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「これはなんだ、ロゼッタ」  僕の掌の薔薇を握り潰す。花弁はまるで血のように足元に落ち、僕の手ごと薔薇を握り潰したアリスに息を飲んだ。 「ロゼッタ……まさか、君は僕を殺そうとしたんじゃないだろうな」  何故、何故刺すことができなかったのか。  そんなことを考える暇はなかった。今までに見たことのない、いや、見たことはある――ダムを見たときのあの目だ。けれどそれを向けられたことはなあった。突き刺さるほどの明確な怒り、そして――。 「離せ……ッ!」  こうなったら何もかも取り繕う必要もない。アリスの手からナイフを取り返そうとするが、手首ごと掴むアリスの指の力は強くびくともしない。 「君は、本当に……僕を殺そうとしたのか?」 「っ、黙れよ、お前のせいで母様は処刑された……っ、何もかもがめちゃくちゃだ」 「これ以上お前の好きにさせるつもりはない」そう、目の前のアリスを睨み付けたとき。アリスは何かを言いかけた。そして、深く息を吐く。 「……やはり、あの女を処刑させただけでは何も変わらないのか」 「っ、母様を愚弄するつもりか……ッ!」 「君は呪われている。……悪逆無道なあの女が居なくなれば或いはと思ったが……」 「……ッ、貴様……!」  なんでもいい、力の差で敵わなくても隙きさえ作ってナイフを取り返せばいい。そう、劇薬の小瓶を取り出そうとしたとき。  顎の下、触れた指先にそのまま顔を持ち上げられた。暗くなる視界の中、唇になにかが触れた。  それがアリスの指だとわかったとき、咄嗟に歯を立てようとするがそれよりも強い力で口を抉じ開けられるのだ。 「っ、ん、ぁ……ッ!」 「残念だよ、ロゼッタ。……君に誘われたときは本当に嬉しかったのに」 「っ、あ、ぃ……ふ……ッ」 「僕が君の呪いを解いてあげるよ」  抉じ開けられた顎、その奥に逃げ込んだ舌を無理矢理引きずり出される。やめろ、離せとアリスの指を引き抜こうとするが舌先をぐり、と指で押されれば痛みに腰が引きそうになる。 「ぁ、はな、へ……ッ!」 「……そういえば、ずっと君はポケットの中身を気にしていたようだね。ロゼッタ」 「……ッ、……!」 「余程、大切なものでも隠しているのかい?」  甘い声とは裏腹にやつの言葉は感情がない。  まずい、と焦るよりも先に劇薬を隠していたポケットにアリスの手が入ってくる。  咄嗟に暴れて邪魔をするが、遅かった。  ポケットの中から出てきた小瓶を手に、アリスは僕の眼前でその小瓶を傾ける。 「……ねえ、ロゼッタ。これはなに?」 「……っ、……」  無色透明のその液体に、アリスも気付いてるはずだ。そしてわかっててそれを僕の口から聞き出そうとするのだ、この男は。  目を逸らせば、アリスは「ああ、そう」と吐き捨てる。そして。 「じゃあ、確かめてみようか。ロゼッタ」  その一言に背筋が凍り付く。  やめろ、とやつから逃げようとするが更に強い力で舌を引っ張られれば身動きすら取れない。  この男、まさか僕で試すつもりなのか。目の前、小瓶の蓋を器用に開けたアリスはそれを傾ける。  そして、あろうことかやつは僕に飲ませる――のではなく、自分の口の中に中身を流し込んだのだ。 「……ッ!」  正気か、と目を疑ったときだった。空になった小瓶を捨てたアリスは濡れた唇を舌で舐め取る。そして、笑うのだ。 「……君の反応、どうやらただのシロップだったというわけではなさそうだね」  何故、この男はこうしてピンピンしているのか。化物か。それとも本当は劇薬ではなかったのか。  まだ後者の方が現実味がある。  捨てた小瓶から垂れた液体が紅いカーペットに微かに濡れ、その一部が変色したのを見てアリスは鼻で笑う。 「……ロゼッタ、残念だよ」 「っ、ふ、ぅ……ッ」 「あんなに純粋だった君が僕の知らない間にこんなに毒されていたなんて」  怒りとも悲しみともつかない眼差しのまま、アリスは僕の唇に触れる。