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【12】-3

 村山に試作品を頼みに行こうと思うが、汀の迎えの時間を考えると秩父まで往復するのは難しい。  少し考えて、村山のところへ行くのは明日にすることにした。  明日は汀の誕生日だ。  汀は朱里と出かける予定で、一日いない。その間に秩父まで行ってくればいい。  保育所に着くと、この日も昼寝の時間が始まったところだった。  おしゃべり厳禁。  光はいつものように無言で会釈をした。  考えてみると、汀の周囲にいる大人と、光はまともに話したことがなかった。  保育所では無言で汀を受け取るだけだし、公園では離れた場所から母親たちに必死で作り笑いを返すだけだ。  あの輪の中に入る勇気は、まだ出ない。  汀が困らない限り、極力離れていたい。作り笑いだけでも仕事の百倍くらいは疲れるのだ。無理だ。  汀が意外と社交的なのが救いである。  この日も公園に着くと、何度か顔を見たことのある子どもが汀に駆け寄り、手を引いてくれた。  にこにこしながら、汀はすぐに仲間に加わった。よくわからないルールの鬼ごっこ。滑り台とブランコとジャングルグローブのまわりを駆け回る。  夕方まで遊んで、大きな声で手を振って友だちに「さよなら」を言う。 「みぎわちゃん、ばいばーい」 「また、あしょぼーねー」  満足そうに輝く顔を見ると、また連れてこようと思った。  愛想笑いくらいいくらでも頑張ってみせる。心で拳を握った。  手をつないで家に帰り、清正が作っておいてくれた夕食を温めて、汀と二人で食べた。  風呂に入れてしばらくすると、汀は早々にうとうとし始めた。 「汀、もう寝るか」 「ん……」 「明日、誕生日だな。ママとどこか行くんだろ?」 「ん……」  ほとんど返事になっていないのはデフォルトだ。  温かい身体を抱き上げて二階に運び、ベッドに下ろすと「しゅいじょくかん……」と、寝言なのか返事なのかわからない言葉が汀から零れ落ちた。 「水族館か。楽しんで来いよ」  髪を撫でてやると、寝息に合わせて長い睫毛が小さく震えた。  あどけない寝顔を眺め、このくらい早い時間に寝れば、明日は機嫌よく母親との一日をすごせるだろう。そう思うと安心している自分がいた。  和室に入り、座卓の上にリュックを二つ並べる。  一つは今使っている古いもので、もう一つは誕生日のプレゼント用に光が作った青いリュックだった。  古いリュックに縫い取られた「みぎわ」の文字を眺め、明日、自分はこの文字を刺繍した人に会うのだと思った。  光は古いリュックの中身を出して空にした。  スキャナーで「みぎわ」の文字をパソコンに取り込み、USBをミシンにつなぐ。  汀の服やタオルには、清正が油性マジックで書いた「七原汀」という文字が付いている。それを見た時、光はあまりの味気なさにため息が出た。  男手一つで育てているのだから仕方ないと思いつつ、いつかラベルを作って縫い付けてあげようと前々から思っていたのだ。  文字を覚え始めた汀は、ずっと使っていたリュックに書かれていたのと同じ文字を見て、自分のものを見分けることができるだろう。  少し不格好な朱里の刺繍は、ラベルにすると味が出た。  新しいリュックにラベルを縫い付け、古いほうのリュックにタオルと予備の着替えと、清正が用意した汀の好きなチョコレート菓子を詰めて、翌日の準備を整えた。  新しいものを渡すのは、明日の夜でいい。  あの人と別れて、汀が帰ってきてからでいいのだ。

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