30 / 33
【30】巻き戻しの言葉。
それから一週間ほどが経った。
俺の国は、帝国の支配下におかれる事になったが、無血での戦争だったとして、王都の民衆の混乱は、常時の戦争に比べれば少ないのだろうと思う。このような国の非常事態に戦争を仕掛けてきただなんて、と、帝国とハロルドへの非難は強いが、ハロルドは何も言わなかった。
現在俺は、ユーリスの墓の前に来ている。
誰かが先に来ていったらしく、置かれた花束の、白いリボンが揺れていた。
この場所を知っていて花束を持ってきそうなのは、ハロルドだけだ。
召喚獣が花束を置くイメージはない。
そう考えながら、俺は隣に立つラクラスを一瞥した。
ラクラスは、今も昔も変わらずに、俺の隣にいる。
だが――昔と違って、もうどこにも、ユーリスの姿はないのだ。
改めてそう思った瞬間、体が震えた。足元の地面がなくなってしまったような、不安定な気分になる。頬が濡れたから、何かと思ったら、俺は静かに泣いていた。そう気づいてしまうともうダメで、俺はぼろぼろと泣いていた。
ユーリスのおかげで、俺は何もせずとも、現在は安全を保たれている。
処刑される気配もない。ずっと俺のためを思ってユーリスは行動していてくれたのだ。
だが、奴は馬鹿だ。ユーリスが不在になったら、誰がユーリスのように、俺に言葉をかけてるというのだろう。ちょっと意地が悪かったり、腹黒そうだったり、そんな言葉の数々を思い出す。吹き出すように笑うユーリスの姿は、もう俺のそばにはないのだ。
俺は震える体を抱きしめた。気づくと号泣していた。声を押し殺すことに必死になった。
すると歩み寄ってきたラクラスが、俺の頭を撫でた。
「やめろ、子供じゃない」
「――助けたいか?」
「無理な事を言うな」
八つ当たりだとはわかっていたが、俺は思わずラクラスを睨んでしまった。
ラクラスは、そんな俺を、透き通るような瞳で見ていた。
「人間には無理だろうな」
「召喚獣にだって死者を生き返らせることなどできないはずだ」
「ああ。それは不可能だ。可能だったならば、お前が前世で処刑された瞬間には、俺がそれを行っていた自信がある。死は、この世界に生きるすべてのものに等しい理だからな――ただ、聞きたかったんだ、お前の口から。フェルは、あいつともう一度会いたいのか?」
「……ああ、会いたい。そしてもしもあの瞬間に戻れるのであれば、俺は――」
絶対にユーリスを死なせたりしないだろう。
あの時、俺が自分の手を汚すのを迷わなければ、ユーリスが死ぬことはなかったのだ。
「助けたいのか?」
「もちろんだ」
「――正直、話すのを迷った。だから今になった」
するとラクラスが、どこか諦観しているような声で言った。
「ひとつだけ、方法がある。生き返らせるわけではないが、フェルの願いをおそらく叶えられる方法だ」
「なに?」
「フェルがもともと、人生を一度巻き戻してやり直したとき、【巻き戻しワード】として、強い思いが詰まったユーリスの言葉を魔法鍵にして、記憶の維持をしていた。その言葉が放たれた場面の前後には、時空の記憶点が刻まれているはずだ。それは、召喚獣の時間と同じで、一つの方向にしか流れない、時間の一側面だ。もしもその【巻き戻しワード】を特定できたならば、それを用いて、フェルは――また巻き戻ることができる」
「!」
「ただし、既に協力者は存在しない。一人で行うには、相応の代償が必要となる。そして、これを最後に、二度と巻き戻ることもできなくなるだろう。本来、巻き戻るなんていうのは、人間には過ぎた行為だしな」
「……」
「つまり、ユーリスを生き返らせるんじゃなく、お前がユーリスが死ぬ直前に戻ってその死を阻止することは可能だという話だ。この場合、問題となるのは、始祖王もまた復活してしまう点だ。俺だったら、命懸けで倒した相手が、復活するというのは嫌だけどなぁ」
俺は目を見開いた。言葉が喉で凍りついてしまったようで、何も発することができない。だが――ユーリスにまた会えるのだろうかと思うと、ドクンと鼓動が強く響いてきた。
「始祖王は責任を持って、今度は俺が葬る――いいや、兄としてあの時、離れの塔に身を隠していたのだとするならば――先にそちらを……」
「もしもお前がやるというなら、俺が手を貸す。俺だけじゃない。始祖王は、既にゆがんでいる。最初に仕えた召喚獣として、俺もライネルもエクエスも、元とはいえ主人の今のような姿は見たくない――けじめはつける」
「ありがとう」
「ただな――……フェル。巻き戻さないという選択肢もある」
「それはできない。やれることがあるとわかった以上――」
「代償」
