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第1話
朝の公園は、小鳥のさえずりや木々のざわめきがよく聞こえる。
先週まではセミがやかましいほど鳴いていたし、セミ捕りに励む少年の姿も見かけた。
それが、今週に入ってから不気味過ぎるほど静かだ。夏樹の服にぶち込む抜け殻も落ちていない。
砂利と葉の擦れる音、足音が響く。朝のジョギングをしていると季節の変わり目に気付くことができる、気がする。ここにはイチョウも植えられているから、そのうちギンナンが実りそうだ。できたら持って帰ろう。公園は皆のモノなのだから、私が持って帰っても文句を言う人はいないはずだ。
清掃ボランティアに参加すれば合法的に貰えるだろうか……。掃除をしている町内会のマダムに会釈しつつ、横を駆け抜けた。あのマダムはたまに「いっぱいできたから」と言って家庭菜園でできた野菜を持ってきてくれる。「親切にされたらお返ししなさい」というのが父の言いつけだ。だから、その野菜で何か料理を振る舞うのが恒例になっている。喜んでくれるので、悪い気はしない。どうしてそんなに親切にしてくれるかは知らないが。
セミの抜け殻を見つけたので、潰さないように、ポケットの中のビニール袋に入れる。走っている内に潰しがちなので、今日こそはそのままにしておきたい。夏樹の服にぶち込むためだけに。
周囲を注意深く見ながら駆け抜けていく。秋は走りやすい。スポーツの秋とはよく言ったものだ。だが、なんでもかんでも「なんたらの秋」にするのはどうかと思う。
どんぐりが落ちていたので拾う。表面が輝いている。夏樹なら「ピカピカ!」と言いそうだな。少し頬が緩む。けっこう落ちているから拾っておこう。
「小焼ちゃん。何してるの?」
「どんぐりを拾っています」
夏樹の妹――ふゆは、黒い豆柴犬を散歩させていた。「まめた」と名付けられた犬がくるんと巻いた尾を素早く振っている。夏樹にそっくりだな……。あいつには耳も尻尾もないんだが、そっくりだ。
まめたの頭を撫でやれば、更に嬉しそうに尻尾を振っていた。あんまり関わるとおしっこを漏らす犬なので、少し注意が必要だ。
「拾ってどうするの?」
「食べるんです」
「え!? 小焼ちゃんって、妖精!?」
「何言ってんですか」
どうして妖精という考えに辿り着くのかがわからない。さすが夏樹の妹だな。兄妹そろって中学二年生の時に患った病が治っていないようだ。不治の病なんだろう。中二病は。
「どんぐりは、ジャム、クッキー、ゼリー、パン、とレシピを挙げればきりがありません」
「けっこう色々あるんだねぇ。あたし、お兄ちゃんが机にドングリ入れっぱなしにして虫だらけにした思い出しかないから」
「ああ……。クッキーができたら持っていきますよ」
「やったー! 小焼ちゃんは何作っても美味しいから好きー! お兄ちゃんも栄養士の免許持ってるなら見習ってほしいよぉ」
「あいつは、まあ、スポーツドクターとしての腕は良いので……」
「うーん、でも、お兄ちゃんも料理できたらかっこいいのになぁ」
という世間話をして、ふゆは去っていった。
夏樹に料理をさせるとキッチンが大参事になるので、もう何もさせたくないんだが、少しくらいはできたほうが良いのか? 教えるにしても……知識はあるはずだ。栄養士免許を持っているくらいだ。医師免許を習得できるほどの頭を持っているし、ドクターとしての腕も良い。応急手当も完璧にこなすし、診断もできる。だが、料理は別だ。外科手術とでも思わせるか? あいつの専門は内科だったな……。もう考えるのも面倒だ。
家に帰り、セミの抜け殻を靴箱の上に置いた。潰れていないので夏樹の服に入れることができそうだ。
どんぐりはキッチンで水に浸けておいた。ちょっと時間をおいてふやかしておこう。この間にシャワーを浴びる。
鏡が湯気で白くくもっていく。さっきまで映っていた己の姿も白くてあやふやだ。太腿の内側の赤い痕がついている。見える位置にキスマークをつけるなと言ったら、きわどいところにつけられた。指先でなぞるだけで電気が流れたように痺れる。
「……っ」
クセになっているのかもしれない。アナルセックスの準備も浴室でするから……体が勝手に覚えてしまったのかもしれない。こんなクセ嫌だ。なおるか? なおらないか……。夏樹に相談するのは……まずいな。調子に乗りそうだ。
