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【おまけ】とある春の話

(本編から数年後に、あるかもしれない春の話) 「お兄ちゃーん!」 校門近くは人が多くとても近づけなかったので、教えられたルートに従い近くのコンビニ駐車場で落ち合った。亜澄は助手席に乗り込んでくるなり、きらびやかな草履を雑に脱ぎはじめる。 「はー疲れた、足いったぁ」 「お疲れ。もう帰っていいの? 友達と写真とか撮らねぇの」 「いっぱい撮ったから大丈夫! あれ、お母さんは?」 「さすがに疲れたらしいから先に家まで送った。帰って寝てる」 「そっか、無理させちゃったかな」 「いや、楽しそうにしてたよ。帰りの車の中でも泣いてたし」 「はは、ほんとにー?」 「それほどうれしかったんだろ。で、お前はどうすんの? まっすぐ帰る? どっか寄るところは?」 「このまま衣装やさん寄ってほしい、そこで着替えてそのまま衣装返却するから」 「はいよ」 ウインカーを出して大通りに合流する。晴れた日の穏やかな日光と桜の花びらが降り注ぐ道を、鉄の車体で切り裂いて走る。 「でさ、その後行きたいとこあるんだけど」 亜澄の提案に、俺もすぐに賛成した。 —- 「亜澄ちゃん、いらっしゃい!」 玄関の靴で気づいたのだろう。玄関ドアが開く音のすぐあと、廊下をばたばたと渡る足音が聞こえ、うれしそうな声とともにリビングのドアが開かれた。亜澄も「おかえり!」と立ち上がり、互いが互いを迎え入れるような状態になっている。 「お兄ちゃんに頼んで、卒業式終わってそのまま遊び来ちゃったんだ」 「そうだったんだ、俺も行きたかったんだけど臨時出勤になっちゃってさー。亜澄ちゃんの袴姿見たかった」 「あ、袴の写真撮ったよ! ほら」 「ほんとだ! わーキレーだなー、すごいな大人っぽいな……」 「こう見えてもう大人なんですー。あ、そうだお土産にバズってたお店の焼き菓子買ってきたから食べよう」 「まじで? 手土産もってくるとかほんとにちゃんとしてる大人じゃん……!」 亜澄の言葉で、キッチンに置いたままの菓子のことを思い出した。俺は立ち上がって、ソファに座る亜澄の足を避けながらキッチンへ向かう。 「コーヒー淹れるわ。亜澄は砂糖いるんだっけ」 「ん、ブラックでいいよー」 「はいよ。隆義は?」 「あ、俺もー」 キッチンに立ち、備え付けの食器棚からペアマグと来客用のマグを一つ取り出す。家賃の割には駅からやや距離のあるこの物件を選んだのは、収納スペースが多かったからだ。俺も隆義も、荷物が多いわりにものぐさなのでなるべく片付けがしやすい環境を選びたかった。 「つーか亜澄ちゃん、和服すげー似合うね」 「ほんとー? 袴着たの初めてだったんだけど、すごい暑くってすぐ脱ぎたくなった。足も痛いし」 「あー、女の子大変だな。男はスーツだからな」 「あたしもスーツで行こうかと思ったんだけどね、貸衣装やさんの友達がいて、最後の思い出にって安く貸してくれたからさ。あー本当早かったなぁ4年間。周りの友達に泣いてる子とかいたけど、全然実感ないから泣けなくてさー」 「まあそうだよな。俺も卒業式のときそんな感じだったよ。拓海さんは泣いてたけど」 「おいそれ言うな」 3つのマグカップを落とさないように、熱い側面に触れてやけどしないように、集中して歩みを進めていた俺の耳に聞き捨てならない話題が届く。亜澄はなぜだかうれしそうな声をあげている。 「え、なにそれ!? なんでなんで!?」 「知らない。俺と卒業のタイミング一緒だったから一緒に卒業式出てさ、でも拓海さんの同級生はもう卒業してるわけじゃん? だから別にさみしいとか何もないんだろうなって思ってたんだけど、超泣いてた。号泣だった」 「いーだろ! 色々こみ上げるもんがあったんだよ……隆義が大学入ってから卒業まで一番近くで見守ってきたから」 「うわードヤ顔うざいわー」 はじめて会った日、はじめて話した日、けんかした日、実家につれていった日。色んな思い出が溢れかえった卒業式は、どうしたって平常心ではいられなかったのだ。コーヒーをテーブルに置き、隆義の隣に腰を下ろしながら懐かしい大学時代を思い出すと、自分の稚拙さも同時に思い出されて恥ずかしくなる。 コーヒーと焼き菓子を口へ運びながら、話題は自然に新生活にまつわるものへ移る。 「亜澄ちゃん、4月から銀行だっけ?」 「そうそう。なんか顧客対応とか不安なんだけどさー、隆義さんは営業やってて大変じゃない?」 「どうかなー。