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女王が死んだ日

 今日、母が処刑された。  兵士たちに頭を押さえつけられ、首を刎ねられたという。  母は癇癪持ちで、潔癖で、けれど気の弱い父の代わりに王の役目を買って出るような剛毅な人でもあった。  僕は、母親を尊敬していた。 「首を撥ねろ」と口癖のように言っていたあの母親は、憎きアリスのせいで裁判に掛けられ、そして死刑へと追いやられたのだ。  無茶苦茶な裁判だった。けれど、王――父も、傍聴人も、監視役の兵士も、誰一人母親を庇おうとしなかった。  全員が口を揃えてこう言うのだ、首を撥ねろと。  僕だけが、僕一人だけが母親を庇った。  けれど、あの男――アリスは僕を見てこう言ったのだ。 「あいつもあの女の仲間だ、捕らえて牢にぶち込め」と。  それから、僕は味方だと思ってた兵の連中に羽交い締めにされ、無理やり裁判所から連れ出された。  暴れたが、鍛え上げられた傭兵相手に勝てるはずがなかった。 逆に腹を殴られ、朝食代わりに食べたケーキの生クリームを嘔吐したがそれを拭うことも許されぬまま地下の罪人用の牢獄へと閉じ込められることになる。  母親が処刑されたと知ったのは、そんな僕の元へやってきた白ウサギが教えてくれたからだ。  まだ若いはずなのにストレスで真っ白の髪の彼は、鉄格子にしがみつく僕を見て「可哀想に」と目を細めた。 「王子、落ち着いて聞いてください。 貴方の母――女王は先刻処刑されました、あの場で、あのまま、アリスの指示により斬首が行われました」 「う、そだ」 「私もそう思いたい。けれど、夢ではないのです。ああ、可哀想な王子……お気を確かに」  涙すら出なかった。  母に恨みを抱いてる人間は多いことは知ってた、いずれこうなる事は想像していた。  けれど、その死に目にすら会えなかったこと、それもそれを促したのがあの憎きアリスだと知って腸が煮え繰り返る思いだった。 「王は……父は、止めなかったのか」 「……」 「クソっ、あの男……ッ! 母様を見殺したのか!」  全部、あの男――アリスが来てから狂った。  母親の絶対王政によって均等が取れていたこの国は、あいつがやってきてから狂い始めたのだ。  白に近いブロンドヘアーに、透き通ったような白い肌。  見てると吸い込まれそうになる蒼い瞳、薄い唇、見るものを狂わせるほどの美貌を持ったあの男――アリスと名乗る異界人に、誰もが惹かれるのだ。  母親の言いなりだった父は、アリスに心を奪われた。  そして、あの男は母を捨ててアリスの味方についたのだ。  アリスに惹かれたものは多い、そして、母親に雇われていた兵士たちも恐らくもうとっくにアリスに心奪われていたのだろう。  母親は、アリスのことを国賊だと言っていた。  異界からやってきたという物珍しさで目を惹き、そして、観衆から味方につけるという汚い手を使う。  その結果が、これだ。  今ではアリスがやってきた時点で処刑に掛けようとしていた母の判断は正しかったのだと痛感する。  これからのこのワンダーランドの行く先を考えると吐き気がするようだった。  ――絶対に、あの男の好きにさせるものか。 「王子、私は貴方の味方です。しかし私もアリスに目をつけられていることでしょう。もう少し、もう少し時間をください。すぐに貴方を助けれるように準備をします、ですのでもう少しの辛抱を」 「ああ、わかった。信じてるぞ、白ウサギ」 「ああ、王子。痛み入ります」  白ウサギは深く頭を下げ、そして牢を後にした。  一人残された牢の中、僕は白ウサギが立ち去った後を見ていた。  白ウサギは、気の弱い男だった。  いつも母から怒られている姿がよく記憶に残っていたが、それでも母の健康のことも真摯に心配してくれる真面目で心優しい男だ。  小さい頃から、往診でやってきた白ウサギにはよく遊んでもらっていた。  垂れ目がちな赤い目は僕を見つけるといつも糸のように細くなり、優しく微笑んでくれるのだ。  母は白ウサギのことを愚鈍な男だと言っていたが、ずっと担当医を白ウサギから変えることはなかった。  