清正には、ずっと大事にしてもらった。 　修学旅行先の博物館で迷子になっても、つる草を集めていて崖から転がり落ちても、日が暮れて木工室に閉じ込められてしまっても、いつも清正が助けに来てくれた。 　何かに気を取られると注意力がどこかへいってしまう光はよくトラブルを起こした。おまけにしょっちゅうそれをこじらせて泣き喚く。 　すると、どこからか清正が現れて手を貸してくれた。 　光のために清正がしてくれたことは数えきれない。 　わざわざ口にしなくても、ずっと大事にしてくれたのだ。なぜわざわざ「大事にする」と言ったのだろう。 　七原家の客用寝室で、白いカバーを掛けた布団に横になって光は考えた。 　唇に手を当てると、心臓がぎゅっと苦しくなった。何度目かもわからないため息が落ちて頬が熱くなる。 　――キスを、した。 　思いだしただけで心臓がドキドキする。 　なんだかいろいろなことが怖くなってしまって、眠れないまま朝を迎えた。 　朝食の後片付けをしていると、洗面所から清正と汀の声が聞こえてくる。 「パパ、ちっちでゆ」 「一人でできるか」 「できゆ。みぎわ、よんしゃい」 　パタパタと可愛い足音を立てて、汀がトイレに駆けてゆく。 　あと何日かで一月が終わる。 　数字だけのシンプルなカレンダーを捲ると、二月のページの最初のほうに、金色のペンで小さな花丸が書いてあった。汀の誕生日だ。 　食器を片付けて洗面所に行き、鏡の前で伸びすぎた髪を軽く括る。なんだか、うなじに視線を感じた。 「なんか、目がやらしい」 「やらしいこと、考えてるからな」 　背中から清正が腕を回してきた。 　首の後ろに唇を押し当てられ、同時にシャツの裾から脇腹を触られて、光は文字通り飛び上がった。 「な、な、な……」 　真っ赤になって清正を突き飛ばす。「うおっ」と声を上げてよろけた清正は、バカみたいに笑っていた。 「おまえ、俺をからかってるな」 　胡乱な目で睨んでも、やっぱりバカみたいに上機嫌だ。 「パパ、ちっちでた」 　清正がしゃがみこみ、汀のシャツを半ズボンの中に入れてやる。 「ひかゆちゃん、おねつ？」 　大きな目で見上げる汀に「ち、違う。大丈夫だ」と慌てて手を振ると、また声を出して清正は笑った。 　絶対、面白がっている。 　シャカシャカと歯を磨きながら「ひかゆ、俺、元の部署に、もろっていいか」と聞く。 「なんれ、俺に聞くんらお」 「んー、いてぃおー、らんとらく……」 　一応、なんとなく？　 　うがいをして、口の中を自由にしてから「戻れば？」と短く言った。 　絶対、戻った方がいい。心の中で繰り返した。 　髭をあたり始めた清正が、鏡の向こう側から目だけで笑った。左右が逆になった顔の、左の口元が上がって見える。