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第6話 こぼれた水(13/13)
「よく分かった……。話してくれてありがとう。辛い思いをさせてしまったな」
ルスは俺を労るように抱きしめて、その手で優しく背を撫でる。
「そうだ。ちょっと待っていろ」
そう言って、ルスは不意に立ち上がった。
そのままコツコツと杖を付いて玄関へと向かう。
え? 何だ?
俺はその行動の意味が分からず焦る。
ミートパイの話はしたが、それを買うにしても、もう店はとっくに閉まっている。
「すぐ戻るからな」
と言い残されて、俺は慌ててその後を追った。
「え、や……。やだよ……。置いてくなよ……」
俺の不安を隠しきれない声に、ルスが小さくふき出す。
「そうか。すまん。それなら一緒に行こう」
いや、紳士的に言うけどさ、今お前、俺のこと笑ったろ。
ムッとしつつルスの後をついて行けば、家を出て少しのところでルスは足を止めた。
「ああ。あった。これだな」
片足で器用にしゃがみ込み、ルスは足元の小さな花を摘んだ。
立ち上がり、俺を振り返るルス。
その手には、紫色の可憐な花が握られていた。
俺は、その花の花言葉を知っていた。
けど、ルスがそんな事知ってるとも思えねぇし……。
俺が戸惑う間に、ルスはたった一輪のその花を、俺に差し出す。
恥ずかしげに小さく俯いたその花と同じように、ルスもほんの少し照れ臭そうに目を伏せた。
「ルス……?」
これ、俺がもらっていいんだよな……?
俺がおずおずと手を伸ばせば、ルスは小さな黒い瞳で俺を見つめる。
天高く上った月が、俺たちの肩に静かに光をそそいでいる。
いつもの見慣れた街並みが、しんと静まり返っていて、何だかいつもと違って見えた。
まるで、世界に俺とルスしかいないみたいだ。
ルスは俺をじっと見つめたまま、ゆっくり口を開いた。
「レインズ、俺はお前が好きだ。
もういい歳した男が、呆れるくらいに、お前の事で頭がいっぱいなんだ」
言葉とともに、紫の花は俺の手の中におさまった。
ルスの体温が残った小さな花。
花言葉は、今ルスが言った通りの内容だ。
慎ましやかなシルエットと、小さいながらに品のある佇まい。
紫色は、夜の空気によく映えた。
「な……。なん……っっ」
情けないけれど、俺は言葉が選べなかった。
俺が……。俺だけがずっと、お前のことを思っていた。
その、はずだったのに……。
いつの間に、そんな……。
「まだ前の俺はお前に愛を告げてなかったんだろ?
これで、俺が一歩リードだな」
ルスはニッと笑って言う。
笑顔の人懐こさは学生の頃のままに。
皺の深さには、ここまでの彼の生き様が刻まれていた。
「おいおい、誰と競ってんだよ……」
俺がようやく軽口を叩くと、ルスは口元の笑みを残したままに、一瞬悲しげに眉を寄せる。
「俺を同一視してないのはお前だろ?
それとも、お前の中で、二人になってた俺は、ちゃんと一人に戻れたのか?」
言われて、どうだろうか、と胸に問う。
……答えはすぐには出そうにない。
躊躇う俺に、ルスは『仕方ないな』とでも言うように、温かく微笑んだ。
実直そうな太い眉が優しく下がり、黒い小さな瞳が俺をそっと見つめている。
俺が気付かなかったうちに、ルスはこうやって、俺の事を、愛のこもった眼差しで見ていてくれたんだ。
ああ、本当だ……。ルスは、ここにいる。
俺のそばで、俺を見て、俺と言葉を交わしてる。
ここにいるのが、この世に一人だけの、俺の大事な、ルストックだ。
今までのルスと、同じじゃなくてもいい。
これからのルスを、これからも俺は、きっと毎日、好きになるんだ……。
「なんだ、俺に見惚れてるのか? 久々に見たな、お前のそんな顔……」
言うルスが、ほんの少しホッと肩を下ろした事に気付いてしまう。
……ルスも、不安だったんだ。
気付いた途端、どうしようもなく愛しさが溢れてきた。
俺は、手の中の花を潰さないようにそっと包んで、答える。
「お……、俺も、ルスの事……」
パッと目の前に出された制止の手で、俺の言葉は途切れた。
「知ってる」
「し、知ってたって、言わせろよっ!」
ルスは、言い返す俺から目を逸らして、小さく呟いた。
「まだ外だからな……。こんな所で、そんな事を言われたら、押し倒してしまうだろう?」
もう押し倒してくれよ!!!!
俺は心で強く叫ぶ。
ルスが、真っ赤になって震える俺の肩を撫でて「帰ろう」と言う。
ルスに触れられた肩が、なんだかすごく熱い。
見れば、ルスは黒い瞳にじわりと熱を宿していた。
「共にな」
言い添えられて、俺は「お、おう」と答えて歩き出す。
え、えと……、この、俺の肩、掴んだままなんだ?
俺に熱く注がれたままの視線が、なんだか受け止めきれなくて、俺は何か話題を探す。
「そういや、何で……ルスが花言葉とか、知ってんだ……?」
「今日叔母さんに教えてもらった」
ああ、なるほど、そう言う事か。
え、いや、って事は?
ルスは何……?
どこまで、叔母さんに話したんだ……??
ぐるぐると考える俺のすぐ隣で、ルスが笑った気配がした。
「驚いただろう?」
ふ。と口端だけを上げて、自慢げに俺を見ているルス。
自信を取り戻したルスのニヒルな笑顔は、より一層、男らしい。
月光の元でキラキラ輝くその笑顔を、俺は眩しく見つめる。
「…………驚いた」
俺の口から、素直な言葉がポロリと零れる。
ルスは、満足そうに目を細めて言った。
「もう、俺から目を離すなよ」
言われなくても、俺の瞳はもう二度と、ルスから逸らせそうになかった。
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