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【10】-6

 光の髪に指を伸ばしながら、どうでもよさそうに清正は答えた。 「帰りの電車で偶然会ったんだよ。ずっと近くにいられたから匂いが付いたんだろ」 「……そ、そうなんだ」  それから唐突に「銀行口座」と口にした。 「おまえの暗証番号」  何を、と思った瞬間、心臓が大きく跳ねた。顔を上げると、奇妙な笑みを浮かべた清正が光をじっと見下ろしている。 「8948って、一九八九年四月八日のことだよな?」 「ち、違……っ、だ、だって、自分のは、つ、使えないから……」  清正がにやりと笑う。 「自分の誕生日は使えない。だから、俺のにした?」  顔を背けようとしたのに、清正の手のひらがそれを阻んだ。  頬を包んで「バカだな」と言うから、むっとして視線を戻す。ふっと笑った清正が吐息のように囁いた。  ――もうダメだ、おまえのせいだ。  囁きとともに唇が触れた。驚いて目を閉じることもできずにいると、一度離れた唇にもう一度、「おまえのせいだぞ」と囁かれて軽く啄まれる。 「な……」 「目くらい閉じろよ」  言われてようやく、真っ赤になって左右に首を振った。「可愛すぎだろ」と笑われて、広い胸に抱き締められる。 「もうダメだ。一度触ったら我慢できなくなる。これからどうなっても、全部光のせいだからな」 「な、何言って……」 「黙れ」  もう一度、今度は強く唇を塞がれた。  心臓がバカみたいに騒いで、頭の中を星が飛んだ。んー、と呻いてもがくと、舌の先で唇を舐められて心臓ごと飛び上がった。 「口、開けろよ」 「ヤダ。なんで……」 「なんでって、おまえキスしたことないのか?」 「ないっ!」  きっぱりと言い切ってから、はっとした。清正の顔を見ると、蜂蜜を舐めた熊のような甘い笑みを浮かべている。 「マジか……。俺、今日から神様を信じる」 「バ、バ、バカかッ。もう離せ!」  ドキドキしながら清正の胸を叩いた。  耳の先が痛いくらい熱くて、真っ赤になっているのがわかる。「すげえ可愛い」と囁きながら、清正が包み込むように背中を抱いて髪を撫でた。 「絶対、離さないし」  心臓が肋骨の内側を叩く。「マジで離して」と胸を押し返したが、清正は喉の奥で笑うだけだった。 「やばい。ああ、どうしよう、俺……」 「どうもしないでいいから、離せ」  清正は笑うばかりで、両手で包むように頭を押さえて光の目を覗き込んでくる。  光は唇をぎゅっと噛んだ。顔が熱すぎて涙が出た。 「光……」  ひどく甘い声で清正が名前を呼んだ。 「大事にするから、ずっとそばにいろ」  どこにも行くなと繰り返して、もう一度触れるだけのキスをした。

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