それなりに白ウサギの腕を信用していたのだろう。  白ウサギはああ言っていたが、正直僕は不安で仕方なかった。  白ウサギは母の専属医師だったから、もしかしたら僕のように仲間と言われて理不尽な目に遭わされていないか不安だったのだ。  白ウサギだけではない、母の家来や使用人たちもだ。  ――とにかく、一刻も早く出なければ。  ――そして、一早くアリスからこの国を取り戻すのだ。  それが、母ならば悲しみに暮れるよりもそう考えるだろう。  ならば、と鉄格子をキツく握り締めたとき。  上階からこの地下牢へと続く鉄製の扉が開く音が聞こえた。  カン、カン、と重厚な足音が響く。  急速に冷えていく頭、僕は、鉄格子から手を離し、じっと降りてくるその人影を見ていた。  そして、息を呑む。 「よぉ、元気か?」  だらしなく笑うその口元、そして、ニヤついた目元。  見慣れた真紅の兵装を着崩したその金髪の男は、目深に被った兵帽を取って笑う。  瞬間、頭にカッと血が昇るのがわかった。 「ジャック、お前……ッ!!」 「おお、あまり無理するなよ。お前、殴られたんだろ?丈夫じゃねえんだからさ、大人しくしとけって」  ――ジャック。  この男は、兵士の中でも腕が立つ父専属の近衛兵だった男だ。  そして、母親を裏切った過去を持つ男でもある。 「貴様、よくもぬけぬけと僕の前に顔を出せたな!」 「ははーん、そうピリピリすんなって。さては、あのクソババアが死んだの聞いたんだな? 誰だ? 白ウサギの野郎か? それともエースか?」 「お前らの仕業だろうが、この売国奴がッ!」  「おうおう、血盛んじゃねえか。そう声出すなって、枯れるだろ?」 「巫山戯るな、僕を笑いに来たのかッ!」  親の敵を前に落ち着けるはずがない。  この男は、母親の大切な宝石を盗んだ罪で母親に処刑にかけられるはずだった。  けれどアリスのやつがこの男をかばったのだ、『盗むつもりではなかった』、『借りて返すつもりだっただけだ』と屁理屈を捏ね回してだ。  その上、ジャックを気に入ってる父が味方した。  そのせいで裁判は掻き回され、結局懲罰房行きになって刑期を終えたあとまた父の警護に戻ったのがつい先日だ。  この男が裏から手を回してたのには違いない。  殺してやる、と鉄格子を掴んだ瞬間。 「――だからァ、落ち着けって言ってるだろ」  思いっきり頬を打たれる。  一瞬、何が起きたのかわからなかった。  チリチリと焼けるような痛みは頬から顔面の右半分へと広がる。  感じたことのない激痛に呆気取られ、顔を上げればそこには鉄の棒を手にしたジャックが冷たい目でこちらを見下ろしていた。 「お前さぁ、まだ自分の立場をわかってねえんだろ?なあ、世間知らずの王子様。  ――今やこの国で賊はテメェの方なんだぜ」  この男、鉄格子越しに僕を殴ったのか。  そう理解した瞬間、怒りで頭に登っていた血が急激に引いていくのがわかった。  普通なら、僕を殴れば死刑になる。  それをいとも容易く行ったということは、死刑になる覚悟がある馬鹿か、なんらかの変革が起きた証拠だ。  それは、最悪の事態だった。 「っは、ようやく理解したか……坊っちゃん」 「そんなはず、ない」 「信じたくねえならずっとそこで現実逃避でもしとけよ。……ああ、それがいい。 アリスはお前のこと気に入ってるから殺しはしねえだろう」  けど、と、蹴飛ばされる牢の扉。  僕の力ではびくともしなかったくせに、ジャックの蹴り一発で壊される鍵に、牢の中へと入ってくる男に、血の気が引いた。 「俺は、うっかり殺しちまうかもなぁ……」  頭何個分も高い位置にある頭に、服の上からでもわかるほど筋肉で覆われた体。  『逃げなければ』と叫ぶ本能に反応するよりも先に、分厚い手のひらに胸倉を掴まれる。 「ようやく、二人きりになれたな。……王子」  ――母様、貴方はいつだって間違っていなかった。  ――妙な動きをした時点でこの男を処刑すべきだったのだ。  赤い舌が覗く。  舌なめずりをする男に、今度こそ命の危機を覚えた。

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