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【5】-3
懐かしい香りに、思わず顔がほころぶ。
かつて、光は毎週のようにこの庭で過ごした。
清正の実家は十五年ほど前に建てられた4LDKで、一階にLDKと和室、二階には六畳の子ども部屋二部屋と主寝室という、当時の都市部の住宅としては標準的な間取りだった。
清正が結婚した時に、二世帯住宅へのリフォームが検討されたが、清正は駅の近くの2LDKを借りて、この家を出た。
朱里と別れてからも、職場に近い今のマンションで汀と二人で暮らしている。
清正がいなくなってからは、光もこの家に来ることはなくなっていた。
庭は昔のままだった。
決して広くはない敷地に、小さな空間を最大限に生かして造られた庭を、光は懐かしく見渡した。
二年前に来た時は葬儀の合間に寄っただけだったので、庭まで足を運ぶ時間はなかったから、この庭を訪れるのは約四年ぶりだ。
リビングの南側にかかるパーゴラと、敷地の境界を囲むラティス。
アーチとオベリスク。立体仕立てにした薔薇を中心に、季節ごとの花を咲かせる花壇がいくつか配置されている。
時間と手間を十分にかけた庭には、季節ごとの花が咲き、何種類もの薔薇が四季折々に花を付けた。どの季節もそれぞれに美しかったが、薔薇の開花がピークを迎える頃には、むせ返るほどの花に圧倒された。
ラティスの壁を這い上がり、パーゴラの天井を埋め尽くすように咲くたくさんの花。
中でも、薄紅色のアンジェラが咲き零れる五月の庭は圧巻だった。
アンジェラが咲くと、光は薔薇の下の大きな水色のベンチに座って、いつまででも花を見上げていた。
清正の家のベンチは、ずっと光の大切な場所だった。本を読み、スケッチを描き、うたた寝をして、そして……。
汀に手を引かれて、懐かしいベンチに近付く。
それは今も水色のペンキで塗られていた。座面と背もたれに置かれたクッションの色も青い。
花の中で空とつながるような明るいブルーは、ベンチに塗るには珍しい色だ。清正の父が、たまたま余っていたペンキの中から、綺麗な色のものを選んで塗ったのだと言っていた。
白やこげ茶や濃いグリーンのペンキがなかったことを、光は神様の祝福だと思っている。
計算して塗られたのではない明るい空色は、奇跡のような効果を上げて庭を何倍も開放的なものにしていた。
空につながる青いベンチ。
横になれるほど大きなそれを、光は愛した。
「ひかゆちゃん、みて」
ベンチから一番近い花壇の一部が、小さな砂場に改造されていた。そこにしゃがみこんだ汀が誇らしげに光の顔を見上げた。
葉を落とした薔薇の枝を透かして、冬の低い日差しが斜めに差し込む。
三月並みの気温だと天気予報で言っていた通り、風もなく穏やかな暖かい午後だった。
「どうじょ」
プラスチックのスコップを渡されて、砂場の脇に一緒にしゃがんだ。
汀一人が入ればいっぱいの小さな砂場は、深い場所まで砂がたっぷりと入っているらしく、汀が好きなだけ掘っても底が見えることはなかった。
丸や四角や三角の型に砂を詰め、縁の煉瓦の上にその型を抜いて並べてゆく。
汀の表情は真剣そのものだ。
「サトちゃんと、いい子にしてたか?」
「うん」
せっせと手を動かしながら、汀は短く返事をする。
光たちには「聡子さん」と呼ばれていた清正の母は、孫たちには「サトちゃん」と呼ばれている。若々しく美しかった彼女を「おばさん」と呼べなかった頃を思い出して、笑みが零れた。
清正の顔立ちがいいのは聡子譲りだ。体格は亡くなった父親に似たのだろう。
集中して砂を掘っている汀を眺める。
明るい髪色も大きな茶色い目も、あまり清正に似ていない。ちょこんと摘まんだような鼻の先に砂の粒が付いていた。
白くて華奢な姿は仔猫か天使のように可愛くて、清正が溺愛するのも頷ける。
表面の乾いた砂より、深い場所にある湿った砂のほうが綺麗に型を抜くことができるのを、汀は知っているらしかった。
納得のいく砂に辿り着くまで、無心に深く砂を掘っている。その妥協のないこだわりを、光は感動を持って見ていた。
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