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 それから僕たちは再び森を抜けて城へと向かおうとしたのだが、途中何人か兵と鉢合わせることになる。  目的は僕とエースなのだろう。  暗い森の中、真紅の軍部はよく目立つ。  咄嗟に近くの木陰に身を隠した僕たち。 「殺しますか」とエースは声を潜めて訪ねてくる。 「……待て、恐らく他にもいるはずだ。それにここで殺せば僕たちの所在が知られ、他の兵まで集まることになりかねん。そうすれば帽子屋にも迷惑がかかるだろう」  もしも謀反した王子を匿っていたとなれば今度こそあの男も死刑を免れないだろう。  ……それだけは避けたかった。 「他に仲間がいるかも知れない。隠れてこの森を出る。殺しは国に戻ってからだ」 「焦れってーな。……けどま、確かに俺も宿を失うのは困るしな」  一応は三日月ウサギも帽子屋に恩義は感じているらしい。  この男、知性も理性もない野蛮な男と思っていたがわりと常識はあるのか。  一番飛び出さないか気掛かりだっただけに驚いた。  エースも異論はないようだ。  僕たちは隠れたまま兵に見つからないようにその場をやり過ごそうとした。  ……そんなときだ。 「おーい、そっちは居そうか?」  奥から現れた男に思わずエースが反応しそうになる。  静まり返った森の中に響く明るい声。 「サイス殿……ッ!いえ、こちらには……」  ――サイス。  ジャックの直属の部下であり、そしてエースの同期、好敵手でもあり――友人だった男だ。  規定の軍帽も視界の邪魔だからと身に付けず、型破りなところがジャックに気に入られて下に付いたような男だ。  今このタイミングで会いたくなかった。  なによりも、エースの反応が気になったのだ。 「おかしいなぁ。あの足跡、王子たちのものだと思ったんだけどな。……まあいいや、じゃあ適当に切り上げようぜ」  夜でも目立つその明るい茶髪を掻き上げ、サイスはそう一般兵の肩を叩いた。  いい加減でルーズ、実力はあるが捜索にはあまりにも向いていない人選だ。  誰が総指揮をとっているのかは明白だ。  恐らくキングかアリスの命だろうが、それでもあまりにもサイスが乗り気ではないことに驚いた。  そのまま立ち去るサイスの背中が見えなくなるまで僕たちは息を潜めていた。そしてやがてその足音も聞こえなくなったとき、「エース」と隣にいた男の顔を覗き込む。 「……王子、申し訳ございません」 「何故お前が謝るんだ。……それよりも、よく我慢したな」 「…………」  エースならばまさかサイスに斬り掛かるのではと思ったが、必死に堪えていたらしい。強く握り締めたその拳は手袋の下で赤くなってるのだろう。 「……しかし、探索があの男でよかった。サイスに見付かれば戦闘は免れないはずですからね」  口ぶりと表情が噛み合っていない。  二人が私生活でもよく一緒に鍛錬したりとしていたことは知っていた。だからこそ、こんなにそばにいた自分たちを見過ごすサイスが許せないのかもしれない。  ……職業柄か、それともエースの生まれ持っての性格か。 「そうだな。……それにしてもサイスは本気で僕達を探してるようには見えなかったな」 「あいつはそういうやつなんです。……人を切ること以外に興味がない」 「実戦向きの人間を探索に駆り出すとはな、余程人手に困ってるのか?」 「……でしたら好都合なのですが」 「ま、じゃあ俺達もさっさと行こうぜ。他に足音はないようだしな」  そうだな、と俺達は会話を止め、再び足を進め始めた。  やがて蔦に覆われた城壁が視界に入る。また一歩、また一歩と近づくにつれて辺りの薔薇の匂いは濃くなる。門番は見当たらない。  まるで誰かを待っているかのように開かれたままの門に思わず乾いた笑いが漏れた。 「……あれで招いてるつもりか」 「……そうでしょうね。罠か、或いは本当にノコノコと王子が戻ってくると思ってるのか」 「後者だとすれば救えませんがね」と続けるエースの表情に笑みすらない。  裏口は他にもある。そちらへ回りましょうと続けるエースに僕は同意する。  恐らくあの男のことだ、城内にも城下町にも僕がいないことは既にわかってるのだろう。  だからサイスが森の中に駆り出されたのだ。 「ウサギ、準備しておけよ」 「ようやくかよ、思わず寝ちまうところだったぜ」 「言っておくが、騒ぎ立てるなよ。あくまで穏便にだからな」 「それ、そこの軍人にも言っといた方がいいんじゃねえの? 俺よりもうるせーだろ、絶対」 「馬鹿言え、隠密は俺の得意分野だ」  張り合うエース。  それは僕も初耳ではあるが、本人たちが意識しているのならそれでいいか。  恐らくどこもかしこも見張られているはずだ。  そうとなれば、騒ぎになって人が集まる前に全てを片付けるだけだ。  そして正門を避け、裏門へと回る。  薔薇の木で覆われた裏門は夜は特に暗く、通る人間が少ない。木々を抜け、城の敷地内に足を踏み入れる。そして、息を飲む。  ハートの城の周囲は女王の趣味によりたくさんの薔薇で覆われていた。  日々複数の庭師たちが手入れされていたその木々の真っ赤な薔薇たちには白いペンキがぶち撒けられ、どこもかしこも血のように汚れていたのだ。 