1 / 6
第1話
夏は嫌いだ。
猛暑、という字面だけで暑いし、なにより仕事が過酷な繁忙期を迎えるからである。
しかし今日は、少しだけウキウキした気分であった。
花隈 浩司 はエアコンの効いた車中に別れを告げるべく、運転席のドアを開いた。
途端、むわっとした熱気が花隈を包む。
首元になにかのおまけで貰った白いタオルを巻いて、花隈は覚悟を決めて外へ出た。
蝉の声がうるさい。団地を囲むようにして背の高い木が植わっているからだ。
その合唱を聴きながら、早足で日陰になっている団地のエントランスへと向かう。
花隈は工具などが入った大きなバッグを肩にかけ直し、エレベーターホールへと迷いなく足を運んだ。
この道を辿るのは、このひと月で三回目だ。だから資料を確認する手間もかけずに、部屋番号を思い出すことができた。
エレベーターで目的の階へと行き、早くもひたいに浮いてきた汗をタオルで拭いながら花隈は『芦屋 』と表札の掛かった部屋の前で足を止めた。
インターホンを押すと、すぐに「はい」とスピーカーから応答があった。
「どうもっ。ニコニコ電機です」
ハキハキとした応答を意識しつつ花隈が挨拶をすると、ほどなくしてドアが開かれた。
「こんにちは。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げたのは……色気たっぷりな芦屋家の奥さん(男)だった。
花隈が最初にこの家を訪れたのは、エアコンの設置のためであった。
大手家電量販店ニコニコ電機で購入されたエアコンを取り付けるべく芦屋家を訪問した花隈は、そこで搬入されたエアコンとコンセントの電圧が違うことに気づいた。
「お客さん、これ、どうしますか?」
新しく買われたエアコンは100V。現在使用中のエアコンは200V。
このまま取り付けできなくはないが、エアコンの効きはいまより悪くなる可能性が高い。せっかく200Vの電圧が使用できるのだから、200V対応のエアコンにした方が良いのではないだろうか。
花隈は首を捻りながら、家主の芦屋へと問いかけた。
半そでのポロシャツにハーフパンツ、という涼しげな出で立ちの男は眉を下げてくしゃりと笑った。
「いやぁ申し訳ない。家電には疎 くてね」
頭を掻いてそう言った男は、花隈よりも20は年上で、いかにも仕事ができそうなパリっとした印象であった。
「きみのおすすめのエアコンはあるかい?」
気さくに笑った芦屋が、花隈を手招いてソファへ座るよう促してくる。
花隈は迷いつつもカバンから数冊のカタログを出して男へと差し出した。
「俺は設置業者なんで営業じゃないんですけど」
「きみの主観で構わないよ。この家のリビングの広さに合ったものでなにかいいのはないかな?」
芦屋がカタログをテーブルの上に広げ、自分の隣をポンポンと叩いた。
固辞するのも申し訳ないかと、花隈は彼の横に腰かけ、写真を指さしながらエアコンの説明をしていった。
家電には疎い、と言っていた芦屋だったが、話術が巧みなのだろうか。気づけばエアコン談義に花が咲いていた。
「……という機能が付いているんですよ、これは」
「へぇ。今はエアコンも随分と多機能だ」
「そうなんです。こっちは……」
「どうぞ」
不意にコトリと音がして、ハッとそちらを見ると、氷を浮かべた麦茶のグラスがテーブルに置かれていた。
「妻の晴樹 だ」
と、芦屋が言った。
「こんちには。お世話になります」
長めの前髪を揺らして、奥さんが頭を下げた。
「あ、どうも」
花隈も慌てて芦屋の妻へと挨拶を返す。
政府が同性婚を認めて久しく、同性婚専用の団地もできていると聞いたことがあるが、そうかこの団地がそうなのか、と花隈は理解した。
奥さんがきれいな顔でにこりと微笑し、
「随分と楽しそうですね」
と芦屋へと言った。
快活に頷いた芦屋が、花隈の肩を軽く叩いてくる。
「花隈くんは若いのにしっかりしてるし、説明もわかりやすい。頼りになる子が来てくれて安心だ」
「いや、そんな」
花隈は恐縮して肩を竦めた。
「花隈くんに色々聞いて、エアコンを買い直すことにしたよ。すまないがこれを手配してくれるかい?」
「えっ、あ、はい。でもお値段が変わりますよ」
「値段は気にしないさ」
さらりと応じた芦屋が、唇の端で笑った。大人の男、という雰囲気のある笑い方に、花隈は内心で(かっこいいな~)と感嘆した。
これほどに格好いい男だから、こんなに若い奥さんを娶れるんだろうな、と横目で奥さんを盗み見てそう思う。
芦屋と奥さんは歳の差が結構ありそうで、奥さんはどちらかというと芦屋よりも花隈との方が年齢が近そうだった。
「では、金額など細かいことはまた担当から電話を入れるようにします。その際に搬入希望日をお伝えください」
「設置はまたきみが来てくれるのかな?」
「あ、はい。俺で良ければ」
花隈が頷くと、芦屋がなぜかニヤリと笑って、花隈の肩をまたひとつ叩いてきた。
「ぜひきみに来てほしい。俺の体が開いていれば、またきみと色々話したいからね。それに、うちの妻が」
「え?」
「妻はきみみたいにマッチョな子がタイプなんだ」
「恭祐 さん!」
奥さんが咎めるように叫んだ。
芦屋がハハっと明るい笑い声を上げて、
「妻好みになるよう俺も鍛えてるんだけどね。花隈くん、きみもいい体をしている。なにか運動をしてるのかい?」
と尋ねてきた。
「いや、べつに……普段から重いものを持つのが多いからですかね?」
花隈は答えながらも奥さんから目が離せなくなった。
なぜなら奥さんが、頬を赤らめて、恥ずかしそうにチラチラと花隈を見てくるからだ。
花隈の性的な興味はこれまで女性限定だったが、この奥さんはなんだか……ひどく色っぽくて、思わせぶりな視線を送られるとドキドキしてしまう。
「じゃあ実用的な筋肉というわけだね。晴樹、触らせてもらったらどうだ?」
「恭祐さんっ!」
奥さんが眉を吊り上げて、冗談が過ぎる夫を睨んだ。
花隈は悪ノリした風を装って、笑いながら力こぶを作った。
「いいですよ。触ってみます?」
軽い調子で問いかけてみると、奥さんが一度目を伏せて。
恥ずかしそうに、もごもごと唇を動かして……。
「じゃ、じゃあ」
と、おずおずと伸ばした手で、腕の膨らんだ筋肉へと触れてきた。
さわさわとそこを撫でた奥さんが、囁くようなトーンで呟いた。
「か、かたい……です」
その、妙に色気のある言い方に、花隈のあらぬ場所が硬くなりそうで、花隈は愛想笑いをしながら麦茶をごくごくと一気飲みして立ち上がった。
「そ、それじゃまた後日参りますんでっ」
失礼します、と頭を下げて芦屋家を飛び出した花隈は、以降しばらく奥さんの「かたい……です」という声を思い出して股間を押さえる羽目となったのだった。
ともだちにシェアしよう!