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 体を清め、服を着替えることになる。  そしてサイスに連れて行かれた先、そこにはにこやかな笑顔を浮かべて僕を待つあの憎き男がいた。  ――ハート城、食堂。  本来ならば父が座るはずの上座に腰を据えたアリスは、サイスに連れられてやってきた僕を見るなり微笑むのだ。 「やあ、ロゼッタ。今朝はバタバタしてしまって悪かったね。本当はもっとゆっくりしたかったんだけど……少し込み合っててね」 「御託はいい。……わざわざこいつを使ってまで人を呼び出しておいてなんの用だ」 「ふふ、面白いことを聞いてくるね。食堂ですることなんて一つだけだろう」  そうアリスが微笑んだとき、背後の扉が開き「お待たせしました~!」と緊張感のない声が響き渡る。そして辺りに充満するのは食欲を唆られる匂い。基本、僕たちの食事は使用人たちが用意する。けれど、今この城に残ってる使用人は、と顔を向け、息を飲む。瓜二つの顔、長い手足。緑と橙の髪の双子はテーブルの上に素早く料理を用意していく。――ディーとダムだ。 「っ、お前ら……」 「おーっと、王子。まだこの紅茶は熱いのでフーフーして冷ましてくださいね」  そう、僕の前で紅茶を注いでいくダムはにっこりと微笑む。拷問された形跡もなにもない、以前と変わりない人良さそうな笑みを浮かべて。  思わずアリスを見れば、ただ笑みを携えたままアリスは椅子を引かせる。自分の席の一番近くの席――そこは普段母が座っていた席だ。 「座りなよ、ロゼッタ。お茶にしよう」  聞きたいことがあるのだろう?  そう言いたげな目が、笑みが絡み付いて離れない。茶会の準備を終えたディーとダムは僕たちに向かって頭を下げ、そのまま1ミリのズレもない動作で食堂を後にする。その後ろ姿を見ても無理してるようには到底思えない。  おかしいことなんて分かっていた。目の前のアリスの存在そのものが異常なのだ、そしてこの男の思惑通りに動く世界も、なにもかも。 「……っ、なんで、あいつらがピンピンしている。あいつらはお前が……ッ!」  落ち着いて椅子に座る気などなれない。こんな気持ち悪いやつと食卓を囲むことなど、顔を突き合わせてお茶を飲むなんて殊更。 「落ち着きなよ、アリス。ほら、君のお茶なら僕が冷まして上げるからまずはこのティーを飲んでリラックスするといい。以前から思っていたが君がそう癇癪を起こすのは余裕がないからだ。いまはもう僕と君しかいないんだ、そう緊張する必要もないだろう」 「何を……っ、余計な……」  お世話だ、と言いかけたとき、背後から伸びてきた手に肩を掴まれる。背後に目を向ければそこにはサイスがいた。 「おい、離せ」と振払おうとするが離れない。強制的に椅子に座らせられる僕に、アリスは目を細める。 「サイス、乱暴はよくない。ロゼッタはお前たちと違って繊細なんだ」 「そりゃすみませんね。けど、こうでもしないと王子……ロゼッタ様はお座りになられないかと思ったので」  悪びれた様子もなく、それでも形式だけは頭を下げて謝罪して見せるサイスにアリスはふん、と鼻を鳴らす。不機嫌になるのも一瞬、すぐにその表情は柔らかくなった。 「ほら、ロゼッタ」  そう、冷ました紅茶の入ったティーカップを差し出してくるアリスに血の気が引いた。無作法も無作法、ひとをここまでコケにするつもりなのか。このティーカップを奪って中身をぶちまけてやりたかった。それをしなかったのは背後に立つサイスの存在があったからだろう。この男は僕が無礼を働けば喜んでその剣を抜く。それが分かっていたからこそ、まだ冷静でいられた。  受け取ろうとしない僕に気付いたようだ、アリスは「ああ」と慌ててティーカップを戻した。 「……ロゼッタ、すまない。僕は……また失礼な真似をしただろうか。難しいな、君には愛想尽かされたくないと思うのだけどどうも慣れない……なあロゼッタ、君の好きな洋菓子もある。他にもほしいものがあれば言ってくれ。