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MOFU MOFU

 帰りの新幹線では、ずいぶん大人しかった。大人しかったというよりは、怯えていたというべきか。  実家で身支度をしている最中、里では見慣れないものに対して「これは?」「あれは?」と着物姿で後ろからついてくるのはかわいらしくはあったが、正直に言えばかなり邪魔だった。  それくらいにやかましかった狐が、あんなにも静かになるとは思わなかったのだ。耳と尾が出ていれば毛逆立っていたに違いない。  帰省したときに寝室として使っていた和室に置かれた狐の嫁入り道具一式も本当に邪魔だった。実家だというのに、実家ではないような気にさえなったのだ。しかも布団が隣同士で敷かれていた。あれには困り果てた。祖父母も両親も楽しんでいるようにしか思えなかったのだ。  帰省した日の夜よりも増えた荷物。主に狐の着物だった。嫁入り道具一式に関しては、実家に帰省するときに少しずつ持ち帰ることにした。着物に関しても、洋服でいいだろうと言ったが、祖母の「洋服は慣れないのよ。ねえ?」という言葉と、それに同意するように何度も頷いた狐に、狐がそう言うなら仕方がないと自分を納得させた。 「着物の洗い方は分からないから教えてくれ」 「おれがやります」 「……いや、知っておいて損はないから」 「そんなものですか」 「そんなものだ」  全て任せるのもどうかと思ったのだ。そもそも今までひとりで生活していたのだから、身の回りのことは自分でしなければなんとなく落ち着かない性分になっていた。それに、人のため(狐のためと言うべきか)になにかをしてやるということに対して浮かれていたのかもしれない。この先ずっとひとりで生きていくのだろうと思っていたからだ。  しかもこれから毎日、あの柔らかで触り心地がいい毛に触れるのだと思うと気分も上がる。仕事で疲れて帰ってきたらあれがあるのだ。嫌な上司の理不尽なあれやこれにも堪えられる気がした。 「外では耳と尾は出すんじゃないぞ」 「はい」 「あと、土地に慣れるまではひとりで出掛けないこと。なにかあったらすぐに電話すること。いいな?」 「はい」  小さい子供に言い聞かせるようにして、マンションの鍵と新しく契約したスマートフォンを渡す。さすがに使い方くらい分かるだろうと思ったが、「これは……」と困惑しきった表情を向けられて使い方を教えた。  意外にも物覚えは早く、これならあの小さな町でなくともやっていけるだろうと安心した。  それに、やはりこの柔らかな毛並みは素晴らしいものだと実感した。出勤前に耳をひと撫で、帰宅時にまたひと撫で。風呂上がりのドライヤーは恐ろしく大変だが、就寝前の耳と尾のブラッシングなど最高のひとときだった。膝の上に頭を乗せて気持ちよさそうにうとうとされるのだから、堪らない。  耳の後ろが特に気持ちよさそうで、ついつい無意識に触ってしまうこともある。実家にいるとき、触りたくて触りたくてうずうずしていた尾は、思ったよりも毛の密度があり、ぎゅっと握ったときは擽ったそうに声を上げて笑われた。  ああ、いいな、これは。堪らんな。  陽の当たる窓際でうたた寝をしている狐の尾に顔を埋めたときは最高で、干したての布団よりも気持ちがよかった。今では最高の嫁を貰ったと感謝しているくらいだ。 「里では、耳と尾のある狐はいないんです」  いつものように就寝前のブラッシングをしている途中に、そんなことを言い始めた。普段ならうとうとしていてもいい時間だったが、今日は頑張るなと思っていた矢先だった(狐が寝入った後に耳や尾をひとりで触り倒すのがいつもの日課だったのだ)。 「ああ、確かにみんな初めてだと言っていたな。そんなにか」 「人間と関わるのに狐の血が濃いのはあまりよくないと」 「ふうん」 「子も先祖返りする可能性があって、その……だから、」  ブラッシングを終えてペットタオルで拭いて終わりというところで突然起き上がった狐は、櫛を持つ俺の手をぎゅっと握って、 「子作りは……! どうするべきかと……!」と、顔を赤らめて告げた予想外の言葉に、思わず声を上げる。 「こっ……!?」 「里長は不安ならば作らなくともよいと」 「いや待て待てお前は男だろう産めるわけあるか」  握られた手を離そうとするが、思った以上に強く握られていて全く振りほどけない。どこからこんな馬鹿力。かわいらしい顔をしてこういうとこばかりきちんと男なのだから焦る。  艶のある毛並みをしている耳をピンと立てて顔を近付けてくる狐から少しでも距離を取ろうと顔を背ける。ふさふさとした尾が右に左にと揺れている。 「産めますが?」 「なに!?」  二度目の予想外の返答に思わず顔を向けてしまい、狐は強く頷いて「産めますよ」と再び言った。 「ブラッシングだけで満足なんですか? これをもっともふもふしたくないんですか?」  耳と尾を揺らして、ふふんと得意そうな顔で笑った狐にやられたなと思い、握られていない左手で揺れる尾をぎゅっと掴んでやった。 「は、反則!」 「ふはは」  そう言ってふにゃりと力を失って倒れ込んだ狐の尾を軽く撫で、櫛を通す。  確かに狐の言う通り、もっと大胆にもふもふはしたいのだ。しかしここまでいきなり距離を詰められるとは。子作りなど。恥ずかしそうに子作りと言ったあの顔は……悪くない。 「考えとくよ」  そう言って耳の後ろを撫でると、狐はムスッとした表情でタオルケットを被ってしまい、そうされると日課のお触りはお預けになってしまうなと、肩を落とした。

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