26 / 55

第5話 花のような(7/9)

レイの部屋の鍵穴に、鍵を押込む。 鍵は昼にレイから預かった。何だかずっと昔の頃を思い出す。 俺達は、俺が彼女と同棲を始めるまで、しばらくお互いの家の鍵を持っていた。 「入るぞ」と声をかけて、戸を開ける。 「おー。遅かったな、お疲れさん」 いつものヘラッとした気の抜けた声が聞こえて、俺はホッとする。 パタパタと聞こえる足音に、 「わざわざ出て来なくていい。休んでおけ」 と告げながら、丸いテーブルの上に買い込んだ食料……と言っても、屋台のすぐ食べられるようなものばかりだが、それを並べていると、レイがひょいと顔を出す。 「えー? ずっと寝てんのも――…………」 不自然に途絶えた言葉に、俺は顔を上げる。 視線は、まだ俺の腕にぶら下がったままの花束へと注がれていた。 レイの顔が、一瞬で真っ赤に染まる。 何かに狼狽えるように、ふらふらと視線を泳がせ、それからまた花束を見て、それから俺を見……。いや、見ないな。俺の目を見ようとはしているものの、その度、直前で視線を逸らすレイと俺は、目が合わない。 「……何をしてるんだお前は。あまり挙動不審な事をするな」 手早くテーブルの上に食べ物を出してから、レイに近付く。 と、レイが一歩後退る。 「おい、下がるんじゃない」 「……っ、だっ……て……」 俺はレイが揺れる青い瞳で見つめ続けている花束を手に取る。 花束は、中心に可憐な青い花が三種ほどまとめられており、その周囲をひらひらと波打つ華やかな黄色い花々が五〜六種ほど彩っている。 それを括っているのは、鮮やかな赤いリボン。 レイは今髪を解いていたが、この花束が何を示しているのかは、見れば分かったのだろう。 流石にレイをよく知っている叔母さんが作っただけあって、この花束はレイのイメージにぴったりだった。 俺の顔ほどの大きさの花束は、城に届いていた花に比べれば微々たる物だが、それでもそれなりの値がするだろうと思う。 俺は叔母さんの気持ちに、もう一度深く感謝を捧げてから、それをレイヘ差し出した。 「これは俺の、詫びの気持ちだ」 「詫び……」 レイが、どこか落胆したような空気を纏う。 「怪我をさせて、悪かったな」 俺の言葉に、レイは花束を受け取りながら、小さく苦笑する。 その苦笑は、なぜか痛々しく見えた。 「お前の気にする事じゃねぇって……」 花を見つめるレイに、俺は誠心誠意、心を込めて、伝える。 「本当は、昨日のうちにお前に伝えようと思ってたんだ。だが、言いそびれてしまってな」 「うん?」 レイが、ぼんやりと顔を上げる。 「俺はお前に愛してもらって、とても嬉しい。俺を好きだと思う事を、お前が恥じたり申し訳なく思う必要は、どこにもない」 「………………へ……?」 間抜けな声を漏らしたレイの顔が、さっきよりもさらに赤らむ。 「な、ちょ、何、急に……!?」 「……また、読みが甘いと言われてしまうかも知れないが。俺には、お前がそれを気にしているように思えてな」 なるべく優しく微笑む。レイが安心できるように。 「……っっ」 レイが俺を見上げている。その大きな青い瞳が、長い金のまつ毛に囲われた青い瞳が、見る間に涙の海に沈む。 「……ルス……っ」 名を呼ばれて、俺はレイをそっと抱き締める。背の傷に響かぬように。 レイは花束を握ったまま、俺の背に腕を回してきた。 よしよし……と肩を撫でる。 レイは相変わらず花のような匂いがした。 何だか昨日から、俺はレイを泣かせてばかりだな。 「その花束は、叔母さんからの俺達への応援の気持ちだそうだ」 「……っ」 レイが小さく息を詰める。 べしょべしょに泣きながら、俺の肩に顔を押し付けたまま、レイはくぐもる泣き声で呟いた。 「何だよそれ……すげぇ嬉しいんだけど……」 「俺も、とても嬉しかったよ……」 レイは俺の肩口で、尚もびぇぇと情けなく泣いていた。 *** やっと泣き止んだレイと夕食を済ませて、コップを洗い終えた俺は、椅子に掛けテーブルに飾った花をまだニマニマ眺めているレイの背に回った。 「背を見てもいいか?」 俺の問いにレイは素直に服を捲り上げる。 背中のど真ん中より少し上。 背骨に沿ってできた痣は、赤黒い色になっていた。 「……腫れは引いてきたな。これならもう二、三日もあれば動けるようになりそうか」 「おーよ」 レイの、やたらと気安い返事が何だか少し引っかかる。 「ゆっくり背を曲げ伸ばしてみろ。痛むところはないか?」 「ヘーキヘーキ……」 言われたレイが笑顔を浮かべて背を曲げる。じわりと背を逸らそうとして、一瞬息を詰めた。 「っ」 じとっと半眼で見れば、レイは首を傾げて笑ってみせる。 いや、誤魔化すんじゃない。 「今、痛いところがあっただろう」 「ゔっ……」 レイが観念したように呻く。 「……なんでそゆとこばっか気付くんだよ。俺の気持ちには全っ然気付かなかった癖に……」 ぶつぶつと文句を言われて、俺は少し申し訳なく苦笑した。 傷の手当てをして俺が立ち上がると、レイが慌てて俺の手を握ってきた。 「……帰るのか?」 そんなに寂しそうにするな。昨日の今日じゃないか。 「ああ」 「泊まってけよ……」 青い瞳にじっと縋られて、俺は逡巡する。 俺の手を離すまいと握り締めるレイの手が、熱い。 「しかし……」 「俺と一緒に寝るのは……嫌か?」 傷付いたように目を伏せられると、心が痛む。 「そうではないが、お前を見ていると……、その……平常心ではいられんのだ」 「ルスも、ドキドキしてんの?」 喜びを隠しきれていないレイが、弾む声で尋ねる。 「ああ」 と頷けば、レイは確かめるように俺の背に耳をつけた。 「……っ!」 嬉しげに瞳を輝かせたレイが、俺の背からぴょこんと頭を離す。 どうやら、二日酔いはすっかり治ったようだな。 「分かったなら、もう離してくれ」 俺が言えば、レイは慌てて両手で俺の腕を掴む。 「だからそれ、俺が手伝うからさ」 「いや、お前は安静に……」 「手だけでいいから、手伝わせてくれよっ!!」 必死に懇願されて、俺は困惑する。 「……お前が、そこまで言うなら、断る理由もないが……」 そうして、俺達はまた同じベッドに入った。

ともだちにシェアしよう!