すぐにティーとダムに用意させよう」  そうしどろもどろと続けるアリスはまるで粗相をした子供のようにすら見えた。だからこそ余計気味が悪い。この男は決定的になにかがズレている。 「……何故、あの二人はピンピンしている」 「え?」 「……拷問の傷すらない、お前がなにかしたのか?」  ――僕にしたときと同じように。  そう続けることはできなかった。けれど、アリスにはそれだけでも伝わったようだ。ああ、と『そんなことか』とでも言うかのように安堵するアリス。 「ロゼッタ、君は優しいね。あいつらの心配までするなんて」 「はぐらかすなアリス、僕が聞いてるのは……」 「あのとき、君に無体を働いた二人はもういないよ」 「今ここにいるのは新しいディーとダムだ、だから安心してお茶会を楽しむといい」アリスはそう僕の手をそっと握り締め、にっこりと微笑んでみせた。 「……どういう意味だ」  この男の言葉を真に受けるな。所詮狂人の戯言だ。……そう、ずっと思っていた。  けれどこうして身を持って、そして本人でありながらも別人であるディーとダムを見てるとどこまでが現実なのかわからなくなる。  そんな僕を見て、アリスはすっと目を細めた。 「……ロゼッタ、君が気にするようなことじゃないよ。料理が不味くなる話はやめようか」 「そうだ、食事が終わったら君を連れて行きたい場所があるんだ」この話に触れられたくないのか、それとも本当にこちらの意識を反らしたいだけなのかわからない。 「この世界では花嫁は赤いドレスを着るのだと教わってから眠ってる間に何着か見繕ってもらったんだ、君に似合うドレスを。サイズは合ってるはずだからあとはロゼッタに好きなものを選んでもらおうと思ってね」  アリスの表情はころころと変わる。  先程までの冷ややかな目とは打って変わって目をキラキラとさせ、語る姿は少年のようですらあった。……それが余計寒気がした。 「っ、勝手に決めるな、僕は……っお前の花嫁になるつもりも、女王になるつもりもない」  今までだったら聞き流せた言葉の数々もこの男は本気なのだとわかった今、このまま黙って聞き流すことはできなかった。  瞬間、アリスの表情が曇る。まるで傷付いたように伏せられる目。やつの表情に今言うべき言葉ではなかったかもしれない、と後悔したがもう遅い。それも一瞬、僅かにアリスの表情が歪むのだ。それは苦しんでいるようにも見えた。 「……まあいいよ、君が口でいくら言おうが君の気持ちはすぐに変わるはずだよ」 「……っ、そういう風に作り変えるつもりか。僕も、あの二人のように」 「しないよ。……ロゼッタは特別だ」  もしかしたら今度こそ突き放されるかもしれない――そう思ったが、この男は僕がどんな言葉を投げつけようが想像とは正反対の反応を示して見せる。仕方ないと自分に言い聞かせるように、それでも僕の言葉を受け止めようとするのだ。 「……それに何か勘違いしてるが、作り変えるというのは語弊がある。僕は、君を……本来の君を取り戻してほしいだけなんだ」  ……また、これだ。この男は僕を通して別の誰かを見ているのではないか、そう疑わしいほどこの男の態度は異質だった。何故僕にそこまで拘るのか、知りたくもないし興味もなかったがこの男の企みに当事者として巻き込まれてる身からしてみればいい迷惑だった。  人違いじゃないのか、僕はお前を知らない。そう言い返そうとして、やめた。この男を相手に真面目に問答しているとこっちまでどうにかなりそうだ。 「……お前と話してると頭が痛くなる」 「頭痛かい? 白ウサギを呼ぼう」 「っ、余計なことをするな」 「ロゼッタ……」  伸びてきた指に頬を触れられそうになり、咄嗟に「触るな!」とその手を払いのける。驚くわけでもなく、怒るわけでもなく、アリスはただ困ったように笑い、その手を引っ込める。 「……食事が済んだらドレスを見に行こう」  少しは気分転換にもなるかもしれないからね。  そんな独り言のようなアリスの言葉に返す気にもなれなかった。

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