俺は逆に仕事だからって割り切れるから理不尽なことあってもまあ仕方ないかって思えたけどね」 「そっかー。隆義さんそもそも人付き合いそこまでにがてじゃなさそうだもんね。お兄ちゃんに比べたら」 「俺は絶対無理。亜澄とか隆義のこと本気ですげぇと思うわ。俺は今みたいに一日中パソコン触ってる仕事の方が向いてる」 「うわー俺そっちできる気がしないわ。絶対病んで頭おかしくなる」 「お兄ちゃんはもとから頭おかしいもんね」 「おい」 そのあともしばらく菓子をつまみながら他愛ない話を続けていたが、ふいに亜澄が立ち上がった。 「あ、そうだちょっとトイレ借りていい? 卒業式の途中から行きたいって思ってたの忘れてた」 「忘れんなよそんなもん……あれ、トイレの場所知ってるっけ」 「うん、廊下のこっち側でしょ? 借りるねー」 亜澄がリビングを出ていくのを確認して、ここぞとばかりに隆義の手に触れる。やめろと振りほどかれる可能性も危惧していたが、隆義の指先は俺の指のあいだを滑って素直に絡みついた。 「亜澄ちゃん、ちょっと見ないあいだにめちゃくちゃ大人っぽくなったね」 「ん、まあな」 「ついこのあいだまで高校生だったのになー」 「……ふふ」 「……なに?」 「いや、別に?」 「なに? 気になるから言って」 「いやなんもないって」 「言えって! 拓海さんすぐそーいう言い方する!」 「いやあ、隆義のそういうとこおっさんっぽいなと思って」 「なんすか!? いーじゃないですか実際に親戚のおっさんみたいなもんなんだから!」 「あーはいはいごめんごめん。お前ムキになると敬語出るよな、昔みたいに」 隆義は何か言いたそうに口を開きかけたが、廊下を歩く亜澄の音が聞こえてきたので素早く手を放し黙り込んだ。それでも、俺たちのくだらないやりとりは十分響いていたらしく、リビングに戻ってきた亜澄の顔はにやついていた。 「なになに、喧嘩?」 「いや違う違う」 「お兄ちゃん、あたしが隆義さん独り占めしてたからってすぐ怒んないでよ」 「俺かよ、ちげーよ」 確かに隆義の言う通り、亜澄は大人っぽくなったと思う。周りから見れば不幸な境遇にも堂々と立ち向かい、俺が情けなくも挫折した「稼ぎながら大学に通う」という生き方を完遂させたことについては、我が妹ながらすっかり感心してしまう。なにより、俺たち二人の関係を素直に認め、受け入れてくれたことに頭が上がらない。 「そろそろ帰ろうかなー、なんか雨降ってきたっぽいし」 「え、まじ!? やばい洗濯物出しっぱなしだ!」 亜澄の腑抜けた声に反応して、隆義は素早く立ち上がりばたばたと隣の寝室へ向かった。すぐに寝室のドアを開けるがらがらという音、洗濯ものをばさばさとかき集める音が聞こえてくる。 「お兄ちゃんはやんなくていいの?」 「俺が手ぇ出すと怒られるから。『せっかく干したのに拓海さんのせいでシワになってる!』とか言って」 「そうやって任せっきりにしてると嫌われちゃうよ? 結婚した先輩、みんな家事の負担とか家のことで旦那にムカついてるって言ってたもん」 「……気をつけるわ」 「でもお兄ちゃんと隆義さん、夫婦っぽくなってきたよね」 「まあな」 先ほどまで明るかった窓の外が、ほのかに暗い。移ろいやすい春の天気と同じく、変化を繰り返す年月の中でそれぞれが成長している。当たり前のことのように思えて、誠実な意識の積み重ねでしか叶わないことだ。 「隆義さーん、そろそろ帰るね。また来るねー」 「あ、ごめんねバタバタしてて! またいつでも来て!」 「ありがと、隆義さんもうち来てね。みんなで餃子パーティーしよー」 「うん、近いうちに行く! お母さんによろしく」 洗濯ものを取り込む仕事を終え、隆義が玄関に立つ。亜澄は一足先にドアを開け、外へ出ていった。俺は靴を履きながら振り返って、隆義の顔をまっすぐに見る。 「じゃ、亜澄送ってくるから」 「うん、気をつけて」 「すぐ戻ってくるから、寂しいだろうけど我慢してね。あとでいっぱい甘えていいから」 「……うるさい早く行け」 こういう減らず口はいつまで経っても変わらない。毎度冷たくあしらわれると分かっていて、別れ際を惜しんでしまう俺が変わらないせいだ。俺のネガティブは以前に比べれば軟化したものの、別れ際には例えば不遇な事故でこのまま離ればなれになってしまったら、とつい考えてしまう。死ぬまで一緒にいられるようになったところで、新しい悩みや不安はつきないのだ。

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