「っ」
「代償が必要なんだぞ」
ラクラスは、そう言うと、じっと俺を見た。
俺も必死で見返した。
「代償とは、何なんだ?」
「全ての力を失う」
「力?」
「ああ。魔力も、召喚するための能力も」
「っ」
「――そうしたら俺にも会えなくなる。それでもか?」
ポツリとラクラスが言った。俺は動きを止めた。
何度か瞬きをする。頬を撫でる風が冷たい。
しかし、答えには迷わなかった。
「……それでも、だ。構わない」
「その後は始祖王どころか普通の魔族、いいや人間に襲われてさえも、撃退する力がなくなるんだぞ?」
「……それでも」
俺は迷わなかった。真剣に見返した俺を、少しの間、黙ってラクラスは見ていた。
そして、不意に笑った。
「全く仕方ないないな。お前ならそう言うって、俺はわかってた。ユーリスなんかよりもずっと、俺のほうがお前の考えをよくわかってる。お前の悲しそうな顔を見てるのが、ここまで辛いとは思わなかったが。フェル――……お前の召喚獣になれて、俺は嬉しかった」
ラクラスはそう言うと、両腕で俺を抱きしめた。
「お前が俺を召喚できなくなり、召喚主でなくなっても、俺はずっとお前のそばにいる。お前の召喚獣じゃなくなっても、俺の大切な人間は、お前だけだからな」
その優しい声音に、俺は小さくお礼を言って、彼の背中に腕を回した。
それから俺達は、王宮に戻った。
すぐにライネルがやってきたので、最後の一体であるエクエスを借りるため、俺はハロルドの所へと向かった。かつては父が座っていた玉座で、ハロルドは忙しなく部下に指示を飛ばしていた。こういった皇帝らしい姿を見たのは初めてだった。
俺は、どこまで話すか迷った。
だが、俺が口を開く前に、ハロルドが俺に聖剣を渡した。
「行くのか? 行くという表現が適切かはわからないが」
「――ああ。それでエクエスを貸してほしいんだ」
「わかった。粗方のことは聞いた。良い未来を期待する――後のことは任せろ。召喚解除がなされた場合には、ラクラスも保護するから、いつでも来てくれ」
「感謝する」
受け取った聖剣を一瞥してから、俺はハロルドに対して、大きく頷いた。
「ただし、俺の告白だけは、無かったことにはしないで欲しい」
「――ああ」
俺が頷いて苦笑すると、ハロルドが優しく微笑んだ。
彼のこの表情が、俺は好きみたいだった。
また、ラクラスを保護してくれるという暖かい言葉に、ホッとしていた。
こうして俺達は、父が没した病室へと向かった。
兄が始祖王だったとすれば、ユーリスが刺した相手はなんだったのかと疑問に思ったら、心臓を保護していた人形だとエクエスが教えてくれた。始祖王の一番目の召喚獣だったエクエスは、より多くのことを知っていたらしい。今は、一般的な馬と同じくらいの大きさになっている。
俺はエクエスに教えてもらい、床に時空魔術用の魔法円を描いていった。
それがひと段落したところで、エクエスが俺に言った。
「巻き戻しワードは?」
「うん?」
「前世から今世において用いた言葉だ。何度か耳にしているはずだ。最後のそれを耳にした時間の前後十分のポイントに戻ることを勧める。そして以後は、もう『戻った』のではなく、それのみが一本の道に変わる。そちらとは違うこちらの道筋は泡沫のように消えるが、我ら三体の召喚獣とその主――この場合は、お前とハロルドに、記憶が残存する」
その言葉に、俺は腕を組んだ。巻き戻しワードを発していたのはユーリスだ。
だが、一体どれが、巻き戻しワードだったのだろう。
「巻き戻しワードには、なにか特徴はないのか?」
「強い思いが込められていると言う特徴がある」
「具体的に」
「命をかけても良いほどの思いだ。さらにその言葉を放つのは、実際に死の場面に遭遇した時でなければならない。巻き戻る形式の転生において、言葉(ワード)によって記憶保持の維持を行う場合、最初の生で死ぬ間際に聞くことが多い。ただしその言葉は、一番初めには本心から、それ以前に聞いていたはずであり、今世でもその言葉は、自然の流れで魔法鍵の管理者が放つ状況になったはずだ」
「抽象的すぎてわからない――死ぬ間際……死ぬ間際――っ」
思案していた俺は、ハッとした。
今世で生まれ直した時から、二度目に聞くまでずっと頭にこびりついていた言葉がひとつあるではないか。
『たとえ行く先が地獄だとしても、誠心誠意を込めてお供いたします。たとえこの身を地獄の業火で焼かれようとも』
そして――始祖王のやりに倒れた時もユーリスは、『地獄の業火』と口にしていた。
俺はこの言葉だと確信していた。
失っていた前世の記憶の中に、ユーリスに大していつか己が笑った記憶がよぎった。
