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第10話

秦野は、教師を辞めた。 学校側は生徒を守ったための行動だったのなら仕方ないといった風体で秦野を引き止めたが、秦野はその意志を変えなかった。 そして、俺はアパートを出た。 面倒な手続きやらは全て秦野に任せた。 俺は、秦野のマンションで暮らすことになったのだ。 秦野が教師を辞めることを選んだのも、俺を引き取ることを決意したからだ。 秦野は教師という職業に執着していなかった。 父親の会社を継ぐのが嫌で、反抗するために教員試験を受けたのだと言った。 秦野の父親は、中学生の俺でも知ってるくらい有名なグループの代表取締役だという。 教師を辞めたあとは大人しく跡継ぎになると言っていた。 堂々と俺を引き取るにはそれが一番いいと思ったらしい。 何故そこまでして、という疑問はあったが、俺にとってもうどうでも良かった。考えるのも厭になっていた俺は思考放棄し、全てを秦野に委ねることを選んだのだ。 秦野は、知れば知るほど教師が向いていない人間だ。 いや、有る意味で反面教師というべきか。 こんな男に学ばされていたのだと今思っても腹が立つが、それでも、有言実行して俺を手放そうとしない秦野には尊敬しかない。 こんな面白みも何もないガキを囲ったところで秦野の得になるのか知らないが、秦野は変なやつなのでそんなことを理解しようってのが無理な話なのだろう。 俺はというと、秦野の勧めで転校することになった。 これからの学費は全て秦野が持つという。 俺は断ったが、「それが厭なら俺が一日中付きっきりで家庭教師をしてやる」と言い出してそれならばと受けたのだ。 俺と秦野の関係は未だによくわからない。 けれど、傍目に見れば天涯孤独の少年を元担任教師が引き取り、育てるというなんともテレビ映えしそうな感動話に見えるだろう。 だが実際はどうだ。この男は、俺が死ぬことすら許さないほど強欲で、身勝手で、そして何より、過保護だ。 もう教師ではないくせに、教師面するのだ。 それが不愉快だった。 全てが落ち着いた頃には、母親の一周忌を迎えた。時間の流れというのは案外早いようだ。あの男と過ごした地獄のような一年と比べ、母親が死んだあとの一年は酷く慌ただしかった。 法事を終えたあと、秦野の運転する車で帰る。 車内は静かだった。 いつもは秦野が一人でべらべら喋ってるのだが、今日は、秦野は一言も発さない。きっと、また余計なことを考えているのだろう。 秦野が自分の父親の会社に入社してから、どれほど経ったのだろう。最初の頃は色々悶着はあったし、俺を引き取ると言って聞かない秦野に秦野の父親も困ったような顔をしていたが、秦野の家族は思いの外すんなりと俺を受け入れてくれた。 俺の境遇のせいか知らないが、秦野の母親は時折俺の様子を見に来ては「勉強の合間の息抜きに」と俺にお菓子の差し入れをくれるのだ。料理の腕前は母親譲りなのかもしれない、と秦野の母親のお菓子を食べる都度思った。 そして、教師のときとは違う、キチンとしたスーツを着た秦野を見ると、やはりこの男は教師向きではなかったなと思った。 それから俺は、秦野の勧めにより少し離れた学校へと転校した。 最初は周りからの好奇と同情の目が痛かったが、卒業までの辛抱だとそれらを放っておくと以前のように周りから無視されるようになる。 一時的なものなのだ。所詮。それでも、寂しさはない。 それに、今は学校は逃げ場ではない。 余計なことを気にせず、ただ勉強を楽しむことができることが嬉しかった。 テストで満点を取る都度秦野は「流石だな、雨崎」と俺の頭を撫でるのだ。 教師のときと同じ顔で、笑顔で。 それがちょっとおかしくて、「先生みたいですね」と言うと秦野は「みたいは余計だ」とにやりと笑う。 母親のことは未だに夢に見る。 あのとき、俺が母親を迎えに行っていたら。そう何度思い返しては後悔した。 そのたびに秦野は俺を抱き締めるのだ。何も言わずに。 もし俺が行かなければ、こうやって秦野に抱きしめられることも、当たり前のように暮らしてることもなかったのだろう。そう思うと、気分が楽になるのだ。

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