであろう義人よりか俺たちの方がこの特異な身体の使い方も慣れているはずだ。
それに、あの様子からして瞬間移動は知らないだろう。
とにかく、捕まえよう。それからどうするのかは、後から考える。
あんな目をしたやつを野放しにすることだけは出来ない。
「よしっ!」
暫くもしない内に再び義人の後ろ姿は見えてきた。このままなら、多分、追いつける。
一本道になった通路の向こう側、奈都が待ち伏せているのを見て俺はそのまま義人に飛び掛かろうとした、その瞬間だった。
割れた窓の前、いきなり足を止めたと思えば義人はそのまま窓から飛び降りる。
「あ」
「え」
まさか横に逸れるなんて思ってもなくて、勿論、身体をいきなり止めることなんて出来るはずもなく。
目の前、目を見開いた奈都が映り込む。
頭から奈都に突っ込んだ、その瞬間。鈍い衝撃とともに一瞬、全身の機能が停止していた、そんな気がする。
「……ッ!!」
「ら、らいじょうぶですか、準一ひゃん」
どちらかといえば、というか絶対奈都の方が大丈夫ではないはずだ。
「なんとかな」と、強打した顔面を擦りながら俺は体勢を取り直す。
ああ、こういう時本当痛みを感じない身体で良かったと思う。だって今の確実に歯が折れてる。
「悪い、痛かったろ」
「い……いえ、準一さんが無事でよかったです」
赤くなった鼻を抑えながら、奈都は照れたように笑う。
その優しさが逆に申し訳なくなってくるわけだが。
「それよりも……、どこへ向かったんでしょうか」
破れた窓から首を出し、辺りを見渡す。
真っ暗な闇の中、既に義人の姿はなかった。
『これで……ようやくぼくは……』
そんな中、不意に義人が口にした言葉が頭に蘇った。
「もしかしたら、藤也か幸喜のところかもしれない……」
「どうしてですか?」
「わからない、けれど、ようやく動けるようになったっていうなら……」
もしかしたら、あいつはいなくなった自分の半身を探しているのかもしれない。
以前の自分を取り戻すために。
根拠はない、それでも、他に手掛かりはない。
「……奈都、お前藤也のところに行ってくれ」
奈都ならば、藤也とも仲が良いし少なくとも俺よりも上手く藤也の相手を出来るはずだ。
それに、奈都と幸喜を一緒にするわけにはいかない。
俺の態度から何かを察したのだろう。「準一さん」と不安そうな目を向けてくる奈都の視線を受け流し、俺は口を開いた。
「俺は、幸喜を探す」
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