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【27】死。

 国内での大流行が免れたその日――午後二時を少し回ったところのことだった。 「大変です、国王陛下が!」  侍従の声に、俺は立ち上がった。冷静でいようと努めたが、体が震え、明らかに慌ててしまった。流行病ならば、俺はもう、特効薬を持っている。それを念頭に置きながら、慎重に始祖王の件を確認しなければと思った。  ライネルとラクラスと共に、父上の部屋に行くと、ユーリスの姿があった。  兄はうつらないように隔離されているそうで、王妃様や母上は既に面会して、いま隣室で医術師から説明を受けているそうだった。  寝台に横たわっている父の顔は紫色だった。  病の症状と類似している。意識がない様子で、汗をかいていて、息が荒い。  その苦しげな様子に、思わず拳を握った。 「早く薬の投与を」  するとユーリスが腕を組んだ。 「勿論行いましたよ」  俺は驚いた。てっきりユーリスは、始祖王を見殺しにすると思っていたからである。  遺跡の視察の際に、ニュアンスとして、始祖王にあまり良い印象を持っていない気がしたからだ。だが考えてみれば、父上は国王だ。国王を見殺しにする宰相はいないだろう。  だが――……俺は、父を改めてみた。 「では、どうして父上は、まだこのような具合なんだ?」  あの薬は即効性だ。服用したら、それだけで肌の色はもどる。  このような重篤な状態は、すぐに脱するのだ。 「薬をお渡しする際に、診察させていただいたのですが」 「ああ」 「――結論から言って、国王陛下は、ご病気ではありません」 「だったらなんだというのだ!?」 「呪いですよ」 「呪い?」  普段だったら冗談を言っている場合ではないと俺は激怒しだろう。  少なくとも前世ならば。  だが今は、『不死の始祖王を殺した者は呪われる』という言葉を思い出していた。  始祖王が父ではないかと思っていたのだが、呪われたのだとすれば、殺した者が父上ということなのか? 父上は始祖王に呪われたのか? だが俺は父上を覚えているのだから、聞いた呪いの内容とは異なる。なにか別のものか? 「誰が呪ったんだ?」  俺の言葉に、ユーリスが動きを止めた。  そして俯き、少ししてから唾を飲み込んだのがわかった。 「フェル殿下」 「なんだ?」 「そうではなくて、フェル殿下です」 「なにがだ?」 「――国王陛下に呪縛をかけたのは、フェル殿下です」 「え?」  最初、俺は何を言われているのか、よくわからなかった。  ただ、ユーリスが呼んだのが俺の名前であることはよく分かった。  ――そこで俺は、思い出した。  前世でユーリスに自分を処刑させたのは、俺自身だったことを。  理由は、俺の心臓を始祖王が狙っていたからだった。  始祖王は、俺の体を得て、ラクラスを意のままに操ろうとしていたのだ。  だから俺は、死ぬ前にラクラスを逃がしたし、一度は、奪われないように自分の体を殺すことにしたのだ。ただその時、処刑される間際、俺は確信していた。  ――始祖王は、俺の体を諦めない。おそらく、俺の生に干渉して、時を巻き戻す。  ――そして俺が最適な器の体に成長した頃、心臓の転換を試みる。  前世において、俺はそう考えたのだったと思う。  ならば、蘇り、始祖王が接触してきたところで、返り討ちにすれば良いと思ったのだ。  ――そのためには、どうしても必要なこと二つがあった。  一つは『巻き戻しワード』である。巻き戻る前の記憶を忘れないために、魔法鍵と呼ばれる言葉を定めて、新たなる人生においてもそれを聞くことで、前世を夢だと片付けないようにしなければならなかったのである。今なおこの言葉が誰のどのような言葉だったかは思い出せないが、以前賢者が言っていたのはこれだとわかった。  もう一つは、【新月黒曜の聖剣】を見つけ出して、所持するということだった。  これは、俺単独では不可能だった。場所を知らない。だから前世で死ぬ前に、別れ際、ラクラスに伝えたのだ。「この剣が欲しい」と。ラクラスは、おそらくそれで、剣を探し出してくれたのだろうと、やっと理解した。  そして俺は、この二つが満たされた時に、三つの事が起きるようにしていた。  一つ目は、自分で己の処刑を命じさせたのだと思い出すようにしておいたことだ。  二つ目は、前世の全記憶の復活である。  そして三つ目が、『始祖王に呪縛をかける』というものだった。  一つ目と二つ目の理由は単純だ。  始祖王は、心や記憶が読めるため、前世での俺の最後の思考を読み取られたり、それをもとにした今世での言動を見抜かれたりすると、計画に差しさわりがあると考えたため、思い出せないようにしたり、擬似的な記憶を紛れさせている部分があったのである。  だが、呪縛をかけることに成功した場合は、早急に思い出さなければならないことで間違いなかった。だから俺は、すぐに今、思い出したわけである。前世において、始祖王を屠ると誓い、また自分の身を守るために、一度俺は処刑台に自らたったということを。  その記憶部分で、悪役をかって出てくれたのが、ユーリスだ。  他の前世の記憶を振り返ってみる。 