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第5話 花のような(7/9)
レイの部屋の鍵穴に、鍵を押込む。
鍵は昼にレイから預かった。何だかずっと昔の頃を思い出す。
俺達は、俺が彼女と同棲を始めるまで、しばらくお互いの家の鍵を持っていた。
「入るぞ」と声をかけて、戸を開ける。
「おー。遅かったな、お疲れさん」
いつものヘラッとした気の抜けた声が聞こえて、俺はホッとする。
パタパタと聞こえる足音に、
「わざわざ出て来なくていい。休んでおけ」
と告げながら、丸いテーブルの上に買い込んだ食料……と言っても、屋台のすぐ食べられるようなものばかりだが、それを並べていると、レイがひょいと顔を出す。
「えー? ずっと寝てんのも――…………」
不自然に途絶えた言葉に、俺は顔を上げる。
視線は、まだ俺の腕にぶら下がったままの花束へと注がれていた。
レイの顔が、一瞬で真っ赤に染まる。
何かに狼狽えるように、ふらふらと視線を泳がせ、それからまた花束を見て、それから俺を見……。いや、見ないな。俺の目を見ようとはしているものの、その度、直前で視線を逸らすレイと俺は、目が合わない。
「……何をしてるんだお前は。あまり挙動不審な事をするな」
手早くテーブルの上に食べ物を出してから、レイに近付く。
と、レイが一歩後退る。
「おい、下がるんじゃない」
「……っ、だっ……て……」
俺はレイが揺れる青い瞳で見つめ続けている花束を手に取る。
花束は、中心に可憐な青い花が三種ほどまとめられており、その周囲をひらひらと波打つ華やかな黄色い花々が五〜六種ほど彩っている。
それを括っているのは、鮮やかな赤いリボン。
レイは今髪を解いていたが、この花束が何を示しているのかは、見れば分かったのだろう。
流石にレイをよく知っている叔母さんが作っただけあって、この花束はレイのイメージにぴったりだった。
俺の顔ほどの大きさの花束は、城に届いていた花に比べれば微々たる物だが、それでもそれなりの値がするだろうと思う。
俺は叔母さんの気持ちに、もう一度深く感謝を捧げてから、それをレイヘ差し出した。
「これは俺の、詫びの気持ちだ」
「詫び……」
レイが、どこか落胆したような空気を纏う。
「怪我をさせて、悪かったな」
俺の言葉に、レイは花束を受け取りながら、小さく苦笑する。
その苦笑は、なぜか痛々しく見えた。
「お前の気にする事じゃねぇって……」
花を見つめるレイに、俺は誠心誠意、心を込めて、伝える。
「本当は、昨日のうちにお前に伝えようと思ってたんだ。だが、言いそびれてしまってな」
「うん?」
レイが、ぼんやりと顔を上げる。
「俺はお前に愛してもらって、とても嬉しい。俺を好きだと思う事を、お前が恥じたり申し訳なく思う必要は、どこにもない」
「………………へ……?」
間抜けな声を漏らしたレイの顔が、さっきよりもさらに赤らむ。
「な、ちょ、何、急に……!?」
「……また、読みが甘いと言われてしまうかも知れないが。俺には、お前がそれを気にしているように思えてな」
なるべく優しく微笑む。レイが安心できるように。
「……っっ」
レイが俺を見上げている。その大きな青い瞳が、長い金のまつ毛に囲われた青い瞳が、見る間に涙の海に沈む。
「……ルス……っ」
名を呼ばれて、俺はレイをそっと抱き締める。背の傷に響かぬように。
レイは花束を握ったまま、俺の背に腕を回してきた。
よしよし……と肩を撫でる。
レイは相変わらず花のような匂いがした。
何だか昨日から、俺はレイを泣かせてばかりだな。
「その花束は、叔母さんからの俺達への応援の気持ちだそうだ」
「……っ」
レイが小さく息を詰める。
べしょべしょに泣きながら、俺の肩に顔を押し付けたまま、レイはくぐもる泣き声で呟いた。
「何だよそれ……すげぇ嬉しいんだけど……」
「俺も、とても嬉しかったよ……」
レイは俺の肩口で、尚もびぇぇと情けなく泣いていた。
***
やっと泣き止んだレイと夕食を済ませて、コップを洗い終えた俺は、椅子に掛けテーブルに飾った花をまだニマニマ眺めているレイの背に回った。
「背を見てもいいか?」
俺の問いにレイは素直に服を捲り上げる。
背中のど真ん中より少し上。
背骨に沿ってできた痣は、赤黒い色になっていた。
「……腫れは引いてきたな。これならもう二、三日もあれば動けるようになりそうか」
「おーよ」
レイの、やたらと気安い返事が何だか少し引っかかる。
「ゆっくり背を曲げ伸ばしてみろ。痛むところはないか?」
「ヘーキヘーキ……」
言われたレイが笑顔を浮かべて背を曲げる。じわりと背を逸らそうとして、一瞬息を詰めた。
「っ」
じとっと半眼で見れば、レイは首を傾げて笑ってみせる。
いや、誤魔化すんじゃない。
「今、痛いところがあっただろう」
「ゔっ……」
レイが観念したように呻く。
「……なんでそゆとこばっか気付くんだよ。俺の気持ちには全っ然気付かなかった癖に……」
ぶつぶつと文句を言われて、俺は少し申し訳なく苦笑した。
傷の手当てをして俺が立ち上がると、レイが慌てて俺の手を握ってきた。
「……帰るのか?」
そんなに寂しそうにするな。昨日の今日じゃないか。
「ああ」
「泊まってけよ……」
青い瞳にじっと縋られて、俺は逡巡する。
俺の手を離すまいと握り締めるレイの手が、熱い。
「しかし……」
「俺と一緒に寝るのは……嫌か?」
傷付いたように目を伏せられると、心が痛む。
「そうではないが、お前を見ていると……、その……平常心ではいられんのだ」
「ルスも、ドキドキしてんの?」
喜びを隠しきれていないレイが、弾む声で尋ねる。
「ああ」
と頷けば、レイは確かめるように俺の背に耳をつけた。
「……っ!」
嬉しげに瞳を輝かせたレイが、俺の背からぴょこんと頭を離す。
どうやら、二日酔いはすっかり治ったようだな。
「分かったなら、もう離してくれ」
俺が言えば、レイは慌てて両手で俺の腕を掴む。
「だからそれ、俺が手伝うからさ」
「いや、お前は安静に……」
「手だけでいいから、手伝わせてくれよっ!!」
必死に懇願されて、俺は困惑する。
「……お前が、そこまで言うなら、断る理由もないが……」
そうして、俺達はまた同じベッドに入った。
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