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17.Silent night-きよしこの夜-①

 え、と吹雪は教務室で思わず声を上げた。 「うちで一番若いの白峰先生だし、希望者がこのまま出なかったら白峰先生に…… って言いませんでしたっけ、俺」 「今初めて聞きました」  三宅の言葉に抗議の視線を向けるが、あまり効いていない。 「火傷まだ辛いですか?」 「いや……」  火傷自体ごく軽いものだったため数日も経てば痛みも引いたが。問題はそこじゃないのだ。 「試合つっても優勝チームとのエキシビジョンマッチだけだし、白峰先生、体育祭のリレーも走れてたから大丈夫でしょ」 「いや本当…… 球技は苦手で……」 「大丈夫大丈夫」  能天気に言いながら三宅は授業の準備に行ってしまった。この寒いのに半袖半ズボンのジャージ姿で、見ているだけで寒そうに感じる。…… 苦手だ。 「苦手だ……」  思わず声にすると、誰かがふっと笑う声がする。 「苦手って、球技ですか、それとも――」 「両方です」  冬真にしか聞こえない声量で返せば、彼はくつくつと笑った。 「まああいつら…… 生徒たちはみんな、教師が出てくると喜びますから。―― 手は治ったんですよね?」  体育祭の一件から、冬真は吹雪の見た目に関することを言わなくなった。今思えばそんなこと、言われ慣れているはずなのにあの時はどうしてかいらいらしてしまっていた。  吹雪は冬真の問いかけに、ええ、まあと頷きながら左手を掲げた。 「もうずいぶん赤みも引いたし」 「本当だ」  言いつつ掲げた手をつかまれて、吹雪は固まる。 「というか手冷たすぎませんか?」 「そ―― そうですかね」  手はすぐに離されたが、突然触れられたことからくる動揺が収まらない。それ以上の触れ合いを幾度となくしているはずなのに。…… ひょっとして、はっきりと口に出したことで意識が増しでもしたのだろうか。 だとしたら単純すぎる。恋愛には向いていない。  そんなことを考えていると、こちらを見つめる冬真と目が合う。 「…… あの」  冬真が何か言いかけた瞬間、始業を知らせるチャイムが鳴り響く。 「あ―― 俺、授業行かないと」 「あっ、俺も」  ふたりは弾かれたように、それぞれ動き出した。  球技大会は大体育館と小体育館を使い、試合はトーナメント制で順に消化されていく。最後まで勝ち抜いたクラスがエキシビジョンマッチという名目で教師チームと戦うことになる。審判も得点も生徒だけでこなしていくので教師の仕事はほとんどなく―― というか、吹雪は吹雪で年末や学期末にかかわる別の雑務に追われているので試合などほとんど見ている暇がない。  冬真も図書館の整理だとかで、ずっと教務室にも体育館にもいない。今日は朝の開会式で見たきりだななどと思っていると噂をすれば、冬真が教務室に姿を現した。とはいえ、お互い別の業務に追われているため話したりなどはしない。 (―― あ)  吹雪はふと気づいて作業の手を止めた。資料が足りない。教務室にはない資料だ。 「白峰先生」  取りに行く必要があるなと思い教務室を出て廊下を進む途中、ふいに呼び止められる。はい、と返事をして振り返ると、冬真があの、と口を開く。 「今日ってその、お時間ありますか」 「今ですか? 今は急ぎの作業が立て込んでて、他のことをする余裕が……」 「いや、そうじゃなくて」  新たな仕事を任せられるかと思い言えば否定される。 「そうじゃなくて…… 仕事の後に、どこかで食事でもと」 「ああ…… 何先生がいらっしゃいます? ほら、三宅先生ってお酒強いけど酔うとすごい長いじゃないですか」  自分のことを棚に上げて言うと「いえ、二人だけで」と続けられて、吹雪は目を見開く。 「お酒もなしで、話したいこともあるので―― というか、白峰先生もわかっていらっしゃるでしょうし、先生が聞きたくないというのであれば、来なくて大丈夫です。俺は車で待っているので」  冬真はそう言うと、吹雪の返事も聞かず歩いていってしまった。  勝ち進んだのは意外にも二年の文系クラスだった。高校生にもなれば二年と三年の差はそこまでないのかもしれない。  バスケとは言っても、本来の試合のように四クオーター丸々やるわけではなく、かなり短縮された時間でやる。…… とはいえ、高校を卒業して以来ほとんど運動をしていない体には堪える。 (高校生めちゃくちゃ動くじゃん……)  正直自分がこうだった記憶も自信もない。回ってきたボールを相手チームに渡さないようにするので精一杯だ。それでも少しプレイすると感覚をつかめてきて、パスも通りゴールも入るようになる。