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16.wintry sky②
テストの準備やらそれに関する雑務で少し遅くなってしまった。駅のホームには時間帯のせいもあってあまり人気がない。しばらく待っているとホームに電車が滑り込んでくる。吹雪はボタンを押してドアを開け、車内に乗り込んで中を見回した。が、人はまばらで空席を探すまでもない。しかしなるべく他人が視界に入らない席にと思いながら電車内を歩いてふと、ボックス席に知った姿を見つける。向こうもすぐに吹雪に気づいて、少し戸惑うような素振りを見せたのち、久しぶり、と声をかけた。
「君が電車乗ってるの珍しいね」
と吹雪が問うと、北斗は「休みなんだ」と短く答えた。吹雪は通路を挟んで北斗の隣に座った。
「手、どうしたの」
「ああ、これ……」
通路側に置いた手に対して言われ、吹雪はとっさに反対の手で押さえた。
「学校のストーブでちょっと火傷しちゃって……」
正直に告げると北斗は驚きつつも「ストーブって」と呆れたような声を出した。
「…… 君って本当、時々ぼんやりしてるよね」
「えっ、そ、そう……?」
北斗の言葉に、吹雪は先ほど冬真に言われたことを思い出す。
「俺、自分ではしっかりしてる方だと思ってたんだけど」
家事も一通りこなせるし料理も得意で、なんなら学生時代は佳澄に代わってあの家の家事のほとんどすべてを担っていたくらいだ。
「器用ではあるけど、何か…… 心がどこか別のところにあるみたいな時はあるよね」
耳が痛い。北斗の寂しそうな顔は何度も見たし、過去に一度だけ交際した女性にはまさにそんなことを言われた。
「…… ごめん」
「謝られることじゃないよ。…… 寂しかったけど」
迷うように付け足された言葉は吹雪を責めるようではなかった。北斗の視線は窓の方に向けられていて、直接目は合わないが彼の顔が窓に映っているのが見える。
北斗、とかろうじて聞こえるくらいの声で呼びかけると、同じくらいの声量で何、と返ってくる。
「俺、今好きな人がいる」
長い沈黙の後、北斗が小声で「そう」と口に出すのが聞こえた。
「ごめん……」
「だからなんで謝るの」
北斗が言うが、彼の顔はすっかりうつむいてしまっていてよくわからない。
「僕だってとっくに彼氏がいるし…… 別に、いいでしょ」
今度は吹雪が黙って、代わりのように北斗が口を開く。
「もしかして温泉の時にいた人? 同じ職場だっていう…… 付き合ってるの?」
吹雪は答えない。というか、下を向いて何事か苦悩している様子に北斗は怪訝な顔をする。
「あの……」
しばらくすると吹雪はおずおずと口を開いた。
「もう何回か、部屋に泊まらせてもらっていて、その……」
口ごもる吹雪に北斗は不思議そうに首を傾げていたが数秒ののちにはっと気づいて吹雪を見る。
「君……!」
思わず大声を上げかけて、通路を歩いてくる乗客の姿に我に返って声量を落とす。
「…… 君の貞操観念ってどうなってるの……?」
「はい……」
「いやはいじゃなくて」
口に出してしまったことで事態をあらためて受け止めているのか、吹雪はすっかりうなだれてしまっている。
過去、自分に想いを寄せているとわかっている人間と同じベッドで寝られるのもそうだが、学生時代にしたって自分の見目がいいのをわかっているのかいないのか、よくそこらへんで眠ったりして隠し撮りなんかされ放題だった。
そんなことを思い出していると吹雪がまたしても「ごめん」と口にした。
「今度は何」
「もう会わないって決めてたのに、結局こんなふうにあって、よりによって恋愛相談なんかしてる」
「…………」
北斗は視線を窓の外に戻した。
「会ったのは偶然だし、何勝手に会わないとか決めてるの」
「…… 君と、付き合ってる彼に悪いと思って」
「僕が君と会ってどう思うかは僕の心が決めることだし、昴くんはそんなことでどうこう言う人じゃない」
それに、と北斗は窓の外に視線を送ったまま言う。
「僕は君に会いたかった」
次の駅を知らせるアナウンスが聞こえる。間もなく甲高いブレーキ音とともに電車が止まる。
「…… せめて月に一度くらいは連絡して。うちの母も君がどうしてるか心配してるし。…… あと」
北斗は立ち上がって隣を振り返った。そうして初めて、北斗と吹雪は正面から目が合った。
「―― 愛想つかされないようにがんばりなよ。君意外とだらしないところがあるから」
「…………、北斗の部屋よりは、だらしなくない」
「うるさいな」
じゃあね、と言って北斗は電車を降りていった。吹雪はその後ろ姿を見ていたが、電車が動き出したために彼の姿は見えなくなる。自身が降りる駅はまだしばらく先だ。吹雪は目を閉じた。
『どうしてそんなに無防備なんですか?』
『ただの同僚だよ』
目蓋の裏によみがえってくるのは、北斗の顔ではなかった。体の中心に空いた穴に触れる熱も、体の先端がじわりと痺れるような感覚も、いったいそれがいつからなのかわからない。
窓の中心にはらりと雪が一片、張り付いた。ここへ来てから何度目かの冬は、吹雪の知るどの冬とも違っていた。
(君も、こんな気持ちだったの)
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