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 恐らく既に不法侵入者については知らされているはずだ。厨房に繋がる扉はやはり鍵がかかっていない。ただの不用心ではない。今度こそ招かれているのだと確信した。  厨房の台の上に並ぶのは明日のパーティーのための料理の具材、そしてその中央には天井に付きそうなほど巨大なケーキが置かれていた。 『To my dear Alice.』と書かれたケーキを見た瞬間、気付けば僕はそのケーキの乗った台を蹴り飛ばしていた。 「お……っ!なーにやってんだ、あーあ、勿体ねえ~~!」 「……」  床の上、無様に潰れたケーキを見て「あちゃー」という顔をしていた三日月ウサギは無事な一欠片を素手で掴み、つまみ食いする。「うめえ」なんていうやつの声など聞こえなかった。  食堂へと繋がる扉の方から複数の足音が駆け寄ってくる。今の音に気付いたのだろう。僕は食料庫に繋がる扉をわざと開き、そして咄嗟に潰れたケーキを夢中になって食べていた三日月ウサギの首根っこを掴んだ。 「ウサギ、こっちだ」 「んえ?」 「いつまで食べてる……ここに隠れるぞ」  そう、近くの大きな冷蔵庫を開いた。中は大人六人ほどは悠々と入れるほどの広さだ。幸い中は空いている。僕はそこへ三日月ウサギを無理矢理詰め込み、続いて僕自身も身を隠して扉を締めた。  明日の材料なのか、足元には冷凍肉や魚が転がっている。ぼんやりとした明かりの中、肌寒い空調だがヒートダウンするには丁度いい。  それから間もなくして食堂の方から追手がやってきたようだ、扉か開く音ともに厨房の方が騒がしくなる。  それからさっきわざと開けていた食料庫の扉に気付いたようだ、バタバタと複数の足音が冷蔵庫の前を抜けていく。……食料庫は広くはない、すぐに戻ってきて城内へと探しに行くはずだ。それを待つ。 「……んで、秘密基地ってどこ?」 「お前な……黙るってこともできないのか」 「だって気になんだよ」 「……どうせすぐにわかる、暫く黙ってろ」  そう応えれば、三日月ウサギはむうっとしたあと「ケチ」と凍った肉袋を椅子代わりにその場に座り込んだ。罰当たりなやつめ、と思ったがここまできて罰もクソもない。  ……本当だったらこの冷蔵庫はフルーツなどで溢れかえっていた。母は肉料理や魚料理を好まない。旬のフルーツがふんだんに使われたいちごジャムの甘いタルトや紅茶を好むような人だ。  この肉や魚を誰が好むのか、考えたくもなかった。  暫くすると再び厨房が騒がしくなり、そして食堂の方へと再び足音が向かうのが分かった。  頭の悪い連中のことだ、僕達が既に城内へ逃げたと勘違いしてることだろう。更に暫くして完全に静寂が戻ったのを確認し、僕は冷蔵庫の扉をそっと開いた。……よし、誰もいない。 「ウサギ、出ろ。今の内に移動するぞ」 「お、やっと秘密基地か?」 「どうだかな」  今この隙に先に行くべきなのだろうが、ただでさえ多勢に無勢だ。エースと合流することを優先すべきだろう。僕は三日月ウサギを連れ、約束した秘密基地へと向かうことにした。  ――遠い、昔の記憶だ。  まだ幼かった僕は城壁の外、城下町で遊ぶ子供たちを羨ましく思ったことがあった。  走り回り、泥で汚れ、剣に模した木の棒で遊び回ってる子供たちを見る度母――女王は「野蛮な」と眉を潜めていた。そして決まって次には「お前はああはなってはいけないよ」と僕の頭を撫でるのだ。  だから、僕は女王の前では彼女の望む姿でいた。  毎日のように入れ違いでやってくる家庭教師たちに勉学を学んだ。剣術も習ったが、どうやっても僕は年の近いエースにすら勝てることができなかった。だからその分、勉強した。  彼女に、母に失望されないために。  一度、城壁を攀じ登って侵入してきた町の子供がいた。本来ならば不法侵入者は兵たちに捕らえられ地下の牢に送り込まれる。