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第26話

 新しい下駄を早速履いて、白帆(しらほ)は飛び跳ねるように歩いた。 「軽くて、あたりが柔らかいのにしっかりしてて、歩くのが楽しいです!」 舟而(しゅうじ)が揺れるおかっぱ頭の上に手をかざすと、白帆はまるで舟而の手の下で跳ねる手毬のようだった。  白帆もわかって、舟而の手のひらに自分の頭が触れるよう、一歩ごとに伸びあがって歩く。 「そんなに飛び跳ねて、身体は痛くないのか」 「痛くはないんですけど」 舟而の耳を両手で覆い、白帆はそっと言った。 「先生の形が身体の中に残っているよな気がして、ほんとは少しだけ歩きにくいです」  舟而は耳を赤くして笑うと、白帆に背を向けてしゃがんだ。  白帆は舟而の首に腕を絡め、頬に自分の頬をくっつけた。 「しゅっぱーつ、ぽっぽー!」 前方を指さして号令をかけると、舟而は白帆をおぶって笑いながら歩き出した。 「きーてきいっせい(汽笛一声)、新橋をー」  鉄道唱歌を舟而が口ずさみ、白帆もかすれた声で一緒に歌う。 「はや我、きーしゃ(汽車)は、離れたりー」 二人とも高音は掠れたが、構わずに歌った。 「愛宕(あたご)の山に()り残る、月を旅路の友として」  楽しく歌っていたら、白帆の片足から、まだ鼻緒が馴染まない下駄が脱げた。 「あっ」 「もし、落とされましたよ!」  すぐに下駄を持って追いかけてくれる人があり、舟而が白帆を背負ったまま振り返ると、日比だった。 「日比さん、ありがとうございます」 白帆は舟而の背中からするすると降りた。 「さっき買って頂いたばかりの下駄なのに、失くしたら大変」  舟而の手に掴まりながら、白い鹿革の印伝の鼻緒に足を差し込んだ。 「目の詰まった、いい桐下駄ですね」 「はい。先生が買ってくださいました」 「江戸の昔なら、(くし)を渡していたんだろうけど、一緒に労してぬまで添い遂げてくれなんて、僕は白帆には言いたくない」 「そうですか? 引き受けてもよござんすよ。共に苦労致しましょう」  白帆はおかっぱ頭を揺らして明るく笑った。 「何を言ってるんだ、白帆じゃ頼りなくって!」  二人の会話を日比は黙って聞いていた。  客間に落ち着いた舟而と日比に、白帆が煎茶を出し、襖を静かな音を立てて閉めて行くと、突如、舟而は日比に向かって頭を下げた。 「申し訳ない。今までずっとぐずついてきたけど、僕はようやく心を決めた。僕がだれてしまったせいで白帆を困らせたし、日比君にもその迷惑が行ったと思う。嫌な思いをさせて済まなかった」 頭を下げる舟而の姿に日比は刮目し、それから少しずつ表情を和らげた。 「まったくです。白帆さんを好いと思っていたのに」 「申し訳ない。日比君が白帆に好意を寄せてくれているのは、重々承知している」 日比は唇を引き結び、強引に左右の口角を引き上げると、銀縁眼鏡の奥の目を細めて見せた。 「先生が白帆さんをぞんざいに扱うようなことがあれば、わたくしはいつでも白帆さんを頂戴しに伺います。原稿と白帆さん、容赦なく両方とも頂きますから、そのおつもりで」 「わかった」 「年末にこの連載が終わったら、先生の驕りで一杯いただきましょう」 「ああ、そうしよう」 二人は酒のように煎茶を飲み干し、原稿を受け渡しして座を立った。 「ご苦労様でございました」  白帆はいつも通りに帽子を渡し、靴べらを差し出し、かいがいしくして門の外まで日比を見送った。 「道中お気をつけて」  白帆の言葉掛けに、日比はくるりと振り向いた。 「仲見世で買った飴が効いているようですね。今日は掠れてはいるが、それでもとても明るい澄んだ声をしていらっしゃる。お顔つきも明るいし、新しい下駄もお似合いです。よかったですね」 「さ、さよ(左様)ですか、嬉しいです」 「舟而先生に意地悪されることがあったら、いつでも私のところへいらしてください。御簾(みす)を上げてお待ち致しております」 「ありがとうございます。でもお気持ちだけで。私は地獄までも先生について参りますから」  白帆はおかっぱの黒髪を揺らして微笑んだ。

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