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0:レッドアイとクリームソーダ

 冷蔵庫を開けると、冷たい空気が勢いよく顔にぶつかってきた。  記憶を辿りながら二段目に目を凝らし、白いココット皿を取り出す。  ラップの下で赤く艶めいているのは、昨晩仕込んでおいたトマトピューレ。  でっぷりと丸みを帯びたロックグラスに注ぎ込むと、とぽとぽと耳障りの良い音がした。  鼻腔に張り付く濃厚なトマトの香りを楽しんでから、レモン汁と塩で塩梅を整えていく。  僕の好みは、塩気の後にしっかりとトマトの甘みがやってくる、どちらかというと控えめな味付け。  何度か指先を舐めながら調味し、望みの後味と一致したら、最後にビールを注ぎ込む。  今日のためにと友人が贈ってくれた、とっておき(らしい)黒ビールだ。  お酒なんて一滴も飲めないくせに、彼が選ぶものはいつも僕のツボのど真ん中をついてくる。  今回も例外ではなく、ぺろりと啄んだ舌先に香ばしい風味がよく馴染んだ。 「うん、上出来」  カクテルとしては怪しい色味になってしまったけれど、誰かに振る舞うわけでもないし、まあいいか。  きっと彼は「そんなのレッド・アイじゃないじゃん……」と唇をへの字にひん曲げるんだろうけど。  まだ見ぬ未来をしながら、僕はグラスを持ち上げた。  ついでにつまみを適当に盛り合わせた四角いプレートを手に取り、パソコンデスクに向かう。  マウスを動かすと、スリープ状態から覚醒したモニターが、立ち上げておいたビデオ通話のアプリを準備万端で全面に押し出してきた。  横目で時計を確認し、『通話開始』のボタンをクリックする――と、 『しんちゃん!』 「うわ! びっくりした……」  コール音は一度も鳴り終えることなく途切れ、画面いっぱいにまーくんの顔が映し出された。  ができるほど見慣れているのに、イケメンな分アップになった時にの圧がすごい。 「反応はやっ! もしかして、パソコンの前でスタンバってた?」 『えっ? あ、いや、別にっ……』 『ざっと一時間前からですね』  頬を桃色に染めたまーくんの後ろから覆い被さるように画面に現れたのは、佐藤英瑠(える)くん。  まーくんの彼氏だ。 『ちょ、佐藤くん! なんでバラすんだよ!』  いよいよ真っ赤になったまーくんは憤慨しているけれど、英瑠くんは詰め寄られてなんだか嬉しそうだ。  相変わらず仲良しこよしの二人らしい。  それにしても、一時間前から? 「まーくん、そんなに僕の顔見たかったの?」 『……うん。それに、声も聞きたかった』  意地悪で問いかけたはずが、うっかり僕の方がキュンッ……とさせられるなんて。  こういうところは、出会った時からまったく変わらない。 『あ、西園寺(さいおんじ)さん。それってもしかしてレッド・アイですか?』  英瑠くんが、まーくんを押しのけるようにして画面をのぞき込んできた。 「うん。ちょうどお客さんからもらった立派なトマトがあってさ」 『じゃあ、一から手作りですか? いいなあ、美味そう』 「今度家に来た時に作ってあげるよ」 『ありがとうございます、ぜひ!』 『レッド・アイってなんだよ……全然、レッドじゃないだろ……』  英瑠くんの笑顔に、ぼそぼそと不機嫌丸出しのまーくんの声が重なった。  ぶーたれた横顔には「二人で俺の分からない話するなよ……」と書いてある(気がする)  ほんと、こういうところも全然変わらない。  あれ?  でもこの場合、まーくんはどっちに妬いてるんだろう?  まあ、いいか。 「まーくんは? ドリンク、ちゃんと用意した?」  まだ昼間だし、まーくんはアルコールNGだけど、これはれっきとした〝オンライン飲み会〟だ。  飲み物とつまみ(または、おやつ)は必須中の必須。 『うん、俺はこれ』  画面の中心を彩ったのは、クリームソーダ。  緑と白のコントラストが綺麗……だけど、なんだか白い部分がものすごく多い気がする。 「もしかして、それ自分で……」 『うん、メロンソーダとバニラアイスで作った! スプーンもほら、長いやつ!』  ふてくされていたアーモンド・アイがあっという間に輝きを取り戻し、シルバーの煌めきを反射した。  まーくんが手にしていたのは、パフェを頼むと一緒に出てくる長いスプーン。 「へえ。そういうの売ってるんだ」 『あー……うん。ただ、さくらんぼは買い忘れたけど……』 『まだ言ってるんですか』  英瑠くんの声音が、呆れている。 『だって! さくらんぼのないクリームソーダなんて……』 『だから今日、帰りに買ってくるって言ってるでしょ?』 『……』  まーくんの短い黒髪の上で、大きな手が優しく跳ねる。  頬をほんのり膨らませながらも、まーくんはすごく気持ちよさそうにしてるし、見切れちゃって見えないけれど、英瑠くんは英瑠くんで蕩けるような甘い視線でまーくんを見下ろしているに違いない。  見ているこっちの方が恥ずかしくなるくらいなのに、彼らにとってはこれがすでに当たり前の日常で、自分たちがどのくらいのバカップルなのかなんて、きっと気付いてもいないんだ。 『それじゃ、西園寺さん。理人さんをよろしくお願いします』 「あれ、英瑠くんも参加してくれるのかと思ってたけど。もしかして、仕事?」 『はい。オンラインなんですけど、ピアノのレッスンがあるんで』 「へえ、オンライン!」  こんな情勢だから、できることをできる方法でやっていくしかないんだろうけど、ピアノのレッスンまでオンラインになるなんて。 『俺が仕事に出ると理人さんが一人で寂しがるから、今日は西園寺さんがいてくれて良かったです』 『おい! 俺は子供かよ!』 『プッ。じゃあ、行ってきます』 『……ん、行ってらっしゃい』 「ああもう、分かったよ。行ってらっしゃいのチューしたいんでしょ? どうぞどうぞ。僕は目を瞑っておくから」 『なっ、なに言ってっ……ぁ、ぅむ!』 「はーい、ごちそうさまー」 『って、しっかり見てるじゃないか!』  幸せそうにしているまーくんを見ると、僕の心もぽかぽかしてくる。  でも、二十年後にまーくんとこんなにも仲良くなっているなんて、高校生の僕に言ってもきっと信じなかっただろう。  なぜなら、当時の僕は、まーくんのことが大っ嫌いだったのだから。

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