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【3】20
ことことと柔らかな振動に揺さぶられ、眠気に似た甘い感覚が広がる。数日前に通った、来るときとまったく同じ道だというのに、すべては心に左右されるのだ。
「この曲行きの車の中でもかけてましたよね」
「あ、そうそう。気になった?」
「んー、なんか結構好きかもしれないです」
「まじ? 俺も気に入ってるからうれしいな」
帰りの車の中で高岡さんは、口笛さえ吹きながらハンドルを握っていた。盗み見た横顔はすっきりしている。ふと口笛をやめた高岡さんが口を開く。
「ごめんなあ」
「え? あー、バイトのことなら大丈夫っすよ。つーかバイト先の奴、最初は『代わりに出勤できるー』って言ってたのに『やっぱ無理』ってマジかよ、ってなりますよね」
「……いつもごめんな」
「え?」
「いつも情けないけど、大事にしたいんだよ、ほんとに」
高岡さんも音楽を足がかりとして、行きの車内での重たい空気を思い出したらしい。俺の緊張も高岡さんの憂鬱も二人の強い女性の前で不要となったわけだけど。そういえば高岡さん、亜澄ちゃんの前ではひるんでる時も結構あったな。お母さんの穏やかながら芯のあるたたずまいには俺も困惑させられたけれど、思えばあの四人の組み合わせ、ちょっと変わってたな。
そんなことを思い巡らしていたら突然、右の頬をぎゅうとつねられた。
「……なにニヤニヤしてんの」
「いひゃい!」
「返事しろよ恥ずかしいだろ俺」
「あ、ほら信号変わってますよほら前!」
「もー……」
「うわー痛ぁ。力の加減どうにかできなかったんですかDVだ」
「お前ちょっと太った?」
「……やっぱり?」
「なんか顔まるくなってない?」
「正直調子乗ってお母さんのごはん食いすぎた感あります」
「まあちょっとくらいむちっとしててもかわいいけどね」
「い……いきなりそういうテンションになんのやめてください……」
静かな道路は行きよりもするすると滑った。窓の外がゆっくりと藍色を帯びていくのを眺めながら見慣れた街へ戻っていく。こんなに近かったのか、と今頃思う。
「っしゃー着いたあ」
「運転お疲れ様でした」
「さすがに疲れたー、腰いてぇ」
「大丈夫ですか? 早めに言ってくれれば運転代わったのに」
「いや大丈夫、彼氏のプライドとしてそこは譲れないから」
「ちょっと何言ってんのか分かんない」
「荷物下ろすぞー」
「……あれ? なんか行きより荷物増えてません?」
「あー。実家から持ってきたもんもあるから」
「へえ、何持ってきたんですか?」
「まーいろいろ」
「……これ制服? なんでこんなん持ってきたんすか」
「あーバレちゃった? 俺の高校んときのブレザー、これ伊勢ちゃんに着せたいなと思って持ってきた」
「なんでそういうアホみたいなことばっかするんですか!? このクソ狭い収納もない部屋にそんなどーでもいいもん置く場所あると思ってんですか!?」
「でも絶対似合うと思うんだよね」
「でもじゃねーよ話つながってねーよ」
互いに大荷物を背負って抱えて、駐車場から部屋までの短い道をいく。鍵を開けるのを待つあいだにも手がちぎれるんじゃないかと心配しながら。
「ただいまぁ」
「ただいまー……うわ、空気がおっもい。窓開けてください」
「久しぶりに帰ってくると部屋きたねぇな」
「だから言ってるじゃん毎日!」
「でも収納する場所もねぇんだよな」
「だからそれもさっき言った!」
ドアを開けた先には、出たときと同じ部屋があった。かつては高岡さんのものだったその場所は、改めて向き合えば狭く散らかっていて暗い、それでもまぎれもなく俺の自宅だ。
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