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18.Silent night-きよしこの夜-②
「―― い、いいなあ」
吹雪がひっそりと図書室を後にすると、関屋は絞り出すように声を上げた。
「ほら、私、で…… でかい、から、モテないし、全然…… 可愛くもないし…… クラスの人たちのそういう話もあんまり興味持てなくて」
「関屋は大人っぽいからなあ」
冬真が本棚に本を戻す後ろで、関屋はわずかに頬を染めた。
「―― っそ、そう、ですか……」
本を整理しながら言う背中に、冬真は「うん」と頷く。
「でも自分のことそういうふうに言うのはやめな」
「あ…… ごめんなさ……」
「そういうこと言ってると、そういうふうに扱う人間が周りに集まってくるから。関屋は関屋のこと大事にしてくれる人を大事にしな。―― よし、今日はもう終わり」
冬真は立ち上がって伸びをすると、時計を見てパンと手を打った。その後タイミングよく戻ってきた図書委員の生徒たちと一緒に帰り支度をして関屋は玄関に向かった。
「関屋ちゃん、どうかした?」
「えっ」
同級生の女子にふいに尋ねられ、関屋は肩を跳ねさせた。「なんか顔暗いから」と指摘され、誤魔化すこともできず、関屋は
「失恋しちゃって」
とこぼした。するとついさっきまで一緒に作業をしていた同じ図書委員の男子から「え」と驚き交じりの声が上がる。彼は嬉々とした表情で隣の男子を指さし言った。
「こいつ関屋さんのこと好きなんだよ」
「わーっなんで言うんだよバカ!」
生徒玄関から大きな声が聞こえてきて、吹雪は教務室の窓から玄関の方を覗いた。冬真の仕事も区切りがつく頃かもしれない。吹雪の方もそろそろ区切りがついて―― というかもうとっくに区切りがついてしまっている。
「あれ、白峰先生まだ帰ってなかったんですか?」
「…… 帰ります…… 帰りたいです……」
「帰ればいいじゃないですか」
終わったんでしょと首を傾げる三宅の前で、吹雪はのろのろと帰り支度を始めた。
あらかた片付いた図書室を後にした冬真は、職員玄関の隅にたたずむ吹雪を目にして足を止めた。
「白峰先生?」
声をかけると、冬真とさして変わらない大きさの背がびくりとすくむ。
「何してたんです、こんなところで」
まるで人目を忍ぶような素振りに対して言えば、吹雪は気まずそうに煙草の火を消した。敷地内はすべて禁煙ではあるが、隠れて吸う教員も何人かいるので彼だけ特別にとがめることはしない。
「…… 高橋先生を待っていました」
「ああ……」
「車、乗らせていただいてもいいですか」
吹雪に言われて、冬真は車の鍵を開ける。どうぞ、と促すと吹雪はすみません、と断って乗り込む。
「…… どこか、人気のない、せめて知り合いのいなさそうなところに行きませんか」
車を出すべきか悩んでいるとそう言われ、冬真は言われるがまま車を出した。
(そりゃそうか、こんな話…… というか)
今日、これから、自分は失恋するかもしれないのだ。
昴を好きになって、彼が自分以外の誰かとそういう仲になっていくのを何度も見ているから、そんなことはとっくに慣れていると思っていた。それなのにどういうわけか、今、これから、この胸に募る想いを告げて、吹雪がどんな反応を返すのかわからないのが、儚く砕け散るのが、めちゃくちゃ怖い。
(多分、近づきたかったんだと思う)
あの、卑怯にも純粋な男に。
「あっ」
しばらく車を走らせると、吹雪が助手席で声を上げた。
「すみません。俺、USB教務室のPCに差しっぱなしだ……」
「ああ…… いやいいですよ、明日の朝で」
体をこわばらせていたところへそんな話をされ、冬真は答えた後長く息を吐いた。このまま運転していては事故に遭いそうだ。冬真は脇道に逸れると小さな公園に入っていった。駐車し終えるのを待たずして、吹雪が口を開く。
「すみません、お時間取っていただいて」
「え?」
妙なことで謝られて、冬真は首をひねる。今日誘ったのは冬真で、話を聞いてもらうのも冬真のはずだ。
「…… もう、迷惑はかけませんから。自分のことは自分で気をつけますし、ご心配いただくなても」
「―― そうですか」
冬真は呟いた。
「正直、告白する前にフラれるとは思っていませんでしたが」
「え?」
面と向かってフラれた経験に乏しいためどう反応すればいいのかわからず、つい本音をこぼすと横から疑問符付きの声が上がる。
「誰がですか?」
「俺……」
「フラれるって誰に?」
「白峰先生……」
不思議そうな顔で問われ、冬真は吹雪に人差し指を向ける。彼はいまいち飲み込めないという顔で首を傾げる。
「え…… 逆じゃ、ないですか? 高橋先生が俺を……」
「いや違いますけど」
きっぱり否定すると吹雪は混乱したように頭を押さえた。
「や、だって…… そう、千世ちゃんが……」
「千世とは別れました」
どうにか口にした言葉に、冬真がはっきりとした態度で答える。
「…… 元々、恋愛感情で付き合い始めたわけではなくて、お互いに好きな人ができたら別れる約束だったんです」
「で、でも――」
「俺は」
いまだ事実を受け止め切れていない様子の吹雪に、冬真は痺れを切らしたように言った。
「俺は今日、あなたに好きっていうつもりだったんですけど」
吹雪は黙ってしまった。何も言わない吹雪の横で、冬真はハンドルに腕を乗せ車の外の景色に目をやった。地面には薄く雪が積もっていて、年を越す頃にもなれば花壇もこの駐車場もすっかり雪に埋まってしまうだろうと思われた。
