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「悪い、驚かせたかな? でもそれ、そのままじゃヤバくね?」  南原が、百合人の手にあるパレットを指さす。確かに、絵の具はほぼ乾きかけていた。気がつけばずいぶん長い間、物思いにふけっていたようだ。 「どうしたんだよ? 真剣に、一点見つめちゃってさ」  南原は、クスクス笑いながら百合人の隣に腰かけた。 「あ……、うん。ちょっと、ぼーっとしてて……。てか、南原どうしてここに?」  南原のことを考えていたなんて、悟られるわけにはいかない。百合人は、あわてて彼に話題を振った。この芸術の授業の時間、彼は音楽専攻のはずだが。 「だるいからフケてきた。適当に歌ってりゃ済むかなってなめてたけど、案外煩わしくてさ」  南原は、肩をすくめた。音楽を専攻するのは、女子が多い。格好のチャンスとばかりに、競って接近しているのだろう、と百合人は想像した。  ――意外な展開だけど、南原と話せて嬉しい……。  舞い上がる百合人の心中など知る由もない南原は、ひょいと絵をのぞきこんできた。 「やっぱ上手いよな、花岡って。さすが美術部」 「いや、それほどでも……」  南原が、自分の所属クラブを覚えていてくれた。それだけのことに、心が弾む。 「お世辞じゃないぜ。特にこの花……、ええと、何ていう名前だっけ」  南原が、百合人の描いたゼラニウムを指さす。秀才の彼が、こんな有名な花の名を知らないなんて。小首をかしげる様子は何だか微笑ましくて、百合人はますます体温が上昇するのを感じた。 「ゼラニウムだよ。僕、この花大好きなんだ。ガキの頃ギリシャに住んでたんだけど、よく咲いてたから懐かしくて」  へえ、と南原は目を輝かせた。 「住んでたって、何、親の仕事の関係とか?」 「うん。うちの親父、転勤族で。小学校までは海外転勤も多かったから、何カ国か住んだんだ」 「何それ。羨ましいんだけど」  白い歯をこぼれさせて、南原が笑う。その笑顔に見とれていた百合人だったが、甘い思いは次の瞬間吹き飛んだ。突如、とげとげしい声が降ってきたのだ。 「その割に英語できないよな、お前」  見上げた先には、もっとも苦手とする人物がいて、百合人はうんざりした。

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