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03
興奮も冷めないまま、帽子屋から貰った新聞記事を片手に部屋へと戻ってくる。
そして、何度も繰り返しその紙面に目を向けた。
明日の正午、ハート城にて行われる何か。
帽子屋がいうにはそれは戴冠式と言っていたが……よくよく見てみると城以外にも国全体で祭りを行うような旨も書かれてる。
何が祭りだ、何がパーティーだ、何が戴冠式だ。
奥歯が砕けそうなほど歯を噛みしめる顎に力が入った。
悔しかった。
けど、このまま泣き寝入りするつもりもない。
エースが目覚めたらすぐに準備に取り掛かる。とはいえやることと言えば戴冠式前に王、そしてアリスを潰すことだ。
本当ならば今すぐにでも国の様子を見たいが、エースに倒れられても困る。
頃合いを見ていつでも出立出来るように身辺を整えていた。
それにしても、と手に先程のお茶会のことを思い返した。
三日月ウサギと呼ばれたあの男、どういうつもりなのだろうか。
一人でも味方は多いに越したことはないが、最初出会ったばかりのとき露骨に敵対視してきたあの男を思い出す。
母に恨みを持っている者は悔しいが、少なくはない。それでも全員が全員逆恨みにも等しい。己の杜撰さを全て国の、女王のせいにするような輩ばかりだ。
そしてそのような者ほど、突如現れたアリスを『救世主』と崇め奉る――それが共通点だった。
しかし、あの三日月ウサギは母を嫌い、アリスを殺すという僕の手伝いを買って出たのだ。
……つくづく、理解できない。
エースが目を覚ますまで自分も一休みするかとベッドに入ろうかとしたが、無理だった。
全身は起きがけの全身の痛みすら忘れるひどく昂ぶっており、目を閉じてもアリスを殺すシーンばかり想像しては眠れそうにない。
……少し、散歩でもするか。
あわよくばあの奇っ怪な紳士にもう一杯薔薇の紅茶をねだりに行くか。
そんなことを考えながらもぞりとベッドから起き上がったときだ。
いきなり部屋の扉が蹴破る勢いで開かれる。
「……ッ! な……――ッ」
「よぉ、邪魔すんぜー!」
入ってきたのは三日月ウサギだ。
外れかける扉に驚く暇もなく、ベッドの上で固まる僕を見つけると三日月ウサギはニィと笑う。
そして、ズカズカと僕に詰め寄ってきた。
「な……っ、なんだ、ノックくらいしろ無礼者が……ッ!」
「あーうっせえな。お前に渡したいものがあってきたんだよ」
「は、渡したいものだと……?」
そ、と三日月ウサギはよれよれの上着のポケットに手を突っ込み、そして何かを取り出した。
「ほら、手ぇ出してみろ」
「……変なものじゃないだろうな」
「それは自分で確認してみりゃいいだろ」
そう言って、差し出した手のひらの上にごとりと何かが載せられる。
三日月ウサギが用意した手のひら大の小瓶に息を飲んだ。
「……これは、なんだ」
「さっきなあ、眠りネズミに用意させたんだ。一滴でも飲めば致死量になる劇薬だ」
「……ッ!」
眠りネズミ――あのぼんやりとした男がこれを?
何故、というのは言わなくてもわかる。けれど、どうしてあいつがこんな代物を作れるのか。
……なるほどな、所詮はあいつもつまはじきもの仲間ということか。
そして、これを託された意図は一つだけだ。
そう理解した瞬間口元が歪んだ。
「俺は毒なんか地味なもんは好きじゃねえんだが、見たところ王子様。アンタ肝は据わってるがほそっこい腕してるしな」
「余計なお世話だ。……といいたいところだが、有り難く頂戴しておこう」
「なんせ国挙げてのパーティーだ。料理に混ぜれば効果覿面だしな」
そう、抜けるような笑い声を漏らす三日月ウサギに思わずひやりとしたものを覚える。
「おい……お前を同行するとは行ったが、国民たちを皆殺しにするわけではないからな。あくまでも狙いはアリス、そしてキングだ」
「ああ? 何甘っちょろいこと言ってんだ? じゃあお前を捕らえようとしてきた軍人はどうするんだよ」
「殺す」
「じゃあアンタのママが死んで喜んでるやつらは?」
「殺す」
「――じゃ、皆殺しだな」
……この男は、と呆れて言葉もでない。
けれど、それがただこの男の悪趣味なジョークで収まらないのが現状だ。
今までは守るべき対象としてきた国民達が敵に回る。
――母が守ってきたこの国が戦場となる。
あってはならない事だと思うが、その域はとっくに通り越してるのだろう。
母が不当な理由で処刑されたあの瞬間、決定的に顔を変えたのだ。
エースが起きたのは一時間経った頃だった。
「お休みのところ失礼します」とやってきたエースに僕はお茶会でのことを話した。
そして、帽子屋から預かった新聞記事も一緒にだ。
記事に目を向けた瞬間顔色を変えたエースだったが、「これからアリスを殺しに国へ戻る」と告げれば間髪入れずにエースは「お供します」と口にした。
「あの憎きアリスも、この馬鹿げた祭りに参加する厚顔無恥の愚民共を一掃してやりましょう」
そう腰に携えた剣の鞘を握り締めるエース。
その目には隠しきれぬほどの怨嗟が滲んでいる。
三日月ウサギと同じようなことを言っているが、僕も今となっては同じ気持ちだ。
筆頭に立つアリスも、それを持ち上げる群衆も全員が敵に見えた。
「……それと、今回三日月ウサギが同行することになった。あいつも協力してくれるという」
「三日月ウサギ……あの無礼な男ですか。――よろしいのですか?」
