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歯車が動き出す日

 ……。  いつの間にかに眠っていたようだ。はっと飛び起きれば僕はベッドに移動していた。やけに重い身体を起こして隣の部屋へと移動すれば、つい先程までお茶会をしていたはずのテーブルの上は片付いていた。……ダムが片付けてくれたのだろうか。  それにしても今何時だ。寝室に戻り、閉じられたカーテンを開けば既に窓の外は真っ暗だった。  ……寝過ぎだ。  いくら腹が満たされたとはいえ、すぐに眠るなんて赤子のような真似するなんて。……母がいたらはしたないと怒られていただろう。  そんなこと考えて、余計気が滅入りそうになる。  ……そうだ、夢ではないのだ。  そんなことを考えていたときだった。  何やら部屋の外が騒がしいことに気付いた。  物音に加えなにやら怒声も聞こえてくる。この感覚には身に覚えがあった。  ――エースか?  いつの日かの騒然とした城内を思い出す。  あのときは奇襲を仕掛ける側だったが、今は違う。  瞬間だった、いきなり寝室の扉が開いた。 「……っ! な……」  何事だ、と振り返り、息を飲む。  返り血を浴びたかのように真っ赤な軍服を着たそいつは笑った。 「お迎えに参りましたよ、王子……いや、女王様か?」 「お前……っ、生きてたのか……?」  「……あれ、なーんだ俺の顔まだ覚えてたのかよ。面白くねえの、びっくりさせてやろうと思ったのに」  目深に被っていた軍帽をずらしたその男――三日月ウサギはそう笑った。恐ろしく似合っている、が、何故そもそもこいつがこの制服を着ているのか。 「お前、今まで何を……エースはどこだ?! というかなんだこの騒ぎはなんだ……!」 「あーはいはいわかったわかった、あとからお話なら付き合ってやるからな」 「っ、おい……どこ触って……っ!」 「暴れんなよ? お前の騎士様からのご命令だからな」  エースは無事なのか。にいっと尖った歯を剥き出しにして笑う三日月ウサギに胸の奥が熱くなる。それが分かっただけでも十分だった。 「ここから逃げるのか?それなら裏口が……」 「そんなまどろっこしいことする必要ねえだろ、一番の近道はここにあるしな」  どういうことだ、と三日月ウサギを見上げたときだった。いきなり伸びてきた腕に抱き締められたと思った瞬間、そのまま担ぎ上げられた。  ――デジャヴ。 「……っ、おい、お前……!」  何をするつもりだ、と三日月ウサギの肩を掴んだときだった。三日月ウサギは躊躇もなく窓ガラスを蹴破ったのだ。  硝子が飛び散る。凄まじい音に鼓膜が揺さぶられ、一瞬何も聞こえなくなる。そして次の瞬間には窓の外から冷たい風が吹き込んできた。 「まっ、まさか……」  ここから降りるのか、と青ざめれば三日月ウサギは「そのまさかだな」と笑うのだ。――凶悪な笑みで。  無茶だ、この城から逃げ出す前にひしゃげた死体になって発見されることになる。そう三日月ウサギを止めようとしたとき、部屋の外から扉を破る音が聞こえてきた。今の音を聞きつけた兵隊がやってきたのだろう。  寝室の扉が開き、飛び込んできたのは会いたくない相手だった。 「っ、王子……!」  ――サイスだ。  幸い一人しかいないが、その一人がサイスということがよくなかった。  三日月ウサギの顔を見るや否やサイスの目の色が変わる、いつものとぼけた顔ではなく、鋭い眼光は軍人のそれだ。言葉よりも先に抜剣したサイスは問答無用で三日月ウサギに切りかかった。そして三日月ウサギはそれを寸でのところで抜いたナイフで受け流した。 「っ、とぉ……危ねえな、エースにクセ聞いとかなきゃまともに受けてたわ」 「……っ、やはり、この騒ぎはお前らの仕業か……っ!」 「おいおいお前が熱くなる相手は俺じゃないだろ……とぉっ!」  刃物同士がぶつかり合い、辺りに金属音が響いた。サイスの剣を弾く三日月ウサギだが、サイスの動きは早い。不完全の状態でまともにサイスの剣を受け止めた三日月ウサギは乾いた笑いを漏らす。そしてその左脇腹に蹴りを入れた。至近距離でのやり合いはあまりにも心臓に悪い。サイスは僕に流れ弾が当たることを危惧してない、それよりも優先してるのが侵入者の捕縛だからだ。  