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02
このまま直接例の知人の元へ向かうのかと思いきや、途中空き小屋で服を着替えさせられた。予め用意していたらしい。庶民の服など身に着けることになるとは思わなかったが、手段を選んでる状況ではない。僕はエースが用意した服を着替えた。同様、エースも隊服を脱ぐ。
「王子、脱いだ服は自分が預かります」
「……ああ」
エースが用意した中には靴もあった。履き替えろというのだろう。近くの木箱に腰を掛け、履いていたブーツを脱ぎ、エースに手渡す。
……なんだか、変な感じだ。生地が重く、なんだか動きづらい。
「エース、変なところはないか」
「ええ、問題ありません」
「……そ、そうか」
私服のエースを久し振りに見た。軍帽をかぶっていないからか別人のように感じてしまうが、口を開けばエース本人だから不思議なものだ。
それから、俺たちは城下町へと降りる。あくまで庶民らしく、を意識しようとすればするほど分からなくなってくるのでただ黙ってエースの後を着いていく。
夜だというのに煌々と照らされた街は祭でも行われているかのように賑やいでいる。それもそのはず、壁にはアリスの絵が描かれたポスターとお祝いの文字が至るところで目に付いた。新しいキングが生まれ、ワンダーランド全体――特にこの城下町は浮かれていたのだ。
悍しい光景だ。預言者であり革命家であるアリスを盲信する国民は母が頂点に立っていたときから存在していた、が、それでもこんなに表立って騒ぐようなやつらは多くなかったはずだを
至るところに貼られたポスターや新聞紙を破り捨てたい気分だったが、堪えた。エースに手を引かれ、僕はその後を追いかけた。エースだって僕と同じなのだろう、強く握り締めてくるエースの手は熱かった。
人混みに足を取られないように歩く。普段の履き慣れたブーツではないからだろう、前を歩くエースの背中が違って見えた。
大通りにはまだ巡回兵の姿は見えない。城の方に駆り出されてるから手薄になってるのか。
祭り騒ぎの喧騒に紛れ、大通りから裏路地に繋がる道へと抜けるエースに慌てて着いていく。
裏路地は大通りに比べると酷く静かで薄暗かった。曲がり角から追手が飛び出してくるのではないかと構えていたが、難なく目的地へと辿り着くことができた。
表通りに並ぶ赤白黒の色鮮やかな建物たちとはまた違う、黒と白のモノトーン調の建物が目立つ裏路地の小路。その角に、二階建ての真っ黒な箱のような建物が存在していた。
看板すら出ていない、エースはその扉を開いた。まず目に入ったのは落ち着いたトーンのクラシックな内装。店内の奥、バーカウンターには一人の痩せた猫背の男が立っていた。こちらに向けられるのは窪みがちな胡乱な眼だ。カウンターの中で咥え煙草をしたその男は、いきなり入ってきた僕たちに驚くわけでもなくただ煙を吐いた。
「……さっさとその埃落としてこい、店が汚れるだろ」
……この男がビルか?