「少しは使えるだろう。邪魔になるなら捨て置けばいい」
「王子がそう仰るのなら自分はそれに従うまでです」
言いながらも、三日月ウサギへの不信感は隠しきれていないがエースも分かっているのだろう。
いくらなんでも国に対してたった二人で挑むのは無謀だと。
「明日の昼間、ということでしたね……ならば早めに移動して内部に侵入するのが得策でしょう。城に戻るのにも時間が掛かります」
「ああ、そのつもりだ」
「ならばあの男には自分から声を掛けておきましょう。王子はご準備を」
「ああ、頼んだぞ」
そう、エースは部屋を出ていった。
一人取り残された部屋の中、手のひらの小瓶を眺めた。
……準備とは言ったものの、今の僕に残ったものはこれくらいだ。
「……ッつ……」
エースたちの様子を見に行くかと立ち上がったとき、体に鈍い痛みが走った。
――ジャック。
あの男、次にあったら絶対に殺してやる。
そう決意を固め、痛みを堪えそのまま部屋を出た。
客室前の通路にはエースと三日月ウサギがいた。そして、部屋から出てきた僕を見るとエースは「王子、お待ちしておりました」と一礼するのだ。
「三日月ウサギ、お前ももう動けるのか」
「ああ。ちょーど退屈してたんだ。さっさと行こうぜ」
そうニィと笑う三日月ウサギは踵を返そうとし、そして「あ」と何かを思い出したようにこちらを振り返る。
「む。……なんだ、忘れ物か?」
「三日月ウサギって長ったらしいな。お前もミカちゃんって呼んでくれてもいいんだぞ?」
「何を言い出すかと思えば……」
「それは王子が決めることです。貴方のような者が強制することではありません」
そして何故お前が答えるんだ、とエースを横目に睨むがエースは素知らぬ顔をしている。
「きゃんきゃん煩え犬だなぁ?ご主人様取られて妬いてんのか?」
「取られてなどいない、それに俺は犬では……ッ」
「……くだらん問答する暇はない。一分一秒でも惜しい状況だぞ。さっさと行くぞ。……エース、ウサギ」
そう啀み合ってる、というよりも一方的に噛み付くエースを遊んでいる三日月ウサギに声を掛ければ、三日月ウサギは笑う。三日月をひっくり返したような歪な笑顔。どうやらウサギ呼びが気に入ったようだ。
「んじゃ帽子屋のおっさんに声掛けに行くか」
そう三日月ウサギが口を開いたときだった。
「その必要はないよ」
いつの間に通路の奥に立っていた帽子屋、そしてその隣には「見送りに来たよぉ」とアクビ混じり手を振ってくる眠りネズミに思わずいつの間にと息を飲む。
「そろそろだろうと思って様子を見に来たんだ。……うんうん、三人とも仲良くなったようでなんとも喜ばしいことだね」
「ディムも喜んでいるよ」と微笑む帽子屋。
どこが仲良く見えるのかということよりもまた例の虫がいるのかと思わず辺りを見回したが見つけきれなかった。
いや、見つけ切れなくて逆によかったのかもしれない。
ああそうだ、と帽子屋は思い出したように何かを取り出した。
「もしも城下町で何かあれば『此処』を頼るといい。私の知り合いが営んでる店だ。隠れ蓑にはなるだろう」
そう紙切れをエースに手渡す帽子屋。
エースは「ありがとうございます」とそれを受け取る。
ちらりと手元の紙切れに目を向ければ、そこには住所と建物の名前らしき単語が書かれていた。
『Bill the Lizard』……トカゲのビル?
それを更に横から覗き込んできた三日月ウサギは
「おいここって」と露骨に顔を顰める。
「まあ何か言われた私の名前を出すといい。ハッターは君をご指名だと」
対する帽子屋の態度はあくまでも変わらない。
そう微笑む帽子屋に大丈夫なのかと問い正したくもなるが、利用するかどうかは自分目で見て決めればいい話だ。
「礼を言うぞ、帽子屋。……僕たちを匿ってくれてありがとう」
「なに、そういった水臭いのはなしだ。私はここで君の好きはローズヒップティーを用意して吉報を待っているよ」
ああ、と頷き返す。
そして帽子屋の横、終始どこか上の空な男に目を向ける。
「……眠りネズミ。お前のくれた劇薬もありがたく使わせてもらう」
そう三日月ウサギに貰った例の小瓶についての礼を述べれば、眠りネズミは不思議そうに小首を傾げた。
「ん~……?劇薬?なんだろぉ、それ。僕は傷薬をミカちゃんに渡した気がするんだけどなぁ……?」
……どういうことだ?と三日月ウサギを睨もうとしたときだ。
「まあまあこまけーことはいいんだよ!ほら、さっさと行こうぜ!」
露骨に話題を誤魔化そうと僕とエースの背中を押すように、三日月ウサギは僕たちを半ば強制的に地下から連れ出した。
そしてそのまま帽子屋の屋敷から出たとき、ようやく三日月ウサギは僕たちから手を離すのだ。
「お、おい……ウサギ、どういう……」
「眠りネズミ、あいつは自分で万病に利く万能薬作ってるつもりなんだよ。……言ってやるなよ」
「いやそれは寧ろ言うべきじゃないか?」
「しかし人殺しの薬を作るには天才的な腕だからな、あいつはあのままでいいんだよ」
まあそんな劇薬に助けられる立場ではあるが、僕もエースも恐らく同じ気持ちなのだろう。
……というか、薬を作ろうとして劇薬を開発するって最早それは致命的ではないのか?
そしてその効力を何故三日月ウサギが知っているのか気になったが触れない方がいい気がして、僕は敢えて深く聞かないことにした。
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