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【21】ー5

 そんなに理想的な夫だった男と……。 「別れたいって言ったのは、朱里さんのほうだったって、誰かが言ってました」 「ええ」  寂しそうな笑みを浮かべたまま、朱里が頷く。 「だって、わかってしまいましたから」  優しく穏やかな日々の中で、清正の中に感じる空虚な部分。  それが何なのか、朱里はずっと気になっていたという。 「どこか……、本当ではない人生を生きているような、投げやりなものを感じていたんです。うまく言えないんですけど……」  光は、ふと、聡子の言葉を思い出した。 『あの子は、ちゃんと自分のやりたいことをやれてるのかしら……』  どこがと上手く言えないけれど、自分の本当の人生を生きていないような気がする、それが心配だと聡子は言っていた。  どこかで何かを諦めている気がするとも。 「それが、何なのかがわかってしまったんです」  朱里は目を伏せた。  光にはすぐに会えるだろうと言われていたのに、結局一度も会えないままだった。  汀が産まれ、ほかの友人たちはお祝いに訪ねてきたのに、光は来なかった。  だから、朱里は光の顔を知らないままだった。 「でも、見たんです……。雑誌で」 「ああ……」  もぞもぞと動き始めた汀を抱き直しながら、光はため息を吐いた。  入社して一年目に、堂上に言われて受けた最初の取材記事のことだろう。  堂上は、時々ファッション誌などの取材を光に受けさせる。「せっかくのビジュアルを武器にしないのはもったいない」などと言って。  デザインは顔でするわけではないと光が喚き立てると、一度は「わかった、わかった」と引き下がるくせに、光が忘れた頃になると、また似たような仕事を入れるのだ。 「印刷された写真でしかありませんでしたが、皆さんの言うことはわかりました。実際にお会いしてみれば、そんなことはありませんでしたが、確かに私と光さんは似てたんです」  全体的に細い骨格、色素の薄い髪と目と肌。  向かい合ってみれば、それほど似ているとも思わないが、大勢の人間の中に入れば、その中での印象で「似ている」と言われるのはわかる。 「その時の気持ちは、今でもうまく説明できないんですけど、何かが腑に落ちた……そんな感じでした。ずっと感じていたもやもやしたものが、形を持ち始めたような……」  雑誌は仕事の資料に挟んであった。  掃除の時に床に落としてしまい、片付けようとして見つけた。  朱里は「秘密」を見つけてしまったと感じた。  一番の親友の取材記事が載った雑誌。それを持っていても、何も不思議ではない。  けれど、本当になんでもないのなら、清正はそれを朱里に平気で見せたはずだ。  その瞬間、一度も会いに来ない「一番の親友」が、清正にとってどんな人間なのか、理解したと思った。 「清正くんが好きなのは、あなたなんだって……」  そして、清正が何を諦めて生きているのかも、理解した。  穏やかで、幸福な日常。  そこに清正の嘘が潜んでいても、見ないふりをすればいい。汀のためにも、今のままでいたほうがいい。  そう思おうとした。 「思いすごしだ。気のせいだって、自分に言い聞かせました。でも、ダメだったんです」

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