怯む様子もなく無言で斬りかかるサイスとの攻防戦、小手先の技を特技とする三日月ウサギにとってサイスはあまりにも相性が悪い相手だ。 「サイスっ、やめろ、こいつは……」  敵ではない。そう言いかけたときだった。 「そうか、そうだったなお前がサイスか」  三日月ウサギが笑った。 「エースからの伝言だ、今夜アリスはお前を処刑するつもりだとよ、逃げるなら今の内だ」 「適当なことを言って揺さぶってるつもりか?本気でこんな子供騙しで俺を欺こうとするつもりなら見損なったぞ、エース……っ!」 「おーおー。やっぱあいつの言うとおりだわ、1ミリも響いちゃいねえけど……ま、俺は仕事はしたからな」  ギヂ、とサイスの剣を受け止めたナイフが軋む。その柄にヒビが入るのを見て血の気が引いた。そのときだった。 「……時間切れだな」  そう呟いた三日月ウサギはサイスの剣を弾いた。瞬間、やつのナイフが折れるのを見たときだ。先程まで三日月ウサギにしっかり抱き留められていた身体が投げ出された。そう、窓の外へと。 「な」 「王子ッ!!」  なんで。青褪め、三日月ウサギを押しのけ窓の縁へと飛び込もうとしてくるサイスの姿が目に入った。落ちる。浮遊感に震える暇もない。夜の冷気の中、ひしゃげた自分の姿を想像したときだ。  ――くるべき衝撃はこなかった。その代わり、全身を何者かに抱き締められる。  どん、と落ちる体の衝撃はそのクッションにより緩和された。けども。 「……っ、はあっ……ぁ、……」  真っ暗な闇の中、二人分の呼吸が響いた。  薔薇の薫りがあたりに広がっている。照明一つのないが、すぐにそこにいるのが誰なのか肌で、直感で理解した。  と硝煙の混ざった匂い、その奥にあるのは酷く懐かしい薔薇の香水の薫りだ。――僕が昔、エースにプレゼントしたものだ。 「……っ、エース……なのか……?」  恐る恐る手を伸ばす。触れたのは頬だろう。柔らかさのない、硬い頬。伸ばした指、掌ごと握り締められる。 「……はい、王子」 「遅くなって申し訳ございません。ただいま、お迎えに上がりました」変わらない真っ直ぐな声に全身の緊張が緩んだ。鼻の奥がつんと熱くなって、僕は堪らず目の前のエースの胸倉を掴んだ。  遅いぞ、馬鹿。そう文句の一つや二つ言ってやりたかったが、出てこない。 「……っ、ずっと、待ってた……」 「……寂しい思いをさせてしまい申し訳ございません」 「……死んだんじゃないかって、心配だった」 「…………王子」  伸びてきた硬い指先は目頭と目尻に触れる。手探り、それでも伝わる熱を感じるだけでも良かった。  けど。遠くから声が聞こえてくる。確かにこちらに近付いてくる喧騒にエースも気付いたようだ、エースは僕から手を離した。 「追手が来たようです。……すぐに移動しましょう」 「っ、待て、三日月ウサギがまだ……」 「あの男の心配は無用です、死んでも死にませんので」  揶揄だと分かったが、それでもエースの言葉にぎくりとした。……確かに、三日月ウサギならば上手く逃げられるだろう。むしろ僕がいない分よっぽど動きやすいのかもしれない。  思いながら、僕は「わかった」とだけ頷いた。 「現在アリスは街へと降りています、もう時期帰ってくるでしょう。それよりも先に、一刻でも早くこの城を離れます」 「その後は、どうするんだ。離れるっていったって、この辺りは……」 「帽子屋が言っていた知人を頼ります」 「それは……大丈夫なのか?」 「ええ、予め伝えてます。……それに、俺も三日月も暫くお世話になってましたので」  僕があの城にいた間どこで何をしているのか心配しなかったわけではない。けれど、それを聞いて安堵する――が、不安が完全に消えたわけではない。 「こちらに抜け道があります」  エースに連れられてやってきたのは焼却炉だった。何故そんなところにと驚いたが、隠し通路か。僕ですら存在をしらなかった。  鉄の扉を開き、煤で汚れた焼却炉の中へと足を踏み入れるエース。 「王子、手をどうぞ」と伸ばされたエースの手を取る。服が汚れるだとか、もし誤作動して火がついたらなどと迷う余裕などなかった。  冷たい空気の中、燃えカスを掻き分けるエース。確かにその地面には取っ手付きの扉が付いていた。  扉を開いた瞬間、冷たい空気が流れ込んでくる。人が一人通れそうなほどの穴と、ご丁寧に梯子まで付いている。 