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【1】-8
悲しくなってしょんぼりうつむくと、大きな手が光の小さい頭を包むように撫でた。
『せっかく光が、俺のために紙から漉いてくれたのに……』
顔を上げると黒い瞳がじっと見下ろしていて、胸が少し苦しくなった。清正の手のひらが頬に触れて、吸い寄せられるように目と目が合って、動けなくなった。
ふいに、清正が囁くような声で言った。
『光が好きだ』
『え……?』
驚いて目を見開くと、慌てたように強い言葉が続いた。
『あ、違う……っ! ヘ、ヘンな意味じゃないから……っ』
『ヘンな意味って……?』
『あ、あれだよ。なんか、あんなこと言われたけど、気にするなってこと。俺たちは、ずっと普通に一番の友だちだから……』
心臓がドキドキして、うまく声が出せなかった。清正が繰り返した。
『ヘンな意味じゃないから……。何か言われても、ずっと友だちだからな』
安心しろと小さく付け足されて、光は黙って頷いた。「ヘンな意味」じゃなければ、清正はずっと光のそばにいてくれるのだと思った。
光は清正を失いたくなかった。
清正を失えば、きっと生きられないと思った。
だから、「ヘンな意味」のことは忘れて、自分の中に芽生えたよくわからない気持ちにも名前を付けなかった。
二人は無二の親友になり、高校も同じ私立の進学校に進んだ。
大学は、清正はそのまま付属に進み、光は美大のデザイン科を受けて外に出た。進路が分かれても清正との距離は変わらなかった。
ムダに綺麗すぎる容姿とものを創り出す才能以外、全ての能力を放棄して生まれてきた。いつか清正が光をそう評した。
自分の欲しいもの以外、何も持っていないと。
顔の造りの良し悪しはともかく、何かを作り出せる力があるなら、それで満足だと光は答えた。
清正は光に、生きてゆくための能力が足りないのだから、ずっと自分のそばにいろと言った。必ず助けてやるし、守ってやるからと。冗談のように笑いながら言って、肩を抱き寄せた。
どこにも行くなと繰り返した清正の言葉を、光は今も信じている。
何かあれば、光は清正のところに行く。
嫌なことがあって、それをうまく説明できない時でも、清正がそばにいれば安心できる。だから、時々胸が苦しくなるような甘い痛みに気付いても、その気持ちに決して名前は付けなかった。
名前のない気持ちなら、ないものとして扱える。
ないものが壊れることは、絶対にない。
清正が結婚していた期間だけは、あまり顔を合わせなかった。
ちょうど就職した年で、忙しかった。どこにでもある言い訳を借りて、自分と清正を納得させた。
フォトフレームの中には十年ほど前の光と清正が並んで写っている。背景は清正の家の庭で、なぜこんな写真を撮ったのかよくわからない。
十五歳、五月の薔薇の下で……。
清正の母である聡子が、丹精込めて手を入れていた庭。七原家の庭は、小さな楽園のようだった。
さほど広くない空間を、立体仕立ての薔薇が彩る。
パーゴラに絡むアンジェラの下の青く塗られた大きなベンチ。そこで、光は本を読み、昼寝をした。
隣にはいつも、清正の気配があった。
そこまで思いをはせて、光はゆっくり長いまつげを伏せた。
心の扉にかけた鍵を慎重に確かめる。薔薇の繁みの奥に潜む秘密の扉。その中に隠したものを誰にも見せてはいけない。
永遠に、秘密にしておくべきもの。
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