同じチームの教員たちや観戦している生徒たちにも褒められて、まあ、悪い気はしない。 (いや、ていうか俺、)  バスケ、そんなに苦手でもないかもしれない。 「球技苦手って嘘じゃないですか」  試合の後、文句のように三宅が言ってきて、吹雪は気まずそうに目を逸らした。 「自分では苦手と思っていたんですが。…… 学生の時、体育で先生にできないことを怒られて以来自分はこの先の人生を球技が苦手なまま生きていくのだと思っていました」 「そんなに深刻にとらえていたとは。―― ていうかそれはその先生がおかしいですよ」 「そうですか?」  体育教師など皆こんなものだと思い言えば、三宅はそうですよ、と口にした。 「その先生に抗議をしたいです。そんなことで子どもの育成を……」  誰だかわからない相手に文句を言い出した三宅に、吹雪は面食らってしまった。  冬真は試合が終わるとすぐに図書室へ戻った。吹雪も残った業務を片付けないといけない。この後は冬真に誘われているし、遅れるわけにはいかない。  ―― いかないんだが。  吹雪は先刻のやりとりを思い出して頭を抱えた。 『白峰先生もわかっていらっしゃるでしょうし』 (全然、まったく、本当に心当たりがない)  温泉の時のことか? また何か失態を犯したのか? いや犯したといえば犯したが、でももう四か月も前のことだ。冬真は優しいから、言うに言えなくて四か月が経ってしまったのだろうか。  …… それとも、千世のこと? もうこの関係は終わりとか―― そもそも、名前のつく関係ではないし、無理矢理名前をつけるとしたら同僚だけど、普通同僚とはあんなことをしない。 (セフレですら、ないもんな……)  もう一度失恋しなきゃならないなんて嫌すぎる。 「白峰先生? どう…… ああ、その資料」  無意識にため息を吐くとそれに気がついた女性教員が声をかけてきてくれる。 「去年のデータ引っ張ってきて差し替えた方が楽ですよ。確か高橋先生が持ってます」 「…………」  仕方ない。  吹雪は立ち上がった。仕事を早く終わらせるためだしと図書室の前まで来てふと、いや待て、と思い至る。さっさと仕事を終わらせたら、それだけ冬真にフラれるのが早まるのでは? いやどっちみちフラれるのだから先延ばしにしたところで無駄だが。 「―― あっ」  入り口でまごまごしているのが悪かった。女子生徒が出てきて、吹雪と目が合う。 「あ、えーっと高橋先生、は……」 「あ、中にいらっしゃいます」  やや挙動不審ぎみに聞けばそう返され、彼女は冬真を呼んできてくれる。吹雪が冬真に用件を伝えると、彼はすぐに「ああ」と口にした。 「USBに入ってます。準備室入ってすぐのPCに差さってるんで持ってってください」  言葉に甘えて吹雪は遠慮なく持っていくことにする。図書準備室には冬真が言っていた通り入ってすぐのところにUSBの差さったPCがある。他にUSBの差さったPCはなく、冬真がいつも使っているペンケースが置いてあるので間違いないだろう。吹雪は手を伸ばしUSBを抜いた。  机に置かれたキャップをはめて持ち出そうとした時、寒さでかじかんだ手がうまく動かずキャップを床に落とした。キャップは図書室のカウンターへ繋がっている方のドアを越えて、カウンター下へもぐりこんでしまう。 「―― うわ、もう六時か。関屋、電車とかバスの時間平気?」 「あ…… はい、平気、です」  カウンターの向こうから聞こえる会話を聞いて吹雪は思い出す。以前、背が高いことでからかわれていた女子だ。 「他の奴らが戻ってきた時にも言うけど、六時半過ぎる前に一旦皆下校な」 「はい…… あ、そしたら私、もう少し本棚の上の方やっていきます。皆が届かないところ……」 「いいよ。後もうちょっとだから、俺がやってく」  二人とも吹雪には気づかない。吹雪は吹雪で、キャップが黒いため暗いカウンター下でなかなか見つからない。 「あの、先生」  ふと関屋がためらいがちに言った。 「ん?」 「あの……」 「うん」  変わった空気に、吹雪は思わず手を止めた。 「…… 大した話じゃないんですけど、あの…… 先生って、クリスマス、どうするのかなって…… あ、皆が話してて、私も気になって、先生彼女いるのかなとか………… ごめんなさい……」  謝罪した彼女に、冬真は「別に謝られることじゃないけど」と口にする。 「―― まあ、特にこれといって予定はないし彼女もいないけど。…… でも、一緒に過ごしたいと思ってる人はいるよ」  それ以上聞きたくなくて、吹雪は図書室を後にした。 (あたりまえだ)  吹雪はそう思いながら、キャップがないままのUSBを握りしめた。

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