「俺が先に降ります。王子は後から降りてきてください」 「……ああ、わかっ……」  わかった、と言いかけたときだった。焼却炉の外から凄まじい音が響いた。ビリビリと鼓膜が振動のあまり弾けそうになる。  爆発音は方角的に自分の部屋の方からだ。サイスと三日月ウサギの顔が過る。けれど。 「王子」とエースに呼ばれ、僕はぐっと堪えた。 「あいつらなら大丈夫です。……先を急ぎましょう。朝になると動きにくくなります」 「……あぁ、分かった」  エースに促され、僕は梯子を伝って地下へと降りた。地下は大人一人が立って移動できるほどの広さだ、なんのための通路なのか。僕すらも知らなかったこの隠し通路を何故エースが知ってるのか。聞きたいことは山ほどあったが、三日月ウサギたちのことが頭を占めていた。  沈黙の中、先を歩くエースに着いていく。  地下なだけに酸素が薄いのだろう。なるべく無駄な体力消費はしたくない。僕はただひたすらエースに着いていく。地上がどうなってるのか、僕が逃げ出したと知ったアリスがどんな顔をしてるのか、想像すらしたくなかった。  そんなとき、伸びてきたエースに手を握られた。驚いて顔を上げる。薄暗い通路内部、エースがどんな顔をしてるのかまではわからなかった。けれど。 「……もう少しの辛抱です、王子」 「…………あぁ」  乾いた掌に握り締められる。それだけで励まされるのだ。エースは生きている。……こうして、触れることも、熱を感じることもできることが唯一僕にとっての現実だった。  ◆ ◆ ◆  どれほど歩いたのだろうか。恐らく、相当の距離を歩いたのではないだろうか。頭の中がぼんやりし、足も疲労を通り越して最早感覚がない。それでも歩みを止めてはならない、その気持ちだけで歩いていた。 「……王子、着きました。ここです」  そのエースの声にはっとする。立ち止まり、僕から手を離したエースはその壁の頭を指差した。そこには先程と同じように人一人通れそれなほどの大きさの縦穴と、その側面には登り降りを助けるための梯子がぶら下がっていた。 「上がれますか?」 「っ、馬鹿にするな、これくらい……」  登れる、と腕を伸ばし、梯子を掴もうとするが……指先にすら掠めない。何度か飛び跳ねてみるが上手く掴めず、結局エースに抱えてもらう羽目になる。  先を登っていく僕と、後から続いて登ってくるエース。梯子の先まで行くと、頭の上に扉の感触が触れた。 「あ……開けていいのか?」 「はい、内側から押せば開くはずです」  エースに言われた通り扉をぐっと押し上げる。何かがひっかかり一瞬躊躇ったが、もしかして先程のように灰かなにかが乗ってるのかもしれない。ぐっと力を込め、更に全体重をかけるように扉を押し上げた。瞬間、みちみちと音を立て扉が開いていく。久し振りに吸った外の空気に感動する暇などなかった。開いた隙間からはぼろぼろと土が溢れてき、思わず「う……」と声が漏れそうになってしまう。堪えた。全身煤汚れの現状、これ以上汚れたところで大差などない。力任せにそのまま扉を押し上げれば、頭上には月の明かりが降り注いだ。  ……まだ、夜だったのか。そう思えるほどの満点の星空だった。  念の為辺りに人気がないことを確認し、地面の上へと這いずり出す。それからエースは軽々と穴から脱出するのだ。扉を閉め、再び土や辺りの草木を被せて隠すエースの横、僕は暫く立ち上がることができなかった。 「……王子、少し休憩しましょう」 「……ここは……」 「ここは城下町の外にある森林です。……城からも距離があります、通路を使わずにここまで辿り着くとなると時間がかかるでしょう」  だから、少しくらいは休める。そうエースは言う。 「……いや、僕はもう大丈夫だ。……ビルのところに急ごう」 「王子……」  自分の休息をとっていたばかり、万が一追手が来たときのことを考えると生きた心地がしなかった。いち早くでも安全な場所へと移動する方が優先だ。  エースはやがて表情を引き締め、「わかりました」と頷きました。朝になれば城下町には兵隊たちが集まるだろう。それまでにはどうにか姿を隠したかった。  僕たちは再び歩き出す。閉塞的な地下から出られただけでも大分ましだった。

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