けれどその場には僕しかいなくて、その子供は『泥棒じゃない、その綺麗な薔薇を近くで見たかったんだ』と言った。  僕はそれを信じた。そして、兵を呼ばない約束にその子供から色んな話を聞いた。  庶民の暮らし、その子供が好きな遊び、それから家族の話……。今ではそのどれもが靄がかったように思い出せないが、一つだけ鮮明に覚えてることがある。  子供たちの間では秘密基地といって大人には知られない自分たちだけの秘密の場所をつくるという。そこには大切なものや自分の好きな玩具やぬいぐるみを持ち寄り、大半を過ごすのだ。  その話を聞いた当時、僕はカルチャーショックを受けた。周りには常に大人がいた。母と父、側近、世話係のメイドや執事。そんな大人たちも知らない、子供だけの秘密の場所――。 『僕でも、こんな大人たちがたくさんいるところでも秘密基地……作れるのか?』  その一言。たった一言を尋ねるのに僕は決死の思いで声を絞り出したのを覚えてる。母に対する裏切りだと思っていた。それでも、子供ながらに覚えた憧れを捨てることができなかった。  その子供は笑って、そして大きく頷いた。 『こんな広いお城だもん、きっとあるよ。大人たちも知らない、君だけの場所が』 『僕だけの場所……』 『君だけが知ってる秘密の扉とかないの?』 『扉……』 『なんだっていいよ、狭くったっていい』  頭の中で城内地図を浮かべ、玄関口から一つ一つ頭の中で辿っていく。――そして、見つけた。  あった、と言うとその子供は目を爛々と輝かせた。それから僕たちは思い当たった場所へと向かう。ちょっとした冒険だった。中庭の薔薇庭園の奥、小さな抜け道がある。それは恐らく当時飼っていた犬が作った道だろうがそれを通り抜ければそこには歪にできた薔薇のドームがあったのだ。  自然にできたものではないだろうが、それでも人目から憚れたその空間は僕にとって初めての場所だったのだ。 『王子、王子、どこですか?』  そんなとき、僕を探していたらしいエースの声が聞こえてきて、僕は急いでその子供を裏から抜け出させたのだ。そのあと、エースにだけは秘密基地のことを話したのだ。……エースは僕と同じ子供だったから、エースは母たちには黙っててくれた。  当時はまた会えないかとあの秘密基地で待っていたことがあった。けれど、二度と会うことはなかった。  何故今になってそんなことを思い出すのか、理由は一つだけだ。 「なるほど、この先が秘密基地か。……にしても、すげー薔薇の育ち方だな」 「うちの庭師は優秀だったからな」 「庭師の腕の問題じゃねえだろこれ……」  あの頃とは成長した今、幼い頃は通り抜けられた道も無理矢理掻き分けていくしかない。  露出した手の甲や首に茨が引っ掛かる度に痛みが走るが、どうってことなかった。  ……それよりも、まだ残ってるとはな。自分から言い出したもののまだ残っているのか、そもそもあの道が分かるかなんて半信半疑だった。  秘密基地に入り浸っていたのもまだ子供のときだった。暫くそれどころではなくなって……今の今まで思い出さなかったくらいだ。それでも、記憶のまままるで僕を待っていたかのように道は開いていた。  薔薇を掻き分け進む度、噎せ返るような甘い匂いと血の匂いが濃厚になっていく。  そして、ようやく薔薇の壁が途絶えた。目の前に広がるのはあの頃と変わらないドーム状に広がる蔦の壁。  そして、その中央。 「随分と遅かったね、待ち侘びたよ」  蔦の隙間から射し込む月明かりに照らされて輝くのは白金の髪。何故、と全身が硬直する。息が詰まる。何故、こいつがここにいるんだ。 「ぁ……ッ、あ……」 「久し振り、ロゼッタ。……ずっと、ずっと君にまた会えることを待っていたよ」  忌々しいあの男――アリスはそう吐き気を催すほどの優しい目で僕に微笑みかけるのだ。

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