すると、これまでの間にすっぽりと抜けていた、始祖王――父王の記憶が無数にあった。怖気が走った。前世において俺は、父が兄や弟達の心臓をえぐり出して貪り食うのを見たことがあったのだ。血族のものの心臓は、始祖王にとっては、万能薬らしい。  だから俺は、呪縛をかけたのだ。誰かの心臓を次に食べようとした瞬間、重篤な多臓器不全状態に陥るようにと。前世においては、流行病の際、始祖王は弟の心臓を食べてすぐに快癒していた。しかしそれを理由に身を隠し、俺との心臓の転換を狙っていたのだ。そのため、俺は幽閉され事実を知った頃には、死んだはずの父の顔を牢屋で見ることになったのである。そして始祖王の計画を邪魔するため、俺は処刑される道を選んだのだ。  それを覚えていたからこそ、今回は、このような呪縛をかけたのだ。  成功したのだ。  あとは――聖剣で父をさせば、全てが終わる。  俺はユーリスを見た。いつもの微笑とは異なる真剣な瞳で、彼は俺を見ていた。  ――始祖王の二番目の召還獣だったライネル、彼の現在の主人はユーリスだ。  だからユーリスは、自分の記憶をライネルに保持させて、今もすべてを知っているのだ。最初から彼は覚えていたのである。俺とは異なり、ユーリスの生家は遺伝的に、他者に心を読ませない魔術を受け継いでいる。それもあって、俺はユーリスに俺の処刑を命じたらしい。上手く始祖王の暗殺にまで、事を運ぶためだ。これまでを振り返っても、ユーリスはよくやってくれた。  ――ユーリスが剣をもてないふりをしていたのは、【新月黒曜の聖剣】が使えないと周囲に思わせるためだったはずだ。これは、前世からそうだった。だがこれは、いつかかりに、己の手で始祖王を葬る日が来た時に備えての準備だと聞いたことがある。ユーリスは常に慎重に行動していたのだ。  そこまで思い出したものの、俺は寝台の上で苦しむ父の顔を見て、思わず眉根を落とした。入ってきた莫大な情報と、目の前の優しかった父親が、うまく融合しないのだ。俺は、聖剣を手に取って、じっと父を見た。俺は、これから、彼を殺すのだ。  ――殺せるのか?  一気に不安が押し寄せてきた。前世の自分ならば、既に屠っているだろう。  だが、今の俺は――……軟弱になってしまったらしかった。  優しかった父の記憶が蘇る。父を殺したら、王妃様も母も泣くだろうと考える。  言い知れない焦燥感に襲われた。剣を握る手に、汗をかいていた。 「フェル殿下、お早く」  ユーリスが言った。反射的に顔を上げ、俺は首を振っていた。  声は出なかった。でも意思は伝わったと思う。  ――俺には、無理だ。  するとユーリスが、二度瞬きをした。それから優しい苦笑を浮かべた。 「そう仰るような気がしてました」  一歩前に出たユーリスが、両手で、剣を持っている俺の右手を覆った。  そして静かに剣を俺から奪うと、今度は目を伏せて、優しく笑った。 「だから――俺が代わりに」  ユーリスが笑顔のままでつぶやいた。 「え?」  俺は目を瞠った。その時にはユーリスの姿が消えていて、俺は右手から消えた剣の感触だけを意識していた。直後、血飛沫の音を聞いた。俺は呆然としながら正面を見た。寝台に横になっていた父に、ユーリスが剣を突き立てていた――だが、父も起き上がっていて、いつの間に手にしたのかはわからないが、長い槍を……ユーリスに突き刺していた。  がくりと、それぞれの体が寝台に倒れたのは、ほぼ同時だったと思う。  俺は咄嗟に駆け寄った。なぜなのか全身が熱いのに寒気がした。 「ユーリス!!」  俺は、ベッドからさらに落下したユーリスを、抱えるように抱き起こした。  寝台の上の父上を一瞥すると、次第に皮膚が干からび始めているのがわかった。  そんなことよりも手当をしなければと、ユーリスを見る。  だが、咳き込むたびに多量の血を吐いているユーリスの体は、どんどん冷たくなっていく。俺は震えた。気づくと涙が浮かんできていた。 「フェル殿下……」 「喋るな! すぐに止血を――」 「これで良かったんです。始祖王殺しのような大罪を犯すのは、一人で十分です。死しても呪われるのなんて、一人で良い」 「な」 「フェル殿下、俺は思うんです。貴方は、決して民衆に忘れられてはいけない人だ」 「お前、何言って――」 「本当は、共に行こうと思っていたんですが、俺には無理みたいです」 「ユーリス!!」 「殿下が地獄の業火に焼かれる姿なんて見たくないんです。だから俺は一人で逝きます。殿下が歩く道がいかようであろうとも――……ずっと一緒にいたいと思っていたんですが、っ、今は、ただ――……殿下の幸福だけを……ッ、は」 「何言ってるんだ? 死ぬな、これは命令だ」  俺は必死でその後もなにか叫んだ。けれど次第に、俺の服を濡らすユーリスの血の重さしか考えられなくなっていった。冷たくなっていく彼の体を抱きしめて、俺は震えながら涙を流した。嘘だろ? どうして? なぜユーリスが死ななければならないんだ?  ――その日、そのまま俺の腕の中で、ユーリスの鼓動は永遠に止まった。

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