思わず尋ねそうになるが、エースは「わかりました」とだけ言ってそのまま店の奥まで歩いていくのだ。
「おい、エース……」
「紹介は後にします。……こちらへ」
いいのか、と思いながらちらりと店内に目を向ければビルらしきマスターの向かい側、カウンター席には一人の男が座っているだけだ。酒を呷っていたその男は、僕の視線に気付けばひらひらと手を広げる。……身なりは整っているが、なんだか胡散臭い男だった。僕のことに気付いていないのか、どちらでもいい。僕はエースの後に続いて店の奥、開かれた扉へと向かった。その奥には更に扉があり、その扉には錠が掛けられているらしい。エースは手にしていた鍵を使って扉を開いた。そこには地下へと続く階段が存在していた。ビルの趣味なのだろうか、至るところに観葉植物が置かれている。それを尻目に僕たちは地下へと降りる。
地下が住居スペースになっているようだ、そこには外から見たときの印象よりも広い空間が広がっていた。あまりの煙たさに換気したかったが、それらしき換気口や窓すら見当たらない。
ひんやりとした空気の流れる部屋を通り抜け、その奥の部屋へと向かう。
テーブルにチェアに暖炉、本棚、そして壁に掛かったのは奇妙な絵画。……あの男の趣味だろうか。
「ここまでくれば大丈夫でしょう」
「……エース、ここは……」
「ここはビル……先程いたこの店の店主の居住空間になります」
「一般人だろう、巻き込んでも大丈夫なのか?」
「王子、帽子屋が紹介した男ですよ。ただの一般人なわけがございません」
そういう問題なのか、と喉元まで出かかったがやめた。……エースがここまで言うのならば信じる他ない。
「それよりも王子、疲れたのではありませんか? 怪我などは……」
「問題ない。それよりも、お前の方こそ大丈夫なのか?」
「はい、俺は見てのとおりです。……身体が丈夫なことが取り柄ですので」
励ましてるつもりなのか、こんなときに笑ってみせるエースになんだか力が抜けそうになる。
……こうしてエースの顔を見たのは酷く久し振りのような気がする。少し痩せただろうか、顔色も……芳しくない。そっと頬に触れれば、「王子?」とエースが目を開いた。
「あの……王子……?」
「……お前、泥だらけだな」
「も、申し訳ございません。まだ鏡を見れてませんでしたので。汚いのであまり触らないでください」
「汚くない、お前は」
お前がいなかったらあそこから抜け出せなかったかもしれない。もしかしたら二度と会えなかったのかもしれない。そう思うと、こうして向き合ってることが酷く嬉しくて、安堵した。
「――迎えに来てくれると信じていた」
「……っ、王子……」
そう言い聞かせることでしか己を保てなくなっていた。だからこそ、まだ自分が長い長い夢を見てるのではないかと不安になったが……触れる熱もなにもかも本物だ。目の前、エースの目が赤くなる。
「おい、なんでお前が泣く」
「……っ、申し訳ございません……俺が、不甲斐ないあまりに王子を危険に晒してしまい……辛い思いを……させてしまいました……」
「いい、謝るな。……お前は悪くない」
何か顔を拭けるものはないかと探したがなにもない。代わりに服の袖を伸ばし、そっとエースの顔をがしがしと拭えばエースはいててと言っていたが涙は止まっていた。
ああ、そうだ――悪いのは全てあの男だ。
金髪蒼眼の僕の旦那を名乗るあの忌々しい男が脳裏を過る。諸悪の根源はあいつなのだ。僕もエースも巻き込まれたに過ぎない。
◆ ◆ ◆
とにかく今は体力温存することが大事だ。
エースが用意してくれた風呂に入り、体の汚れを落とす。
一般的な庶民の家の風呂がこんなにも狭いことに驚いたが、文句は言ってられない。
あの男と城にいた間ずっと生きた心地がしなかったが、一人、ゆっくりと浴槽に浸かればようやくどっと現実味が押し寄せてくる。
緊張は抜けない。……恐らく今頃アリスも城に戻ってるだろう。そして、サイスから自分の逃亡を知らされるか。
子供のような癇癪を起こす男だ、そのことを考えるととてもではないがいつものように長風呂をする気にはなれなかった。
浴槽を上がれば、待機していたエースは木製の盥に入ったシーツで濡れた髪や体を拭ってくれる。
「……王子、こんなにお痩せになられて」
また自分のせいだと思ってるのだろう。
辛そうな顔をして呻くエースに体を見られるのが嫌になって、「もういい」と手を振り払ってバスローブを羽織る。
「王子……」
「エース、それよりもお前には聞きたいことがいくつもある」
そう向き直れば、エースは「分かりました」と頷いた。
「部屋を移動しましょう。ビルに王子の部屋を借りています」
そういうエースに誘導され、浴室から更に奥の部屋へと向かう。帽子屋ほどの豪奢な内装ではない。
冷えた部屋の中、カツカツと二人分の足音が響く。
