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第53話
企画展の会場は、表参道の駅から歩いて十分ほどの閑静な住宅街にある。もともとは個人の住宅だったものを、ひとりの篤志家が買い取り、改築してギャラリーにした。こんな仕事をしていると、規格外の金持ちと接することは珍しくないが、自分とは世界が違うなとつくづく感じる。
人の波がいったん途切れた後、日下は今回の企画展の主催者である門倉と、出展者の日高、そして彼のゲストの少年と一階のカフェにいた。カフェは一般客にも解放している。いまも通りがかりと思われるカップルがふらりと入ってきたようすだった。
「それでふたりは何の話をしていたんだ?」
大事な得意客への挨拶を渋る日高を無理矢理連れ出した後、門倉と一緒にコーヒーを飲んで待っていた少年のもとに戻る。どこか野生の小動物を思わせる少年は、日高の隣家に住む高校生だ。当然日下とも顔見知りだが、担当する作家の知り合いだからで、日下自身はそれほど親しいわけではない。
「彼が日高くんの絵をどれだけ好きか――」
「わーわーわー!」
「あつが俺の絵を?」
「何でもない! 何でもないから!」
真っ赤な顔で門倉の言葉を遮る少年に、彼をかわいがっているらしい日高が少年の髪をくしゃりと掻き混ぜる。日下は背後で控えめな笑みを浮かべて佇みながら、まるで痴話喧嘩を見せられているようだと生暖かい気持ちになる。感情が丸見えの少年に内心で呆れながら、まっすぐな感情を向けられる若さを心のどこかでうらやましく思った。
「きみも座りなさい」
「いえ、僕は……」
そろそろ自分がこの場を離れても問題ないだろうと日下が考えたときだった。スーツのポケットに入れてある携帯が震えた。
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