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第73話花弁の朝露
「カナイ……この匂い、辛くないですか?」
俺の顔をうかがいながらミカルが尋ねてくる。
心なしか緊張の色が見えたが、俺は今の素直な気持ちを口にする。
「大丈夫だ。魔の者にはバラの香りは毒のはずなんだが……ミカルの血を飲み慣れたせいで、毒に耐性がついたのかもしれんな」
「ふふ、違いますよ。ただ私の血を飲み続けただけでは、未だにこの地はカナイにとって毒気が漂い悶絶する場所でした」
微笑みながらミカルが「こちらへ」と俺を促し、家の近くに植えられた大輪の赤いバラへ連れていく。
早朝のバラは花弁や葉に朝露を飾り、間もなく日が当たれば美しく輝く姿を見せてくれるだろう。
不思議とその様を想像しても嫌悪感はない。人だった時と同じように、その美しさに少なからず感動を覚えるだろう。両親が生きていた、愛情というものが当たり前にあった頃と同じ感覚──。
おもむろにミカルがバラの花弁に指先を近づけ、朝露を指に乗せる。
そして俺の口元へその指を寄せた。
「どうかこの雫を口にしてくれますか? お願いします」
透明な水でしかないそれが、なぜか妙に胸奥を疼かせる。
好物の菓子を目の前に並べられた時のような、落ち着かない、でも幸せな疼き。これもまた人として扱われなくなる前以来の感情だ。
吸い寄せられるまま唇の先で触れ、朝露を軽く吸って舌へ乗せる。
次の瞬間、俺の体は隅々まで満ちた。
今まで生きてきて、色々な者に喰われ、削られ、塞がらぬ穴を抱えてきた。それらがすべて埋まり、何も奪われなかった時の自分を取り戻したかのような──。
「……カナイ……」
ふとミカルが俺の目元に口付ける。そうされて初めて、俺は涙を流していることに気が付いた。
「なんだ、これは……ミカル、俺の体に何が起こっているんだ……?」
「結論から言ってしまうと、もう貴方は血を飲まなくても大丈夫な体になりました。このバラの露や香りが、これからはカナイの糧となります」
突然の話に俺は目を剥いてしまう。
なんてあり得ない話。だが、信じられないと理性で叫びつつ、心はそれをすんなりと受け入れてしまう。
確かに、それなら他の血を拒絶する体になったのに、ミカルのものだけは大丈夫なことが説明できる。血の量も少しで済み、血よりもミカルが宿すバラの香気を求めるようになっていたと、ここ最近を思い返す。
それでも驚きは消せず、俺はミカルへ尋ねずにはいられなかった。
「なぜこんな体に……どうやって吸血鬼の理を捻じ曲げた?」
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