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 薔薇に覆われた白レンガの城壁を抜け出し、裏道から森を抜ける。  表から出れば安全に街へと下れるが、その分人目に晒されることになりリスクが高い。  その理由から、敢えて危険ではあるが人目を避けることができるという森を選んだのだが、正直、エースがいなければ僕は一生この森を抜け出すことができない自信があった。 「大丈夫ですか。体、辛くありませんか。やはり自分がおぶって……」 「必要ないと言ってるだろう。それに、お前の手が塞がっていては万一の時に困るだろう」 「そうですが……」 「辛くなれば休憩を取らせてもらう。だから僕のことは気にしなくてもいい」  本当は虚勢だった。  歩く度に殴られた腕の骨に響いたが、それでも、そのせいで足を止めることはしたくなかった。  とにかく、いち早く安全な場所で休む方が先だ。  そして多少の無理して、なんとか本格的に夜が来る前にエースが言っていた目的地に辿り着くことが出来た。  のだけれども。  森の奥、そこに聳え立つのは薄汚れた洋館だ。  人が住んでいる気配などなさそうな廃屋のようなそこに、思わず隣のエースを見上げた。 「……エース、本当にここで合ってるのか」 「ああ、はい……その、ちょっと待っててくださいね」  そう言って、エースは洋館の呼び鈴を鳴らす。  まさか本当にここに人がいるのか。  辺りを見渡してみるが、確かに複数の足跡があったりはするが……。  すると、ギィ……と軋むような音ともに大きな扉が開いた。  そこに現れたのは。 「やあ、遅かったね」   仕立てのいいスーツに、派手なシルクハット。  おんぼろの洋館には不釣り合いなほど見目のいいその男は胡散臭い笑みを浮かべ、そして、被っていたハットを取っては恭しく頭を下げてみせる。  赤みがかった淡い茶髪に、白い肌。  この男には、見覚えがあった。確か、この男は。 「帽子屋」  名もなき帽子屋の男は、以前に一度城で行われた女王のパーティーで催し物と称してイカサマをし、その罪で投獄された男だ。 「待っていたよ。なんたって役者が揃わなければお茶会が始められない」 「エース、この人は……」 「すみません、遅くなってしまって。道に迷っちゃって」 「ああ、それならば私の方から迎えを寄越したというのに。それは大変申し訳ないことをした」 「さあさあ早速入り給え、ケーキも紅茶も最高のものを取り揃えた。早速始めよう」何故この男が、と固まる僕に、エースは何も言うなと言うように目配せをしてくる。  僕に気付いているのか気付いていないのか、ニコニコと人良さそうな笑みを浮かべた帽子屋は僕たちを屋敷内へと招き入れるのだ。  理解が追いつかなかったが、今は従うしかない。  とにかく帽子屋の後をついていくことにしたのだが……。 「ひっ」 「いかがされましたか、王子っ」 「な、なんか……虫が……っ」 「ああ、彼も私の友達さ。名前はディム。仲良くしてやってくれ」 「な、何を言ってるのだこの男は……っ!」 「ま、まあ……落ち着いてください……とにかくここは自分に任せてください」  さっきからエースはこんな調子だが、僕はというと一刻も早く此処から立ち去りたいという気持ちが強かった。  まさか、ここに滞在するつもりなのか?  蜘蛛の巣が張り、得体の知れない虫が内部まで侵入したこの屋敷に。  空気の悪さに具合までも悪くなってくる。  それにしても、どこまでいくつもりなのだろうか。  屋敷の奥へと進んでいく帽子屋に、それよりも人っ子一人屋敷にいないどころか気配すらないことに違和感を覚えた。  元々、女王はこの男を気狂いと呼んでいた。  しょっちゅう幻覚を見ては、存在しないものを存在すると言い出すような男だと。  何度も問題を起こしては、あまりのくだらなさに女王の方が折れて放置していたが……まさかこんなところに住んでいたとは。 「さあ、待たせたね。ここが、お茶会の会場だ」  そう、扉を開いたその先には薄汚い部屋がある。  