僕の部屋だと連れてこられたそこは寝室のようだ。粗末な部屋だが、今となってはあいつがいないというだけでも安心できるのでおかしなものだ。僕はソファーに腰を掛けた。硬いクッションに体が痛むが文句は言ってられない。
「それで……何から話せばいいのか、その……」
「……三日月ウサギが言っていた。アリスがサイスの処刑を決めた、と。あれはどういうことだ」
聞きたいことは色々あったが、ずっと気がかりだった。
エースは苦渋の面持ちのまま、「それは」と言い淀む。
「……昼間、町中で探りを入れてるときに聞いたのです。あの男が今夜、公開処刑するために広場を借りた、と。そしてその対象は裏切り者の城の人間と兵士だと」
「なんだと?」
「あくまでも人伝の情報でしかない。けれど、あいつは城の人間を自分にとって都合のいい人間で作り変えるつもりです。……サイス、あいつはアリスに忠誠を誓っているわけではない」
「だから、逃がそうとしたのか」
「……勝手な判断、申し訳ございません。ですが、あいつと対峙したときに分かりました。あいつはまだ正常です、それから他にも……白ウサギ様も」
「っ、…………」
自分が逃げ出すことばかり頭にあった。
大切な人間たちに何も伝えられていないことにただ悔しくなる。今、城中は騒ぎになってるに違いない。
「三日月ウサギはサイスに伝えることはできていましたか?」
「……ああ。けど、サイスは信じてはいないようだったがな」
「やはりそうでしたか。ですが、あれも考える頭くらいはあるはずです。……どうにか白ウサギ様たちと合流して逃げてもらいたいところですが」
あの場にはまだ三日月ウサギがいたはずだ。
……なんとかあいつには頑張ってもらいたいが、不安がないわけではない。
「次は王子の番です。……俺がいない間、何があったのかお伺いしてもよろしいでしょうか」
少なくとも、城下町を探っていたエースならば知ってるはずだろう。
どこから話すべきか、思い出したくないこともあった。とにかく僕は記憶を辿る、エースと別れたあの番、アリスに連れて行かれたあの日から。
そしてそれをエースにへと伝えたのだ。
アリスの婚約者になったこと。あの男は僕を女王にするつもりだと。
――そしてあの男は、なにかが明らかにおかしいと。
「あいつが処罰した人間が翌日には無傷になっていた。……僕もその一人だ。あの晩、僕はあいつの目の前で首を切った」
「っ、……!」
「……しかし、次に目を覚ましたときに首は元通り。傷一つすらない。けれど、僕にもあいつにも僕が自害を試みた記憶もある」
あいつは僕に言った、自分はストーリーテラーだと。狂人の戯言だと思いたかったが、あの男が常人ではないのは明らかだ。
僕の話を聞いていたエースの顔から血の気が失せていく。言いたいことは色々あるのだろう、それでも口を挟まない。白くなる程唇を噛み締め、堪えている。
「ディーとダム、あいつらも地下の懲罰房で拷問を受けていた。けれど僕が目を覚ましたときは元気に配給をしていた。……それも、自分たちが拷問を受けていた記憶も傷も全てなくなっていた」
「信じがたい話だと重々承知している。……僕自身、今でも信じることができない。けれど夢ではなかった、確かに現実だったのだ」あまりのショックに頭でもいかれたのかと思われても仕方ないとわかっていた。けれど、全て事実だった。
「信じます」
「……っ、エース……お前は、僕がおかしくなったとは思わないのか?」
「思いません。……王子は王子です。俺の王子です。それに、アリス、あの男が何かしら隠しているのは明らかです」
「王子の話からするに、サイスたちも処刑して自分の傀儡へとするつもりなのでしょう」いつもの調子で続けるエースの言葉が今は心強かった。
「ですが」とエースは忌々しげに下唇を噛む。
「……貴方に自刃させるような真似をさせるなんて、あいつのその妙な能力に助けられたことがなによりも許せない」
「エース、それはいいんだ。あれは、ああするしかなかった」
「それでも、もしあいつが貴方を助けることがでいなければと思うと……っ」
「エース」
「……申し訳ございません、王子。全て、自分の力不足故起きたこと。……俺は……っ」
真面目な男だ。そして、責任感が強い。
「泣き言を言うのは後にしろ、エース。僕はこうして生きてる。……ならば過去を悔やむよりもやることがあるだろう」
「……っ、王子」
「……取り敢えず、お前も風呂に入ってきたらどうだ」
少しは塞いだ気も晴れるだろう。そう勧めれば、やや躊躇うエースに「命令だ」と続ける。エースは「はい」と顔を上げ、背筋を伸ばした。
そして浴室へと向かうやつを見送った。
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