「……ッ」  腸が煮え繰り返りそうだった。  誰の仕業かなんて考えることすらも馬鹿らしい。 「うっわ、汚えな。……なんだこれ、前はこんなんじゃなかっただろ?」 「……」 「王子……」 「……僕は大丈夫だ、先を急ごう」  息を吐く。平常心を取り戻そうと務めるが、あまりの怒りに手先の震えが止まらなかった。  母は、この美しい薔薇たちを毎朝眺めるのを日課にしていた。そしてそれは僕も同じだ。城の外へ出るのは許されなかったが、この城内の薔薇を見て回ることは許されたのだ。 「……俺は貴方の味方です」 「そんなこと一々言わずとも知っている」  エースは少しだけ間を置いてはい、と答えるのだ。三日月ウサギはうへ~と痒そうにしていたが、こいつの言動行動に今更目くじら立てるつもりはない。  この林を真っ直ぐに進めば庭に繋がる、そこから城の厨房へと行けるはずだ。  そういえば母のお気に入りだったコックたちはどうしているのだろうか、そんなことを考えていたときだ。  ぱきりと、背後から枝を踏むような音が聞こえた。  それに気付くよりも先に隣にいたエースが動く方が早かった。  キン、と耳を劈くような金属音が響く。振り返り、息を飲む。  僕を庇うように剣を抜いたエースが突然の襲撃を防いだのだ。そして、そこにいた人物に思わず名前を口にする。 「……っ、サイス……」 「お久し振りですねえ、王子……それと、エース」 「あと、そこのそいつは誰だ?」そう笑うサイス、そしてその周囲にはサイスの部下がこちらに銃を向けている。数は多くない。実力でいうなら、サイス以外は有象無象に等しいだろう。現に手の震えで焦点がぶれている。 「おっと動かないでくださいよ。一応俺達、王子を生け捕りにしろって命が降りてるんで。……万が一発砲して当たりどころが悪かったら首飛んじゃうかもしんないんで」 「ならば……その剣を収めるのが先じゃないか? サイス」 「馬鹿言え、お前は別だ」  瞬間エースが受け止めていた剣を持つ手とは別に腰から抜いた短剣をエースの喉仏狙って突こうとするサイス。それを見切ったエースは上体を反らし、その剣を流したあとにガラ空きになった脇腹に思いっきり蹴りを入れた。 「動きが大振りすぎて隙きが多いぞ!」 「ッ、く、はは……相変わらず無茶な……」  エースはうちの近衛兵の中でも優秀な成績を収めている。それは訓練だけではなく、実践でもだ。  そのエースの攻撃を食らっても倒れない人間の方が少ない。動きが鈍ったがそれも一瞬、サイスは笑いながらも次の剣技を繰り出すのだ。そしてエースはそれを受け流す。  サイスも力だけではなく技術と冷静な心を磨けばまだ高みへと望めただろうが、この男は夢中になると周りが見えなくなる。それが欠点なのだろう。今、この男の目には目の前のエースしか見えていないだろう。  そんなとき、三日月ウサギの背後で影が動いた。 「ウサギ」と三日月ウサギを呼べば、僕の言わんことを理解したらしい。はいよ、とやつが笑ったときやつの背後の影が大きく傾いた。そして、ビクビクと痙攣しながら地面に落ちているその男を見て驚く僕にやつは笑うのだ。 「言ったろ? 俺の方が隠密向きだって」  いつの間にかに手の中に握られていたナイフの先端は赤く濡れていた。それからすぐ他の奴らは三日月ウサギが危険だと判断したようだ、一斉に向けられ、発砲されるのを見越して姿を消したと思えばいきなり体が軽くなる。  三日月ウサギに抱き抱えられたのだとすぐに理解した。瞬間、向けられていた銃口に躊躇いが現れる。 「おい、いいのか? お前らの大好きな王子に誤射ったら大変なんだろ?」 「自殺願望あるやつは撃てよ、もしお前らが撃つなら俺もこいつを殺すけどな」このウサギ、無茶苦茶である。  けれど悪くない手だ。確実に出来る隙をウサギは逃さなかった。自ら人を振り回しながら敵陣に突っ込んだウサギはそのまま躊躇なく一人、また一人へとそのナイフの刃先を剥き出しになった首に突き立て、引っかくのだ。  確実に息の根を止める。それは素人にできるものではない。或いは訓練を積まれた軍人でも、殺すとなれば躊躇するものだ。それでもこの男にはそれがないのだ。  生温い血を被る度に噎せ返りそうなほどの匂いは濃くなり、あっという間に人の気配はエースとサイスだけになる。 「おーおー、やってんね」 「……おい、ウサギ……」 「この分なら心配はいらなさそうだな」  そう、一戦交えるエースたちを遠巻きに見ていた三日月ウサギはそう言って僕を抱き抱え直すのだ。  まさか、とやつを見上げたとき。 「おい軍人!そっちは頼んだぞ!」 「――……ッ!お、おい……ッ!」  まさかこのままエースを置いていくつもりなのか。  ……けれど遅かれ早かれ追手が来るだろう。このまま三人捕まっては元も子もない。  ならば、と大きく息を吸う。 「……っ、エース、“秘密基地”で待っている!」  そうエースに向かって叫べば、エースは振り返る  ことなく「すぐに向かいます」と目の前の剣を弾く。 「行くぞ」と三日月ウサギに向き直れば、「りょーかい」とやつは笑ってそのまま金属音響き渡る薔薇園を抜け、城内へと向かう。

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