そして口をこじ開けられたまま唇を重ねてくる目の前の男に血の気が引いた。 「っひ、ぁ……ッ」  やめろ、お前の口の中には毒が残っているはずだろう。そう慌ててアリスを引き剥がそうとするがアリスはそれを無視して舌の粘膜同士をこすり合わせるように舌を絡めてくるのだ。 「ん゛ッ、ぅ……ッ!」  息が浅くなる。毒が回っているのかもわからない。けれど、口の中、触れた舌が熱く溶けるように痺れだすのだ。舌の根から裏側の血管までもを舌先で愛撫され、先端部をぢう、と吸い上げられれば頭の奥からじわりと熱が溢れるようだった。 「っは、ぁ……ッ!」 「っ、ふ、ふふ……ロゼッタ、怯えてるの? 身体、震えているじゃないか。……もしかして、自分まで毒で死んでしまったらと思ってるのかい?」 「っ、……ッお、まえ……ん、ぅ……ッ!」  ぬるりと絡められる舌を今度こそ噛んでやろうと思うが、アリスに舐められた場所がじんじんと痺れ、熱を持ち、乾いていくのだ。アリスの濡れた舌で舐められるだけで満たされるようだった。水分が失われていくような感覚の中、アリスの唾液が甘く、舌を絡められ唾液を流し込まれるだけで身体が反応しそうになる。  まさか、毒の効果か。近付いてくる死の恐怖に見えない真綿に首を締められていくようだ。 「っ、ふ、ぅ……ッ!」 「……っ、は、ロゼッタ……大丈夫だよ、君は死なない」 「っん、ぅう……ッ!」  後頭部を掴まれ、更に深く唇を塞がれる。アリスに口付けされるだけなのに、まるで甘いケーキを食べているように多幸感に包まれていくのだ。こんなの、おかしい。こんなはずないのに。毒を口移しされ、この男にキスをされて喜ぶはずがない。 「っ、お前……な、にを……した……ッ?!」  先程まで余計なことまでべらべらと喋っていたくせに、尋ねればアリスはただ柔らかく微笑むのだ。そして、ロゼッタ、と悍ましいほど優しい声で僕を呼ぶ。その声に、体とは別の深い部分が反応してしまうのだ。 「や、めろ……呼ぶな……ッ」 「僕は言ったよね、君は呪われてると。……そう、あの恐ろしい女の呪いだ。僕はただ、君に本来の姿を取り戻してもらいたいと思ってる」  心からね、と僕の手を取ったアリスは指先に舌を這わせるのだ。茨を掴んだときに傷付いてしまったのだろう、細かい切り傷が残った掌、そして指先に唇を押し付け、アリスは舌を這わせる。 「っ、や……めろ……!」  振り払おうとするが、傷を舐められた瞬間全身が大きく震えた。やめろ、と吐き出す都度喉が震え、呼吸が浅くなる。毒が体の芯から爪先まで回っていくようだった。 「このままだと君は身を滅ぼす」 「お、まえが……殺すんだろう、お母様みたいに僕を……ッ!」 「ロゼッタ、まだ君は勘違いしてる。僕に君を殺す気は毛頭ない。……君が僕を殺そうとしていてもね」  すり、と先ほど口付けられた手首を撫でられ、身体が硬直する。僕の手を掴んだまま、その手を自分の頬へと押し当てるアリスは切なそうに目を細めるのだ。 「それに、僕は死なない。君が僕を絞め殺そうとしようが、焼き尽くそうとしようが、劇薬で骨まで溶かそうとしても君に僕を殺すことは不可能だ」 「それが、僕の呪いだからね」頭のいかれた男はそう笑った。冗談にしてはつまらない。そして、先程の異様な体験を思い出す。この男の戯言だ。  わかっているのに、そう思いたいのに。 「……ッ」  殺すこともできないのならば、どうすればこの男を傷付ける事ができるのか。麻痺したようにどろりと溶けていくような頭の中、僕はアリスの手の中からナイフを奪った。 「ロゼ――」  そう、アリスが名前を呼ぶよりも先に僕はそのナイフで自分の首を掻き切った。  皮膚に刃物が食い込む感触がやけに覚えている。視界が赤く染まっていく中、目を見開いたアリスの顔が網膜に焼き付く。  それを最後に世界は幕を閉じたのだ。

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