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【19】ー3
先に上沢の家に着くと、和室に置いてあった仕事道具の収納箱をテラスドアから外に出した。
それをクルマに積み、二階に上がってクロゼットの中身をかき集め、旅行用のトランクに詰め込んだ。
荷物はそれで全部だった。
ひと月余りの仮の住まいに、光のいた痕跡は残らない。これから始まる家族の時間を邪魔するものは何もない。
トランクを下げて階段を降りたところで、清正が目の前に立った。
慌てて帰ってきたのか、息が荒い。
「光、何してんだよ」
「荷物、運ぶ」
「運ぶって……」
「マンションに、帰る」
呆然とする清正の横を通り抜け、玄関に向かう。清正の後ろでじっと二人を見上げていた汀が、ぱたぱたと光を追いかけてきた。
「ひかゆちゃん!」
靴を履いている光の長くなった髪を後ろから掴む。
「ひかゆちゃん、ろこいくの」
「家に帰るだけだよ」
「おうち、ここ」
「違う。俺の家はここじゃない」
汀が首を振る。
「ひかゆちゃん、おうち! ここ!」
ふだん聞き分けのないことをほとんど言わない汀が、足をどんどん踏み鳴らして「ここ!」と繰り返す。
背中を向けたまま何も答えない光に「うわあん」と声を上げて泣き出した。
「汀……」
思わず振り向いて、小さな身体を抱きしめた。
「ひかゆちゃ……、おうち……、ここ!」
許されるなら、光もずっとここにいたい。
清正と汀と三人で、いつまででも暮らしていたい。
けれど、無理だ。
もっと二人に相応しい人が、ここに来るのだから。
今は泣いていても、汀にとって本当に幸せな暮らしが、すぐにやってくる。
「なんでだよ」
清正が汀の後ろに立つ。
なんでと聞かれる意味がわからなかった。
清正こそ、なぜそんなことが聞けるのだろうと思った。
「そんなの、清正が一番わかってるだろ」
「俺が……?」
自分のせいなのかと、驚いたように目を見開く。
その目を見たら無性に腹が立った。
「当たり前だ、バカ!」
怒鳴った途端、涙が零れた。
それを隠すように玄関を飛び出し、力任せにドアを閉めた。スーツケースをクルマに投げ込み、乱暴にエンジンをかける。
月のない夜だった。
玄関から漏れる明かりを横目に見ながらアクセルを踏む。
四角く切り取られた光の中に、呆然と立つ大小二つの影がぼんやりと滲んでいた。
歪んだ視界の中、スピードを上げると、ぼんやり滲んだ光と影は、あっという間に後ろに流れてどこかに消えてしまった。
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