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08

 ――アリスを殺す。  なんとしてでもその隙きを探し出すのだ。 「……それにしても、王様が心配だな。君もそうだろう? ロゼッタ」 「……そう、だな」  心配なんてするものか、寧ろジャックに暗殺を妨害されたことが歯痒く思えるほどだ。  けれど、ここは適当に合わせておく。アリスに油断をさせるのだ。毒殺が確実だろうが、先程のこともある。最悪、このナイフで刺すしかない。そう服の下に忍ばせたナイフを確認したときだ。 「じゃあ決まったね。王様のところに行こう」 「っ、え……」 「王様もロゼッタが居なくなって心配していた。こんな時間ではあるが挨拶しに行こう」 「大丈夫だよ、僕も一緒にいる。君には危ない目には合わせないから」何を勘違いしているのか、見当違いなことを口にするアリスはそう僕の手を握るのだ。  ――あの男に会う。  最早父と呼ぶことにすら吐き気がする。母が処刑されどんな顔をしてのうのうと過ごしているのか見てみたい気持ちはあったが、いざとなると嫌悪感が勝った。  それに、ジャックも一緒にいるという。――最悪のメンツだ。  咄嗟にアリスの手を掴み返し、引き留めた。ここでジャックが僕の側に着くと余計動きにくくなってしまう。 「ロゼッタ?」 「……今は会いたくない」 「どうして? 心配なんだろ?」  ああくそ、ああ言えばこう言う。ここでナイフで刺してやるか。そう、服の下に手を忍ばせた。 「……そ、れは」 「……ロゼッタ?」  口ごもり、視線を泳がせる。言葉を探るようにして伸ばした片方の手を不意にアリスに握り締められた。  ぎょっと顔を上げれば、先程までの緊張感のない腑抜けた顔とは違う、見たことのない表情のアリスがいた。 「なるほど、そういうことか」 「お、い……っ」  重ねるように覆われた掌、そして絡め取られる指に息を飲む。妙な触り方をするな、と振り払おうとして手を持ち上げられる。何を、と言いかけるよりも先にアリスの唇が手首に押し当てられる。 「……ッな……」  ちゅ、と小さな音を立て唇は離れる。  伏し目を覆う長い睫毛を揺らし、顔を上げたアリスと至近距離で目が合った。  手首へのキス、それが意味するのは――。 「僕の部屋に戻ろう。王様への挨拶は明日にでもすればいい」 「……ッ」  誤解されている、間違いなく。  あまりにもごく自然なアリスの動作に思わず反応に遅れてしまうが、背中へと回された腕に腰を撫でられ察する。  そんなつもりで言ったのではない。あまりの不快感に全身が泡立つようだったが逆にこれは好機なのではないだろうか。  閨では最も無防備になる。暗殺の手口としては常套手段だ。……大抵、女の暗殺者が男の貴族相手に使う技だが。  それを何故僕が、と考えると酷く不快だったが今更なりふり構ってはいられない。  ――できることはなんだってしてやる。  そう自分自身を鼓舞することで精一杯だった。  ――旧、女王の寝室。そこはほとんどが母が使っていたまま残されていた。  赤と黒が基調となった壁紙やインテリア。どれほどぶりだろうか、母の寝室に入ったのは。恐らくまだ僕が一人で歩けるようになった頃くらいだろう。物心ついたときから自分の部屋が用意されていた。  少なくとも当時の僕はこんな形で再び母の寝室に踏み込むとは思わなかっただろう。  ――母との思い出の空間にこの男がいることだけでも吐き気を催す。そんな僕に気にもせず、アリスは僕が部屋に踏み入れるのを見て扉を閉める。  邪魔者はいない。今度こそ、二人きりだ。 「……ロゼッタ」  これだけ持て囃されてる男だ、こんな風に名前を呼ばれて喜ぶやつは山ほど居るのだろう。けれど僕はそうではない。気付けば扉を背に追い込まれていた。  その唇が触れそうになり、咄嗟に僕はアリスの口を塞ぐ。 「っ、待て……」 「な……ロゼッタ、今度はどうしたんだい?」  本気でこんな真似するつもりはない。こいつにこれ以上好き勝手されるつもりもなかった。  困惑するアリスの胸をそっと押し返す。捻り出せ、一番適切な答えを 「……心の、準備が出来ていない」  そう、声を絞り出せばアリスは呆けたように目を丸くした。そして、すぐにその表情を崩す。 「ロゼッタ……君はそうか、そうだよな。……ああ、よかった。舞い上がっているのは僕だけかと心配だったんだ。……君はいつもと変わらないから」  言いながら、アリスは僕の髪を撫でる。全身が泡立ち、思わずその手を振り払いそうになった。まだだ。まだその時ではない。 「向こう、向いててくれないか」 「どうして?」 「……お前が見てると、その、やりづらい」  この吐き気も、この嫌悪感も全て押し隠せているのかわからなかったが、アリスの表情からして少なからずこの馬鹿男は信じ込んでいるのだとわかった。  アリスの頬が赤くなる、白い肌だからこそ余計その朱が目立った。それを隠すように掌で覆ったアリスは「あー……」と言いながら僕に背中を向けるのだ。 「ロゼッタ……わかった、恥ずかしいと言うなら僕は君がいいと言うまで待っているよ」  背中を向けたその項すらもやや赤くなっている。ああ、僕に見せたな背中を。  演技か、それとも本物の馬鹿なのか。この際どちらでも良かった、ナイフを取り出しアリスの背後に近付く。窓から射し込む月明かりを反射して鋭く光るナイフに自分の顔が映った。……酷い顔だった、まるで罪人のような目だ。自嘲し、そして保膜は無防備なその背中、臓物や神経が詰まっているであろうその腰に向かって思いっきりナイフを突き立てた。きつく目を瞑り、ナイフの柄を握り締めたまま体重をかける。  ……そう、柄までその身体に刃を突き立てたはずだったのに一向に呻き声も刺したときの感触すらもない。まるで空気を刺したように手応えがなかったのだ。 「……ロゼッタ」  何が起こっているのか、目を開くことを恐怖した。頭上から降りてくる声に、冷たい汗が滲む。ナイフを握り締めた掌に、アリスの掌が重ねられた。 「――……これは、なに?」  低く、囁かれる声。先程までの溢れ出す喜怒哀楽なにもない、無感情な声に背筋が凍り付く。  恐る恐る目を開けた瞬間、手の中にはナイフではなく赤い薔薇の花が握られていた。錯覚、手品、或いは奇術か。訳がわからない。顔を上げれば、僕のナイフを手にしたアリスが冷たい目で僕を見ていた。

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