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第40話

 躍進座の新作は『人魚姫泡沫恋歌(にんぎょひめうたかたのれんか)』という外題(げだい)がつけられた。  まだ舞台上で声を張れるほどには声が落ち着いていない白帆(しらほ)に、主役の人魚姫役が与えられた。台詞は一つもなく、心の動きも台詞も全て仕草と舞だけで表現する。  簡単な役ではなかったが、やりがいがあった。  恋を知らなかった乙女の人魚が、一本の尾びれを二本の足に変え、恋をする痛み、自分の足で歩く痛み、男に向けて初めて足を開く痛みを知る。  いずれの痛みにも成長する喜びを伴い、次第に自分の意志を持つ女へと変化して行くが、殿にとって人魚姫は妹のような存在、若い男はいつでも年上の女に憧れるものという定石に従って、人魚姫は恋を失い、それでも好きな人を突き刺すことはできず、痛みも喜びも知る前の帰れない子供時代を懐かしんで海へ飛び込み水の泡となる。  白帆扮する人魚姫は、舟の上から海の中をのぞき込んで子供時代の思い出に目を細め、揃えた指先で水面に触れる。 『叶わぬ恋と、叶わぬ思い出、時間は進めることしかできやせぬ、嗚呼できやせぬ』  三味線と清元に合わせて、白帆は海面を愛おしんで撫でるように左右へ手を動かす。 『帰る場所などないならば、せめてどこで終えましょか、終えましょか。自由にならないこの世を離れ、私はどこへ行きましょか、私は何になりましょか』 この場面を舞うとき、白帆はいつもお夏を思う。舟而がお夏の心情を想像してこの場面を書いたことも、白帆は知っている。  死が唯一の楽しみ、望み、喜び、希望。そんなふうに思えていたのではないだろうか。白帆は想像する。舟而は突き詰めて思うあまり全てを否定して、否定して、残った結果が死だったのではないかと言っていた。  お夏の本音はわからない。本人にもわからなかったかも知れない。  次第に早くなる音楽の盛り上がりに合わせて力の限りに舞い踊り、客席からは拍手が沸いて、大向こうからは「銀杏屋!」の声が飛ぶ。  白帆は舞台下手側後方で深紫(こきむらさき)色の着物をまとった年増にうっとりした顔で寄り添う殿を振り返り、愛おしんで微笑むと、胸の前で合掌し、正面を向いて船から海へ飛び込んだ。  その瞬間に全ての音曲が止まり、一丁柝(いっちょうぎ)の合図で一気に浅葱幕(あさぎまく)が振り落とされて、それきり、唐突に物語は終焉を迎える。  初めはこの不親切な演出がどこまで観客に伝わるか心配された。しかし、舟而と白帆の情熱に押された道具方が試行錯誤して、少ない予算の中でやりくりをして、浅葱幕に銀糸で水泡を表現した円をいくつも描き、さらに幕の裾に多くの(おもり)を仕込んで幕が落ちる早さに勢いをつける工夫をしてくれたことで、幻想的かつ人々の心に残る素晴らしく呆気ない幕切れにすることができた。  日日新報の文化欄にも、評が掲載された。 -----  銀杏白帆といふ役者がゐる。其の事を世間に知らしめたのは、脚本家の渡辺舟而である。其の渡辺舟而が書いた脚本を芝居として成立させ、脚本家・渡辺舟而の名を世間に知らしめるのは銀杏白帆である。この二人が手を携へ、全身全霊を賭して共に芝居に取り組むとき、日本中のどの芝居小屋も、客が躍進座へ足を向けるのを止めさせることはできないであらう。……… -----  日比はこの記事を最後に日日新報を退社して、出版社を立ち上げた。 「わたくしに小説を書く能力はありません。ですが、小説家に小説を書かせる能力はあるように思うのです。舟而先生にも、さらにたくさんの小説をお願いいたしますから、どうぞそのおつもりで」 「ふふ。私も先生にたくさんの脚本をお願いします。精一杯勤めます」 「僕も力の限り書き続けるよ。それがいずれ何になるかはわからないけど。求めてくれる人がある限り、なかったとしても、とことんまで書き続ける」  日比は銀縁眼鏡の奥の目を細め、白帆はカステラを口の端にくっつけ、舟而はそのカステラを摘み取って口に入れ、お夏の位牌に目を向けて、互いに深く頷き合った。

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