「…… そ」
何十秒かの沈黙の後、吹雪は
「そんな素振り、見せなかったじゃないですか、ずっと……」
と、戸惑いを表に出して言った。
「…… ある人には、わかりやすかったようですけど」
「知りません、そんなの」
吹雪の態度はいつになく頑なだ。こんな見た目だから経験も多いだろうと思っていたが、特にそういうわけではないのかもしれない。
「…… 最初が最初だったので、そんなふうに思われても仕方ないですが。―― 俺が、好きでもない相手の介抱して、家に上げて、酔ってたとはいえ続けて三回もああいう誘いに簡単に乗るって、本気で思うんですか?」
「さそ……」
寒さのせいかさっきまで赤らんでいた吹雪の顔が、一転して青くなる。首を傾げる冬真の前で吹雪が恐る恐る口を開く。
「―― すみません、その、その時のことに関しては、えっと、酔うと記憶が飛びやすい質で、あの……」
「まさか覚えてないんですか」
「う……」
「全然? 途中からとかではなく?」
「いやあの…… はい……」
思いがけない暴露に冬真が思わず腰を上げると、吹雪が後ろめたそうに目を泳がせる。
「ひとつも?」
助手席のシートに手を置かれ、吹雪は身を竦ませた。身を引いた瞬間、窓ガラスに側頭部が軽くぶつかる。
「えー…… と、いや、部分的には、覚えてないこともない、かもとは……」
「どっち?」
冬真の手が吹雪の服の合わせ目に伸びる。
「―― っ、せん……」
ボタンが外される、と思った瞬間、冬真の手が止まる。
「…… 近づいてたいんだと思います、多分……」
まだ少し迷っているような、すがるような声と顔に、吹雪は思わず手を伸ばした。気づけば唇を重ねていた。ゆっくり離すと、今度は向こうから重ねられる。奪うように激しく、それでいてどこか優しく。例えるなら、そう。
―― 愛おしむように。
「あっ冬真先生だ」「白峰先生もいるー!」
冬真と吹雪が駅から少し離れたラーメン店に入ると、目ざとく気づいた生徒たちが声を上げた。
なんでなんで、と寄ってくる生徒たちに冬真が渋面を作りながら「入る店間違えた」と呟く。
「なんでふたり一緒なの?」「冬真先生と白峰先生仲良いの?」と次々質問を浴びせてくる生徒たちに、冬真は「先生には先生同士の付き合いがあんの」とあしらう。
「冬真先生、奥のカウンター席空いてます」
吹雪が空いた席を指さしながら言って、冬真は彼をじっと見つめた。
「別の席にしますか?」
「いえ別に…… いいですけど」
カウンター席に座りながら冬真はテーブル席の生徒たちに目をやった。主に二年の生徒たちで構成させているようだ。
「なんでお前ら、こんなとこまで来てんの」
「駅近くのお好み焼き屋が三年に占拠されてたから」
冬真の問いかけに代表して真島が答える。
「冬真先生こそなんでこんなとこ来てんの」
「俺らはたまたま……」
「冬真先生、注文どうされます?」
言いよどむ冬真へ吹雪が尋ねた。助け舟のつもりだろうか。ふたりがそれぞれ注文すると、真島が再び口を開く。
「ていうか白峰先生、冬真先生のこと名前で呼んでるんだ」
意外、と言う彼の目の前にちょうどラーメンがやってくる。吹雪に視線を移すと、困惑したような様子の彼と目が合う。
「…… 言って、ました?」
「この店入ったときからずっと言ってますよ」
教えてやれば、吹雪は「えっ」と驚いたように口元に手をあてる。
「―― は…… 恥ずかしい……」
「は?」
今までしてきたことを思えば、いったい何が恥ずかしいというのか。吹雪の恥じらいのツボがわからず声を上げると、吹雪は言った。
「今までも何度か出そうになってたんですよ。生徒たちみんなそう呼ぶし」
「別に…… いいんじゃないですか?」
去年まで同じ名字の教員がいたために定着した呼び名であるし、何も問題はないと思い言うと、吹雪が「例えばですよ」と言いながら声をひそめた。
「今後、職場とそれ以外で別の呼び方をするようになった時に、それ以外の方の呼び方がぽろっと出る可能性があるということです」
「…… 何か別の呼び方をしてくれるんですか?」
例え話に驚いて聞けば、吹雪は眉間に皺を寄せる。
「そういう話ではないです。現状維持における危機管理の話で、きちんと対策を―― 先生?」
吹雪の顔をじっと見つめて、聞いているのかいないのかわからない様子の冬真に吹雪は尋ねる。
「俺の話聞いてます?」
「白峰先生って横顔が綺麗ですよね」
「聞いてないんですね」
吹雪は呆れたように言いながら水を飲んだ。それを見ながら冬真は口を開く。
「まあ、あと一年で俺たちどっちも異動じゃないですか」
「一年かあ……」
長いなあ、と吹雪は騒がしい店内でため息を吐いて、冬真は思わず笑みを漏らす。
(本当は怖かったんだ)
前に進んだら、今まで歩いてきた道がすっかり消え失せてしまう気がして、本当はずっと怖かった。そういう苦しみの中にいるのは自分だけじゃないと、心から思えて安心できたのはきっと、この男のおかげだ。
通りすぎた過去も、この胸にのこる記憶も、思い出も、彼のため息ひとつさえ。そういう、大きなものから小さなものまで全部。
(―― 全部)
愛情、と。そう、呼ぶのだろう。
―― 第二部『リトル・リトル・スノウ』終
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