「小焼ー! おはよー!」
「勝手に入ってこないでもらえますか」
「あはは、合い鍵貰ったから良いかなって」
チェーンをかけておけば良かった。
ドア一枚向こうに夏樹がいる。拍子抜けするほど明るい声だ。朝から元気そうだな。ふゆに話を聞いて遊びに来たんだろう、たぶん。
「玄関にセミの抜け殻置いてたな!」
「夏樹が喜ぶと思って」
「おー! セミって良いよな。目が可愛いし、ラブソングを熱唱してるし」
「そういう考え方もありますね」
どういう精神で生きてるんだかよくわからないが、夏樹の優しいところが全面的に出ているんだろう。セミの存在を全肯定している。夏樹が歩いているだけに頭にセミが乗っかるのも好かれている証拠か。それとも「樹」だからか? 本人曰く「誰かを支えられるような立派な木になれなかった」らしいが、私はそう思わない。言わないが。
「そこにいたら出れないんですが」
「わりぃ。すぐ出る! キッチンに行っとく!」
あいつ、私の家に朝食を貰いに来たのか? まあ、犬にはエサを与えるものだしな。夏樹は犬ではないが。
身支度を整えてキッチンに向かう。夏樹が冷蔵庫を開けていた。私物を入れているから開けること自体はどうでも良いんだがさっさと閉めてほしい。電気代がかかる。
「牛乳取ってくれますか?」
「おう!」
「背が伸びるかもしれないから飲みますか?」
「もう伸びねぇよぉ!」
低身長を気にしているので牛乳を飲ませようとしたが断られた。少し元気が無くなったようなきがする。悪いことをしたか? いや、私は悪くないはずだ。
「朝食は済ませましたか?」
「まだ!」
「では、お前の分も作れば良いですね」
「やったー!」
「『おすわり』『待て』」
夏樹はすぐに席に着き、にこにこしながらこっちを見ている。なにかを言うのも面倒になるが、期待しているようだ。期待しているなら、応えてやろうか。
「誰が椅子に座って良いと言いましたか。お前は床で十分でしょうが」
「わ、わりぃ! 床に『おすわり』だったんだな!」
慌てて彼は床に正座する。腰に変な痺れが走った。腹の虫が鳴く。腹が減った。早く何か食べたい。早く何か作ろう。
今日の夏樹の服装が気になるが、空腹には勝てない。『でりしゃすまうんてん』という文字の下にプリンが描かれている。いったい何処で買ったか気になるし、デザインした人物も気になる。もしかして自分で描いて発注したか? ふゆがグッズを作っていることもあるから、有り得ない話ではない。
そんなことを考えつつ、冷蔵庫に残っていた鶏むね肉を一口大にカットする。にんじんも食べやすい大きさに切った。しめじは分けてやるだけで食べられるだろう。
小松菜を塩ゆでし、急冷却する。それからにんじんと同じ大きさにしておいた。食材を全てゴマ油で炒める。よく熱されたフライパンに食材を放り込めば、ジュウウウと軽やかな音がし、甘い香りが鼻孔をくすぐる。ゴマ油を使っただけあって、香り高い。いつもより食欲をそそるようだ。
ペット用のエサ皿に、ごはんを乗せ、塩コショウと醤油で味を調えた後に盛りつける。更に大根おろしをかけてやった。我ながらなかなか上手くできたと思う。
床で目を輝かせている夏樹の前に皿を置く。
「すっげぇオシャレだな!」
「何も考えずに炒めただけですがね。『よし』」
「いただきまーす!」
手を合わせて挨拶してから夏樹は床に伏せ、食べ始めた。「箸をくれ」とも「スプーンをくれ」とも言わない。何も考えていないのか私の命令なら何でも聞くのか、どっちだ。
「美味しいですか?」
「美味しい! 小焼の手料理は何でも美味しい!」
「床に這いつくばって食べることに何も思わないのか変態」
「あはは、今罵んなよ。ゾクゾクする」
「はぁ」
あきれて何も言い返せない。
機嫌良く食べているから、自分の朝食を作るか。
水に浮いているどんぐりを捨て、残ったどんぐりをくるみ割りで割っていく。うっかり中身も粉砕した。夏樹がけらけら笑っている。
「笑うならやってください」
「おう! ごちそうさま!」
「お粗末様です」
口に大根おろしをつけたままだから拭きとってやる。
そのまま抱きついてきたと思えば、胸に顔を埋めてきた。相変わらずだな、こいつは……。
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