真ん中にはぽつんとテーブルが置かれ、その壁には大きな本棚。そして、テーブルと同じシリーズであろう椅子が数脚規則正しく置かれてる。 「皆、君たちのことを待っていたんだ。今日は、楽しんでいってくれ」 「ま、待て、皆って……誰もいないぞ!」 「何を言ってる? 君は目が悪いのかい? いるだろう、そこに」  そう帽子屋が壁のレンガに触れた瞬間だった。  足元の床が外れる。  え、と足元を見るよりも先に、エースに体を抱き寄せられた。  それとほぼ同時に、先程まで立っていた場所の床が動き、地下へ続く階段が現れる。  「こ、これは……」 「さあ、どうぞ。足元は暗い、踏み外さないように気をつけ給え、お嬢さん」 「おじょ……ッ」 「お、王子……気持ちはわかりますが、この男の発言は真に受けない方がいいです。キリがないですから」  帽子屋は腹立つが、今はエースに免じてぐっと堪える。  そして僕たちは、地下へと続く階段を降りたのだが――そこに広がる光景を見て目を疑った。  まず階段を下って現れたのは鉄製の扉だ。  帽子屋の手により開かれる扉の向こう側は、別世界だった。  本当に先程までいた屋敷の一部なのかと疑いたくなるほどの豪奢な内装の客室には先客がいた。  テーブルを挟んで、ワインと紅茶を飲みながらトランプカードで遊んでいたのは二人の男だ。 「やあ、二人共お待たせしたね。彼らが先刻話していたお客人だよ」  帽子屋の言葉に、ワインをラッパ飲みしていた若者はじとりとこちらに目を向ける。  焦点の定まっていない目に、淡い栗色の髪。  それなりに着飾れば美青年の部類なのだろうが、テーブルの上に足を乗せ、ボリボリと腹を掻く姿は嫌悪感しかない。  その男は、僕の隣にいたエースを見るなり呆れたように酒瓶をテーブルへと叩きつける。 「おい帽子屋、俺は客人なんて聞いてねえよ。つーか、そのクソ趣味の悪い赤い軍服……とうとう本格的に脳味噌使い物にならなくなってきたのか?帽子屋、アンタまた我らが女王に処刑されたいのか、死に急ぎすぎだ」  この若者は、エースの服装から僕たちが何者なのか勘付いたらしい。  帽子屋よりかはまだまともな頭はしているらしい。  相手の言動の端々から感じる敵意に、咄嗟にエースを見たが、エースは剣に触れる様子もない。  というよりも、それよりも気になったことがある。 「――女王は、亡くなられた」  エースは、そう若者に言った。その言葉に、若者と、その向かい側にいた青年が反応する。 「へえ……そうなんだ、可哀想に」  血気盛んそうな若者とは対象的に、とろんと瞼を落としたその青年は眠たそうに口にする。  トランプカードを指先でくるくると回しながら、少しも悲しくなさそうに呟いたのだ。  無造作に伸ばされた髪は目元すらも隠れそうなほど長く、おまけに癖っ毛なのだろう。  整えたらましになるはずの栗毛の髪も、無頓着なせいでどうにもだらしなく薄汚い印象を覚える。  それよりもだ、この様子からして連中は何も知らないのか。  今地上で何が起きてるのか。 「やった、あのクソ女とうとう死にやがったのか! そりゃ祝杯あげねーとな」 「いけないよ三月兎君、彼女は立派なクイーンだった。最期に挨拶ができなかったのが悔やまれる、いや実に残念だ」 「……どうでもいいけどさぁ、帽子屋、それでそいつらはなんなの?」 「ああ、彼らは僕のお友達だ」 「俺はエース、そしてそこにいるのは……」 「この国の王子だよ、そして敬愛するクイーンの息子さんだ。同じような境遇の君たちとならば仲良くできるだろう」  帽子屋と名乗るこの男は、どこまでが本気でどこまでがジョークなのかわからない。  僕たちのことを分かっていたのか、最初から。  呆けてるのかと思っていたが、それよりも当たり前のようにバラすこの男に慄いた。  二人の先客たちの表情が明らかに変わるのも、帽子屋は気にも留めず「二人共、仲良くしてやってくれ」なんて続けるのだ。

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