『俺と共に来るというのなら、地獄になど決して連れて行ってはやらない。俺は、明るい未来を想像する。例えばお前と二人で、お前が好きな薬草でも眺めて、のんびりとお茶をするような、ゆったりとした生活を保守してやる。いわゆるスローライフだな』
頭の中に響いた声と、それを聞いた時に、似合わないと言って笑っていたユーリスの顔の記憶に、俺はきつく手を握った。
「巻き戻しワードが分かった」
「そうか、ではそれを魔法円に古代文字でつづってくれ――……なるほど、その言葉で時間軸の痕跡をたどった限り、始祖王の古き体に聖剣が突き刺さった直後となっているから、十分前に戻るのなら、ちょうど良いだろう」
「ありがとう、エクエス。それにライネル、お前の主人は俺が今度こそ死なせない」
「お待ちしております」
「――ラクラス」
最後に俺はラクラスを見た。
「力が使えなくなり、召還獣としてお前を従えることができなくなっても」
「ああ」
「俺はお前を、大切な友だとずっと思い続ける。だから、俺のことは気にしないでくれ」
「――いやだ」
「ラクラス?」
「フェルのことを気にしないのは無理だ。フェルは俺の友でもない。フェルは、俺の全てだ――召喚関係なんか関係ない。戻ったその時には、もうお前の隣にいてやる」
ラクラスの声に俺は微笑した。
そして魔法円の中央に立ち、両手を組んだ。目を伏せる。
脳裏にエクエスから教わった呪文を思い浮かべて、俺はつぶやいた。
「地獄の業火」
すると、ハッとして俺は目を開けていた。周囲の空気が変わっていた。
「そう仰るような気がしてました」
ユーリスの声が響いてきた。その手のぬくもりが、聖剣を握っている俺の右手にある。それだけで泣きそうになったが、慌てて俺は一人首を振り、聖剣を握りなおした。俺から聖剣を奪おうとしているユーリスが、目を瞠ったのがわかった。
「いいや、良い、俺がやる」
「殿下……」
非常に剣が重く感じた。理由が分かる。もう俺には――なんの力もないから、聖剣が放っている気配だけで、倒れそうになっているのだ。しかし、剣技は俺が体で身につけたものだから、忘れてはいない。
一度唾を飲み込んでから、俺はしっかりと立ち直して、前へと出た。
振り返ると、ライネルと目があった。ゆっくりとだが、大きく頷かれた。
ラクラスの姿を探したが、つい先程「戻った時には隣にいる」と言っていたくせに、どこにもいない。やはり気まぐれだな、なんて、場違いにも思ってしまった。
「ユーリス」
「はい」
「俺はお前を信用してる」
「――光栄ですね。そんなことを言われる日が来るなんて」
「この聖剣を俺がふるったあと、呪いの槍が来たら、俺を助けてくれるか?」
「?」
「どうやら始祖王を殺すと、人々から忘れられるらしいんだが、その呪いは、槍で刺されると発動するらしい。それ以上は、何も聞かないでくれ」
「――わかりました」
「ただしひとつだけ命令がある」
「なんなりと」
「絶対に死ぬな。俺をかばって死ぬことも、俺の代わりに何かをして死ぬことも許さない。この場において、これ以上の命令は存在しない。いいな?」
「……」
「返事をしろ。安心しろ、俺にも死ぬ気はない。俺は死なない」
「――御意」
そんなやりとりをしてから、俺は寝台に歩み寄った。
そして剣を振り上げて、まっすぐに心臓を突き刺した。
始祖王の古き体は起き上がって俺を槍で突き刺そうとしたが、腕ごとそれは、ユーリスが切り捨てたため、槍は天井に突き刺さっただけだった。
あっけない終わりだ。だが安堵でいっぱいになり、俺はその後座り込んだ。
しかしユーリスが、「誰かに見られてはまずい、すぐに離れましょう」と言って、俺を強引に立たせたから、ユーリスが生きているという感動に浸る時間は少なかった。
――離れの塔が燃えているという知らせが来たのは、その直後である。
回廊を走りながら、俺はその知らせを耳にした。
ラクラスがやってきたのは、その時のことである。
「安心しろ、無事に始祖王は燃え尽きた」
今度こそ全身から力が抜けて、俺は倒れそうになった。
そうか、ラクラスはそちらの対処をしてくれていたのか。
一緒にやってきたエクエスが、ユーリスに手紙を渡した。
不思議そうに受け取ったユーリスは息を呑み、それから俺を見た。
「――国王陛下を殺害したウィズ殿下が自害なさった、と、のちの歴史書に記載するべく、準備をしてきます。もう何もご心配なさらないでください。フェル殿下を投獄させるようなことは決してありません」
ユーリスはそう言うと走っていった。相変わらず、頭が回るやつである。
ともだちにシェアしよう!